今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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彼女らのこと

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どういう縁だか知らないが、私はよく見知らぬ人から話しかけられる。

のみならず、それはしばしば身の上話へと発展する。

決まって年上の、それもほとんどが女性だ。

最初は、天気がどうの、今からどこへ行くの、さして意味のないやりとりからはじまる。

それがどうしたことか、ふいに、彼女らの胸の、こつりとした何ものかに触れる瞬間があるらしく、そのあたりから大抵、色合いが変わって来る。

ぽつりぽつりと身辺事情を話し出したかと思えば、彼女らは次第にその語りへ深く身を沈め、いつか人生のよろこびや悲しみを瞳に映しはじめるのだ。

まだ学生だった時分、電車でたまたま隣になったご婦人の話に耳を傾けるうち、ついに彼女の目から大粒の涙があふれ出し、目的の駅で降りるに降りられなくなって、はるか先の町まで寄り添った日もあった。

彼女らの背景には、ドラマチックにしろそうでないにしろ、彼女らだけの抱える、震えるような思いが隠されていた。

私はというと、まさか年の離れた女性に人生の教訓など諭すはずもなければ、むろん善人ぶった道理を説くわけでもない。

自分のような者が話を聞いて一体何になるだろうと思いながら、彼女らの生きてきた日々を、ただ静かに見つめるだけだ。



先日、夫婦そろってちょっとした用があり、とあるカフェで夫の来るのを待っていた。

その日彼は休日出勤で、午後3時頃まで仕事が入っていたのだ。

辺りに広がる珈琲の香りに、しばしば鼻孔を誘惑されつつも、胃腸の弱っていた私は、ハーブティーなど飲みながら、読みかけの本を読んでいた。

悲しい男の話だった。

神経的な病苦の末、自死するよりほかなかった男のその運命に、私は心を痛めないではいられなかった。

彼の発狂は、本を閉じた後もなお、じくじくと胸に迫って来た。

それは、自らの神経もまた、暗がりに侵されはじめていることを、冷然と告げていた。

馴染みの頭痛の芯が、すでに左目の奥に兆している。

薬を取り出そうと、目を閉じたままバッグへ手を伸ばした、そのとき。

「ここ、いいかしら」

顔を上げると、隣の席の前で、60代と思しき痩せたご婦人が、臙脂色のコートを揺らして立っていた。

「はっ、ああ! どうぞどうぞ! ぜんぜん空いてますから!」

にわかに絶望から引き戻され、頭と心の一致を見ないまま、私はともかく応じた。

すっかり冷めてしまったハーブティーを口にふくむと、ようやく現実を理解する。

通路を挟んだ向こうにもいくつか席は空いていたが、その付近で子連れの集団がけたたましい笑い声を上げていた。

私は急いで、脱いでいたジャケットなど引き寄せながら、できるだけ空間を広く作ろうとしたものの、小さなカフェの席間隔はひどく狭苦しく、ご婦人は荷物を置くのに手間取っていた。

こちらはバッグひとつの身軽な調子だったため、良ければ私の向かいの椅子を荷物置きに使ってくれるよう申し出た。

ご婦人はふっくらと頬を持ち上げると、緩やかな仕草で荷物をおろした。

「ゆっくりしてらしたところ、すみませんねぇ」

小さく頭を垂れて、遠慮がちに私の隣へ腰かける。

そして、ぽつりぽつり、それははじまった。

私はもう一度ハーブティーを口にふくむと、彼女の話へそっと耳を傾けていった。



彼女はひとりだった。

子どもはいない。

長年連れ添った夫に先立たれ、今は年金でつましく暮らしている。

彼女の生活は楽ではなかった。

「いつもね、うちでじっとしてるの。本を読んだり、おとうさんのことを思ったり。ときどきお散歩したりね。そうして過ごすの」

彼女は目尻に皺を寄せ、かわいらしい笑顔を灯した。

「それでね、たまあにこうして、お買い物するの。お茶を飲んだりね。何か月も欲しいもの考えてね、それで街に出るの。今日がその日なのよ」

歌うような声だった。

私は彼女の話にとっぷりと身を寄せた。

いつか頭痛の芯は消えていた。

「見て。カーディガンよ。いいでしょう?」

紙袋から取り出されたのは、真っ赤な中に銀のボタンの施された、薄いカーディガンだった。

それはしっとりと彼女の手に抱かれていた。

私は何か強く胸を衝かれ、どうかすると泣きそうになった。

彼女はそんな私にまるで頓着せず、話し続ける。

「それとね、これも買ったのよ」

ひとつひとつの商品がうやうやしく取り出され、狭いテーブルの上に並べられていった。

ハンドクリーム、石鹸、紅茶、クッキー、文庫本。

最後の包みはオリーブオイルで、

「あんまり安いのはだめなのよ。ちょっといいのをね、パンにつけて食べるの。それはもう、おいしいのよ」

カフェの仄暗いライトを浴びて、華奢な瓶の肩が、橙色に光っていた。



30分もそうしていただろうか。

ご婦人はおもむろに腰を上げると、わずかに目を伏せ、そして立ち去った。

彼女の臙脂色のコートの背に、何か私は自らの将来を映さずにはいられなかった。

それは悲しくもあり、また幸福でもあった。

その頃、この国は、そして人々は、どうなっているのだろう。

街の小さなカフェの片隅で、ひっそりと温められる何気ないやりとりを、時代は変わらず許してくれるだろうか――。



ふいに、ポケットの中でスマートフォンが震えた。

もうすぐ夫のやって来ることを、それは静かに知らせているのだった。





          





本日をもちまして、長いお休みに入ります。

みなさま、本当にありがとうございました。

このブログは、私にとって救いの場でした。

言葉に映し、文章へ託す。

それは癒しの作業であるとともに、自己鍛錬でもありました。

今後は、身体の回復をめざしつつ、家族のことに努めてゆく所存でおりますが、その中にもきっと、私は日々考え続けるのだろうと思います。

考えて、考えて、果たして自分の中に何が生まれて来るのか、それを少しだけ楽しみに思いながら、今はじっくり精進いたします。



そして何よりも大切なのは、マリリンの存在です。

彼女が無理なくその生をまっとうし、彼女自身の満足のうちに、旅立ちの日を迎えること。

そのためならば、私たち夫婦は、惜しみなくこの身を捧げるでしょう。



家族3人でいられる時間に感謝し、一日一日を大切に生きてまいります。

夫とマリリンと。

この素晴らしい日々を。



みなさまが、心身穏やかに過ごせますよう、心よりお祈り申し上げます。

どうかお元気で。





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| つれづれ | 09:30 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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たとえばわたしが死んだら ~番外編~

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少し前に、『たとえばわたしが死んだら』シリーズで、飼い主の死をめぐる、“飼い主亡き後問題”について考えた。

今日は、その番外編。

ただし、犬の話ではない。



シリーズのタイトルは、森田童子の楽曲『たとえばぼくが死んだら』にかけたものであった。

森田童子は、1975年にデビューしたシンガーソングライターであり、その存在は謎に包まれている。

友人の自殺をきっかけに歌いはじめるようになったという彼女は、一体どのような思いで、その魂を鳴らし続けたのだろうか。



今の若者たちが抱く無力感とは別種の虚しさを、私は彼女の音楽に感じている。

戦争が終わり、飛躍的な経済成長を遂げ、新しい時代へとひた走るこの国の端っこに、じっと息を潜め、生きていた若者たちの姿があったのではなかろうか。

ぽっかり空いた、社会の死角のような場所に。

高まりゆく気運に乗れず、あるいは乗ることを拒み、そうして立ち止まった者が弾き飛ばされるのは、いつの時代も同じだろう。

そんな若者たちの、狂おしい叫び声が、彼女の音楽から聴こえて来るような気がしてならない。



彼女はメディアに露出することはほとんどなく、小さなライブハウスを中心に、その喉を震わせ続けた。

そして、1983年。

多くの謎を残したまま、彼女は去っていった。

バブル景気にのみ込まれゆく社会から、そっと背を向けるように。



それから、10年後。

じわじわとバブル崩壊へ向かう中、テレビドラマ『高校教師』に彼女の楽曲が使用されたことにより、一気に注目を浴びることとなった。

が、このときも彼女は、一度も表舞台へ立つことはなかったと言われている。



私が彼女の存在に初めて触れたのもやはり、『高校教師』がきっかけだった。

当時中学生だった私は、何気なく眺めていた第1話の映像に、目を奪われた。

センセーショナルなテーマが刺激的に映ったことも、もちろんひとつにはあるだろう。

しかし、あの震えのすべてを、そうした好奇のうちに片づけてしまうのは、少し乱暴のように思われる。

美しい情景と不穏な揺らぎ、繊細で壊れそうな、その世界の悲しさに、私は圧倒され、魅せられたのだった。

そして何より心をつかまれたのは、森田童子の楽曲にほかならない。



それから私の毎日は、『高校教師』一色となった。

体育座りで微動だにせずオンエアに臨み、没頭。

翌日、学校から帰ると、さっそく録画を再生。

オンエアでセリフをすべて記憶し、録画を流す段には、役者より先に恍惚とそれをそらんじた。

ほとんど奇行の域である。

それほどまでに溺れていた私ではあったが、しかし、どこかで思っていたのだ。

いま自分の抱いている、この圧倒的なまでの感情は、思春期特有の高揚感や、幼稚な憧憬から来るものであろう、と。

けれども呆れたことに、どうやら私は、当時からまるで成長がないらしい。

この年になってもなお、『高校教師』のことを思うと、たちまち全身の細胞が震えはじめる。





『ぼくたちの失敗』

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだよね

君と話し疲れて いつか 黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった 部屋に君の好きな
チャーリー・パーカー 見つけたよ ぼくを忘れたかな

だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だね

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだよね





彼女の生み出す歌詞は、丁寧に練り込まれた小説のように、言葉の粒が呼吸している。

ひと息、ひと息、受けとる者の心の襞を、そっと撫でるのだ。

時にたまらない痛みを呼び起こしながら。

シンプルな言葉の連なりの向こうに、誰かの過去や人生を映して見せるのは、やはり彼女の才能と、その鋭敏すぎる感性によるものであろう。

地下のジャズ喫茶~のくだり、“変わらないぼくたちがいた”でなく、“変われないぼくたちがいた”と歌っているところに、当時の私は、はっと立ちすくみ、打ち震えた。

「たった一文字で、語られる背景がまるで違うものになるなんて、言葉の力って、すごいですよね」

文系の先生をつかまえては、そう興奮気味に繰り返し、「その情熱を勉強に向けられないものかね」とうんざりさせてしまったことを記憶している。





『たとえばぼくが死んだら』

たとえばぼくが死んだら そっと忘れてほしい
淋しいときはぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ

たとえば眠れぬ夜は 暗い海辺の窓から
ぼくの名前を風に乗せて そっと呼んでくれ

たとえば雨にうたれて 杏子の花が散っている
故郷をすてたぼくが 上着の衿を立てて歩いている

たとえばマッチをすっては悲しみをもやす
このぼくの涙もろい想いはなんだろう

たとえばぼくが死んだら そっと忘れてほしい
淋しいときはぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ





『みんな夢でありました』

あの時代は何だったのですか
あのときめきは何だったのですか
みんな夢でありました
みんな夢でありました
悲しいほどに ありのままの
君とぼくが ここにいる

ぼくはもう語らないだろう
ぼくたちは歌わないだろう
みんな夢でありました
みんな夢でありました
何もないけど ただひたむきな
ぼくたちが 立っていた

キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日
みんな夢でありました
みんな夢でありました
目を閉じれば 悲しい君の
笑い顔が 見えます

河岸の向うにぼくたちがいる
風の中にぼくたちがいる
みんな夢でありました
みんな夢でありました
もう一度 やりなおすなら
どんな生き方が あるだろうか





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時代の片隅で、ひっそりと命を燃やした若者たちの、小さな声。

森田童子はそれを、自らの痛みとしてその身に刻み、歌った。

音楽にしろ、文学にしろ、そこに託される意義のもっとも重要なひとつに、少数者の声をすくい上げることがあるのではないかと、私は思っている。

もがきながらも必死に生きんとする、声なき声。

それは必ずや、誰かが伝えなければならない。

たとえほとんどすべての人に、その魂の叫びが届かないのであっても。




| つれづれ | 10:32 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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父ちゃん登場!39 ~私たちとMr.Children~

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どーもどーも、父ちゃんです。

今月10日は、私たち夫婦の結婚記念日でした。

そんなわけで、今日は、私たち夫婦にとって、切っても切り離せないアーティストの話をしたいと思います。



Mr.Children。



個人的には、初めてアコギで弾いたアーティストであり、初めてエレキでギターソロを弾いたアーティストであり、初めてバンドで演奏したアーティストということになります。

音楽を始めるきっかけになったアーティストですね。



夫婦二人にとっては、会話をするようになったきっかけ(CDの貸し借り等)であり、一緒にバンドを組み演奏したアーティストであり、その後も事あるごとに登場し、時に支えされ、時に励まされ、いつも私たちの道を照らしてくれていた音楽です。

なぜか、絶妙なタイミングで、絶妙な曲がリリースされたりするんですよねぇ。

そういえば、結婚式でも演奏したな。

まぁ、そんな「Mr.children」について、今日は私なりに書いてみたいと思います。



「Mr.Children」の一番すごいところは、「大衆音楽」を真正面から表現している点だと思います。

「ポップス」は「ポピュラーミュージック」であり、それは「大衆音楽」であると思います。

そしてそれは、「より多くの人の心に根付く音楽」であると思います。

Mr.Childrenは、そうであることを公言しているし、見事に体現しています。



歌詞は、決して具体的になりすぎず、聴き手の経験や感情が入る隙間を残すように設計されています。

たくさんの人が感情移入できるように作られている歌詞が、大衆音楽であるための重要な構成要素です。

そのためには、自分のメッセージはあえてすべて盛り込まず、一歩抑えた表現をすること、それを意識しているのだと思います。

例えば、一番の歌詞では恋愛のことを歌っていて、二番になると世界情勢の話になっていたりすることがあります。

これも多くの人が感情移入できる手法であるとともに、恋愛も政治も世界情勢も、人間関係という意味では同じというか、つながっているのだと感じさせられます。

また、「みんながどこかで思っていたけど、言葉にできなかったもの」を表現するのが巧い。

これもまた、大衆音楽に必要な要素です。

個人的に最も印象に残っているフレーズは下記の3つ。

「あぁ世界は薔薇色 総ては捕らえ方次第だ」
by『CENTER OF UNIVERSE』

「ひとつにならなくていいよ 認めあえばそれでいいよ」
by『掌』

「障害を持つ者はそうでない者より 不自由だって誰が決めんの!?」
by『擬態』


この中でも『掌』の「認め合う」という言葉は、この曲に出会ったとき衝撃が走りました。

それ以降ずっと気にしている考え方です。

人間は十人十色、千差万別、みんな違う。

価値観が合わないことも多いし、正義は立場によって変わる。

だからこそ、人間同士、組織同士、国同士の争いが無くならないのだと思います。

憎しみ合い、排除しようとしているうちは、何も良くなりません。

もし、これらを解決できるとしたら、それは「認め合う」というキーワードなのだと思うのです。

認め合うことは、関わらないでいることともまた違います。

お互いの否定でなく、肯定を目指し、それには、知り、考え、相互に向き合う努力が必要だと思います。

なので、認め合うことは、相当に力のいる作業だと思っています。

私もまだまだですが、目指していきたいところです。

このように、つい考えさせられてしまう言葉や物事のとらえ方が、Mr.Childrenの音楽には散りばめられており、いつも刺激を受けます。



次に、メロディーがやはり、良いです。

印象に残るメロディーを創り出すのが巧い。

個人的に良いメロディーというのは、「着メロにしても良いもの」だと思っていますが、やはりMr.Childrenの曲も、この点が秀逸だと思います。

さらに、「メロディーの運動能力がすごい」ということです。

同じコード進行の中から、紡ぎ出すメロディーのバリエーションが多い、かつ、素晴らしい。

『Dance Dance Dance』で顕著ですが、同じコード進行なのに、全然違うメロディー、しかも、どちらもメロディアス。

これは、やはりメロディーメーカーとしての実力が高いということだと思います。



さらに、この歌詞とメロディーを合わせたときの“爆発力”(うまい表現が見つからない…)が素晴らしいです。

メロディーの抑揚と、歌詞の“ハマり方”がすごいと思うんですよね。

それによって、人の印象に残る度合いがグッと強くなる。

例えば、『Tomorrow never knows』のサビの「果てしない」のように、あのメロディーに対して、ア行から始まるから、もっと言えば「は」であるから、よりインパクトが強まるのだと思います。

あれが「いつまでも」とかだったら、ぜんぜん違うと思います。

このような歌詞とメロディーのハマり具合、バランスみたいなものが、本当に秀逸です。

ここが、Mr.Children(桜井さん)の最もレベルの高い点だと思います。



次に、バンドが同じ方向を向いている、という点。

良い音楽、聴いていて自然だと思える音楽、心地よい音楽というのは、全員が同じ方向を向いている仲間でできた音楽だと思います。

Mr.Childrenは、まさにそれにあたります。

全員が、大衆音楽ということを意識し、メロディーや歌詞を生かすことを考えている。

それらを生かすためのフレーズや音づくりを考え、構成されている。

だからこそ、邪魔をしないし、時に“退屈”なパートとか、“上手くない”と言われるのかもしれません。

しかし、実際のところ、ギターはアルペジオが多く、あれを一つのライブでノーミスで、しかも綺麗に弾ききるのは、それだけでかなりのテクニックが必要です。

ベースも、あれだけ音の粒を揃えて弾ききるのは大変なことですし、ドラムもクリックに合わせてライブで叩くというだけでもかなりの力量が必要なのです。

全員が同じ方向を向き、自分の仕事をし、無駄なことをしない。

それがMr.Childrenである所以であるし、長くトップシーンに居続ける理由だと思います。



彼らの音楽の凄さを書いてきましたが、ほかにも、物事の考え方、バランス感覚など、尊敬するところはたくさんあり、書ききれないほどです。

今後とも、良い歌詞、良いメロディー、良い音楽を届けてくれることを期待しています。

そしてきっと、この先も、私たちの道を照らしていってくれることでしょう。



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| 父ちゃんより | 21:57 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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お知らせ

本日は、ひとつお知らせがございます。

まことに恐縮ですが、今月でこのブログをお休みしたいと思っております。

ここ数か月、自分の中でいろいろに悩んでまいりまして、年末に、こうした結論に至りました。

病気の悪化とともに、さまざまな要因も重なり合い、心穏やかでない日々が続いております。

一時は、ブログを完全に閉鎖しようと考えた日もございましたけれども、夫と相談を重ねる中に、長期の休止といったところへ、ひとつ落ち着きました。

夫が1つ、私が2つほど更新し、その後お休みに入ろうと思います。

再開の予定は立てておりません。

みなさまには、まことに申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。



マリリンは元気にしております。

まだまだ寒い日が続きますので、油断せず、じっくり見守りながら、大事に過ごしてまいりたいと思います。



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先日、久しぶりにブルーくんと遊ばせていただいたマリリン。

うれしい時間を堪能してくれたようで、父ちゃん母ちゃんも、喜びいっぱいでした。

互いの持つ何ものかを、すっと感じ合う2匹。

そこに言葉は必要ありません。

犬というのは本当に、なんとやさしく、愛おしい存在なのでしょうね。



マリリンは今日も、そのやわらかな体温を押しあて、ぴたりと寄り添ってくれています。

私の内に温めている、あるいは信念とも言えるような、ひとつの思い。

それはきっと、いかなる風にも揺らぐことなく、この子とともに生き続けるでしょう。



次回は、あのバンドのお話を、父ちゃんが書いてくれるようですよ。

彼らの芯に流れる、認め合う精神。

私のもっとも尊敬する所以です。




| 私のこと | 08:24 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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今夜も眠れない

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マリです……(芸人ヒロシ風に)


初詣に行って、一年の健康をお願いしたら……


その晩、胃腸炎になったとです……


もう何も信じません……


マリです……マリです……マリです……

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眠れなくなったのは、いつの頃からだったろう。

身体を壊しはじめた頃からか。

確かに当時、すでに眠りは浅かった。

が、今ほど残酷に、夜が時を刻むことはなかったように思う。

とすれば、やはり、救急搬送された夜。

数年前のあの夜を境に、眠りはいっそうよそよそしく、私の身体を避けるようになった気がする。



思えば子どもの頃から、眠りと私との関係は、好ましいものでなかった。

たとえば昼寝など、記憶にある限り、ほとんどしたことがない。

保育園のお昼寝タイムは、そもそも給食の居残りにより、常に廊下で過ごしていたし、家の中で寝るにしても、ただ目を瞑って寝返りを打っていることが多かった。

昼寝願望はおそらく人一倍だが、それがどうしてもかなわぬ体質らしい。

何か神経がピンと張りつめて、それが始終、身体を緊張させる。

考え事など頻りに頭を這いまわっては、心の無になることを許さない。

そうした神経の特性か、あるいはほかに要因が潜んでいるのか、いまいち判然としないが、ともかく、その辺に寝転んでみたり、乗り物の振動に身を任せてみたり、夜を再現し布団にすっぽりもぐり込んでみたり、さまざまに試みるも、まるで眠りはやって来なかった。



中学生の頃、授業中に、いわゆる不良的な友人の寝ている姿に誘われ、私も真似てみたことがあった。

苦手な数学の時間に狙いを定め、いかにも大儀らしく、でろんと机に突っ伏し、別に反抗したいことなどひとつもないのに無理やり反抗的な態度を背中に滲ませ、首尾良く眠りの体勢を整える。

素行不良に映っているだろう自分の姿をまぶたの裏に思い浮かべると、非常に満足のいく心地がした。

授業終了まで、50分間そうして寝続け、チャイムが鳴ると、だるそうに身体を起こしながら、「あれ、終わったん~? 寝ちゃったわぁ」とあくびをしてみせる。

友人らに、「○○ったらずっと寝てんだもん、叱られないかひやひやしちゃったよぉ」などと言われようものなら、「だいじょぶだってぇ。別に叱られたって平気だしぃ」とひらひら手を振りながら、ひとり会心の微笑を浮かべるのだった。

が、実のところ、私は眠ってはいなかった。

50分間、ずうっとだ。

寝よう、寝よう、と焦れば焦るほど、閉じた目の奥に意識が張りつき、頭はいよいよ冴え冴えとして、素行不良のはずが、不覚にもことごとく授業はその身に収録された。

しかも視界が暗く閉ざされているせいか、かえって耳は鋭敏になり、研ぎ澄まされた集中力でもって、ほぼ完璧なまでに。

恥の極みである。

ずっと起きていたんだよ、先生の話もみんなの私語も、ぜぇ~んぶ聞いていたんだよ、などと言えるはずもなく、その後も私は、しばしば苦行の如き居眠りに挑戦しては、悲しく敗北した。



高校生になると、自らの体質に観念した私は、居眠りを諦め、ただ漫然と授業を受けるようになった。

部活動の朝練で疲れているのだろう、ぐっすり寝入る友人らの背を、羨望の眼差しで見守りながら。

時折彼らは、私にこんな言葉をかける。

「○○はいつもちゃんと起きてて、えらいねぇ。寝てるの見たことないもんね。あたしなんてどこでも寝ちゃうんだから、やんなるよ~」と。

私は決まって、へらへら笑いながら、心の中でこう叫ぶのだ。

「ばか言っちゃあいけないよ! どこでも寝られるなんて、アンタは素晴らしい素質をお持ちなんだよ。その素質はね、この先きっと、何度だってアンタの心身を救ってくれるさ」



そういうわけで、昼の眠りに嫌われ続けた私は、20代前半に身体を壊し、間もなく夜の眠りからも拒まれるようになった。

頭痛発作やめまいによって吐き続け、眠るどころでなくトイレでのたうちまわっている日も少なくないが、そういった症状の出ていない、比較的穏やかな夜でさえ、眠りは私を拒絶する。

眠りに良いとされることは、片端から取り入れ実行したが、何の効果もなかった。

ようやくうっすらと訪れてくれた浅い眠りさえ、頑としてそこから沈む気色を見せない。

度重なる悪い夢にうなされては、汗だくで飛び起き、激しい動悸に心臓を揺さぶられては、動転して跳ね起きる。

そんな夜を過ごすうち、ここ数年は、導眠剤なしには一睡もできなくなった。



夫とマリリンの規則正しい寝息に包まれながら、茫々たる暗がりに、無数の不安が忍び寄る。

このまま生涯、私は眠れないのだろうか。

もしも薬の量が増えていったら、どうなってしまうのか。

睡眠不足が引き金となって、また明日も発作に襲われるのではなかろうか。

夫にあらゆる負担を強いて、この先も生きねばならないのか。

痛苦に呻き、社会の役にも立てぬまま、私は一体何のために――。

ぼんやりたゆたう灰色の意識に、若くして自ら命を絶った友人らのことなど、絶えず考えたりする。



さまざまに病院治療を受ける中で、私の持っていた導眠剤に対する躊躇や罪悪感を、ある時ひとりの医師が払拭してくれた。

「導眠剤は生涯のみ続けても大丈夫だから、それで眠ることができるのなら、今は何も心配せずに規定の量をのんでもらって構いません。

心身が楽になることのほうが、あなたにはよほど重要なことですよ」

それは天の声の如く、私を打った。

以来、規定量を守りながら、安心して服用しており、おかげで以前に比べていくらか眠りが近く感じられる。



そうしてすっかり導眠剤と懇意になった私にとって、今やその存在は生活に欠かせないものとなった。

ともに生きる相棒だと言ってもいい。

となれば、知らず知らず顔を出して来るのが、ある種の悪癖だ。

強迫観念にも近い、ストック癖。

ほかに処方されている諸々の薬については、まあ切らさぬようにしておけばそれでいいかなと、さほどの執着はないのだが、導眠剤だけは多めにストックを持っていないと、どうにも落ち着かない。

診察日の重なりによって、1~2日薬が残るのを、地道に少しずつためておき、時折それらを取り出しては、心から安堵の息をもらすのだ。

まるで札束を数えるが如く、錠剤を手に広げてほくそ笑んでいる様は、人間事情に疎いマリ坊でさえ、そのただならぬオーラにドン引きしている。



とはいえ、導眠剤も時に気まぐれなところがあり、毎晩確実に心地良い眠りを届けてくれるわけではない。

何か気がかりや後悔、反省の類いが頭をもたげ、漠たる不安が夜の底まで沈みゆけば、あっという間に朝陽は瞬き、鳥たちのさえずりが響きはじめる。

かくして、眠りとの闘いは、終わることなく、今宵も忍びやかに幕を開けるのだった。

寝室へ続く仄暗い廊下を踏みしめながら、胸を這い上がる不穏な気配に、私は耳をそばだてずにはいられない。

果たして今夜、眠りは訪れるのだろうかと。




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