今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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たとえばわたしが死んだら ~高齢者と犬、再び~

マリリンは、ここのところ、調子が良くありません。

原因不明の下痢が再発したり、胃腸炎になったり。

体力が消耗し、ぐったりする中で、さらにゲリラ豪雨にカミナリと、彼女の苦手なものが次々と。

パニックで鳴き叫び、その後、力尽きて倒れ込んでしまうマリリンに寄り添って、看病していると、大きな力による非情な仕打ちと自らの無力さに、時に無性に腹が立って、思わず窓越しに黒雲を睨みつけます。

「ちょっとアンタたち! この子をいじめて楽しいかい! 黙って耐えてりゃ、やりたい放題! もう~~、いい加減にして!!」

などと悪態をついては、すぐにハッと正気を取り戻し、

「あの、すみません、ごめんなさい。神様、カミナリ様、気を悪くされずに。お願いですから、謝りますから、どうか鎮まってください」

とションボリひれ伏す、その繰り返し。

変なヒトへの道をきわめつつある、母ちゃんでございます。



さて、前回の続き。

『たとえばわたしが死んだら』シリーズ、最終章です。



          



前回、前々回と、もしものときの備え、増えつつある選択肢、それにより救われる犬と飼い主がいる一方で、身勝手な飼い主の存在があること、また犬を迎える責任が希薄になる懸念について、つらつらと書いてきた。



こうした新たな選択肢の活用が想定されているパターンとして、多くの割合を占めるのは、やはり飼い主が高齢者のケースだろう。

事実、高齢者層における犬の飼育率は、近年、格段に上昇している。

以前、『高齢者と犬』という記事に、それらの問題を綴った。

私たち夫婦の考えは、その当時と一貫して変わっていない。

むしろ、実態を知るほどに、よりシビアなものとなっているかもしれない。



高齢者が仔犬を迎え、飼い続けられなくなり、結果、犬が殺処分された事例は、世の中にあふれるほど存在している。

私は、飼い続けられなくなった事情が、“飼い主の老い”であるケースに限定した場合において、それはやむを得なかったよね……と思ったことは、一度もない。

なぜなら、犬を迎えるそのときにはすでに、後々生じる結果に対する予見可能性が十分にあったからだ。



例えば、30歳で犬を飼い始めた場合。

犬の寿命を15歳程度と考えると、犬が亡くなる頃には、45歳。

一方、60代以降の年代、例えば65歳で犬を飼い始めたとすると、犬が亡くなる頃には、80歳。

2012年の日本の平均寿命は男性が79.94歳、女性が86.41歳とのことなので、犬が亡くなる前に飼い主が亡くなっている可能性は、大いに考えられる。

仮に生きていたとしても、犬が介護状態になったとき、80歳近くなった飼い主に、介護が可能だろうか。

我が家のマリリンは下半身不随で、近頃は体調不良も頻発し、私の毎日はそのお世話でいっぱいだけれど、老犬介護に比べたら、心身の負担は軽い。

老犬介護の何分の1の苦労も分かっていないと思う。

それでも、だ。

そんな程度の状況でさえ、毎日黙々と、排泄のお世話や障害から来る身体的なケアをしていくことは、想像以上に体力が必要であるのだと、身に沁みて感じている。

時には、精神的に孤独にもなる。

個人差はあれど、80歳近くなった高齢者にとって、老犬介護は非常に厳しいものがあるのではなかろうか。



この問題について、「高齢者が新たに犬を飼い始める行為は控えたほうが良い」という流れが、わずかながら一時あったように記憶している。

しかし、昨今のメディアの取り上げ方や、肌で感じる空気をじっと見つめてみると、どうもここ最近は、人間の欲求に視点が大きく傾いているらしい。

新しく犬を迎えることを、世の中全体で奨励しているようにさえ感じる。



犬は、高齢者の生きがいとなる。

高齢者の孤独を癒すことができる。

高齢者のさまざまな病気の予防にもなる。

もっとも犬の必要性があるのは、高齢者だ。

飼い主が先に亡くなったり、老犬介護ができなくなっても、老犬ホームや遺言などの方法で、殺処分を回避できる。

何より、保健所から犬を迎えれば、犬の命も救えるし、良いことずくめだ――。



そんな風潮になっている。



もっとも犬の必要性があるのは高齢者だ、という文章が新聞記事から目に飛び込んで来たときには、すっと青ざめた。

“必要性”などという言葉を違和感なく使ってしまうのか……。

暗澹たる気持ちになった。

やはりこの国では、動物はあくまでもペットであり、尊厳を無視されて当然の存在なのだろうか。

最後に挙げた、保健所の犬が救えるという話については、頷ける部分もある。

とりわけ成犬であれば、仔犬から育てるのに比べ、飼い主の負担も少ないだろうし、犬の寿命も、仔犬よりは短いだろうと推定できる。

何よりも、殺処分から犬を救うことができる。

そうなのだ。

そうなのだけれど、シニアに入るくらいの落ち着いた年齢の犬ならともかく、まだ若い2~3歳の犬なら、なにも高齢者が飼い主にならなくとも……と思ってしまう。

飼い主が寝たきりになったり、亡くなったりして、老犬ホームなどに入れられるその保護犬のことを思うと、きりきりと胸が締めつけられる。

犬には、事情など分からない。

であれば、二度捨てられたのと同じなのではないか。

少なくとも、マリリンと生活し、彼女の背負った傷を見つめながら、ぴたりと心を寄せていると、まざまざと感じるものがある。

もしもこの先、施設に入れられることがあったら、この子は大きな絶望に陥るであろう。

彼女の悲しみの音が、きゅうきゅう、きゅうきゅう、空気を震わせ、聴こえて来る。

犬は賢いから捨てられたんじゃないことくらい空気で分かる!と人に言われたこともあるけれど、そう思いたい気持ちは分かるものの、それはどこか、都合の良い、私たち人間の押しつけのように感じる。



保護犬は、心身に、深い深い傷を負っている。

それを引きずりながら、ようやく自分を受け入れてくれる存在に出会えたのだ。

二度捨てられるような思いだけは、させないであげてほしい。

じゃあ、里親希望が高齢者だからという理由でその保護犬がもらわれず、ほかに引き取り手もなくて、殺処分されたとしたらどうするのか、と言われると、うなだれるほかないのだけれど……。



1匹でも多くの保護犬に里親が見つかってほしいと、心から願う。

ただ、今ある命を救うことはもちろん必要なんだけれど、私は、そもそも、こうした保護犬つまりは飼い続けられなくなる犬の存在を減らしてゆくことが重要なのだと感じる。

そのためには、保護犬を希望する人であっても、迎える覚悟、条件は、やはり、厳しいものであってほしい。

予見可能性のなかった、本当にやむを得ない事情が訪れない限り、彼らが、二度捨てられることのないように。





とは言え、一口に高齢者と言っても、実に健康で元気な方もいらっしゃる。

そうした方まで一律ダメ!とするのは、現実的でないように思う。

希望があれば、積極的に保護犬の里親になってもらい、殺処分から救っていただきたい。

そこで今日は、高齢者が新しく犬を迎える際、こうした制度を設けてはどうかという、私たちの提案を記してみたいと思う。



それは、「許可制」の導入。

高齢者が犬を飼う際は許可がないとできない、というものである。



ある日の夫婦の会話が始まりだった。

いわゆる普通養子縁組と違って、6歳未満の乳幼児を夫婦が迎える特別養子縁組は、その性質上、非常に厳しい手続きとなっているのだけれど、それについて話題にしている際、私がふと不満を漏らしたのだった。



「人間のそれと比較すると、犬の場合って腑に落ちないよね。

乳幼児を養子として夫婦が迎えるときには、徹底した厳しい条件をクリアした上に、家裁の許可までいるでしょ?

でもさ、例えば70代の夫婦が、一度犬を育ててみたかったなんて言ってペットショップから仔犬を迎えても、法的に何の制限もないんだよ。

だけどそれが人間の子なら、70代の夫婦が、いくら子どもがほしいって言ったって、乳幼児を育ててゆくには高齢すぎて、現実にはまず家裁の許可が下りないよね。

犬の場合も、高齢者が飼うときに、せめてもう少し厳しくできないかな」



すると夫が、さらりと言った。



「ん? じゃあ、高齢者が犬を飼うときも、許可制を取り入れたら、どうだろう。

愛護センターとかが家裁の役割になってさ」



「・・・・・・



たしかに。



身勝手な飼い主を排除するため、これまでにも愛護団体を中心に、犬を飼うのは許可制にしよう!という提言が叫ばれることはあった。

ただ、全国民対象となると、いかんせん判断基準が曖昧な上、手続きも非常に煩雑になることが予想されるので、実現までには時間が必要だろうと思う。

けれど、高齢者限定なら、許可制導入の明確な理由があり、また判断基準などの議論も深めやすい。

高齢者の許可制導入がうまくいけば、それをモデルとして、犬を迎える際の責任を考える新たな制度の取り組みや法改正への道も開けるかもしれない。



そんなわけで、許可制について、夫婦であれやこれやと検討してみた。



まず、この制度の対象者は、何歳以上とするか。

先ほどの平均寿命も考慮して、60歳以上、とするのはどうだろうか。

今の時代、60歳を高齢などと言ったら大変なお叱りを受けてしまうと思うけれど、犬を飼うという行為は、15年以上先までの想定になるので、ここは60歳以上とさせていただきたいと思う。

次に、許可を与える機関。

これについては、動物愛護センターや、保健所。

さらに、許可の基準については、健康診断の総合判定で、A判定、もしくは異常なしのレベル。

つまり、自ら健康診断を受け、その診断書を添付し、申請することになる。



許可が下りた高齢者は、犬を飼うための将来の想定において、この時点で、若い世代の人たちと大体同じスタートラインに立ったことになる。

つまり、突然の病気や事故など、予見できなかった事情が発生しない限りは、犬が寿命をまっとうするまで飼い続けることができるであろう、と推定されるということだ。



そして、この許可をもって晴れて犬を飼えることとなった高齢者には、成犬の保護犬を迎えてもらう。

というのは、なにもペットショップの仔犬に拘泥する理由はないでしょう、という思いのほかに、やはり年齢的な心配の意味もある。

健康診断が異常なしであろうとも、いま元気いっぱいであろうとも、高齢であることには変わりがない。

認知症の不安も横たわる。

であれば、やはり仔犬を迎えて育てるよりは、成犬の保護犬を迎えてもらうほうが、互いの事情に合致するのではないか。

とりわけ、健康診断もバッチリだしすこぶる元気だけど70歳です、なんて場合は、それこそ7~8才以上のシニア犬クラスを迎えていただきたいと思う。

年齢などの事情を考慮した、その辺りの判断は、許可を出す愛護センターや保健所にある程度の裁量を与えておき、個別に検討してもらう。



とまあ、こんな感じで考えてみたが、問題もたくさんある。

許可のための健康診断は、全国どの病院で受けても、一律まったく同じ結果になるものなのか。

また、診断項目はどのように設定するか。

健康診断がどの程度、医学的基準となり得るのか。

そもそも、人間の寿命を推定するような行為を、制度として設けることができるのか。

愛護センターや保健所にかかる大きな負担をどうするか。

裁量の範囲は、どの程度にするのか。

裁量のあり方に、問題が生じないか。

などなど、議論すべきことは多い。

そして何より最大の壁になるのは、これは動物関連の新しい取り組みすべてにおいて言えることだと思うけれど、ペットショップを始めとした業界が、凄まじい抵抗を見せるであろう、ということだ。

阻止するためには、おそらく手段を選ばない。

実際、とある大手ペットショップの経営者は、「ペットはリタイア後の心のオアシスであり、ぜひ飼うべき。ゆりかごから墓場までの付き合いで、高齢者層を固定客にしたい」などと言っており、高齢者は完全に、今後の市場のターゲットにされている。

とは言え、業界の壁を前にしょんぼりしていても始まらないので、私たちは、自分にできることを、日々考えてゆきたいと思う。





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以上で、『たとえばわたしが死んだら』シリーズは終わりです。

文章ばかりの記事を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。



私たちが思いつく提案は、こんな未熟なレベルの話だけれど、思いは増すばかりです。

少なくとも、自身の老いという予見可能性のある問題は、どうか、なんとかなるさで済まさぬようにしていただきたく思います。

子どもや孫などの家族に頼ることを想定に入れるのも、危ういでしょう。

みな生活に追われ、進学、就職、結婚、転勤、などなど、若い世代を取り巻く環境は、日々変化してゆきます。

「おじいちゃんが面倒みれなくなったら私がみるよ」といった当初の約束が、事情の変化であっという間に反故にされ、犬がたらいまわしになったあげく殺処分されたという例も、たくさんございます。



私たち夫婦は、私の身体の問題などもありますので、一般の方々よりも、リミットを短く決めております。

自分たちの犬として迎えることが難しくなったときには、近所で見かける犬や、外出先でふっと胸を和ませてくれる犬たちをかわいがり、また、保護犬始め、その時代に生じている動物の問題を考えたり、身体が動く数年のうちはボランティア施設へ訪れたり、そうして過ごしてゆきたいと思っております。

世の中の犬がいなくなるわけではございません。

“我が犬”じゃなくとも、愛したい犬たちは、たくさんいます。

新しく自分の犬を迎えようとする際、将来の想定を重ね、その犬の寿命までは厳しいと感じるのであれば、そっと自分の中に線を引くのも、ひとつの愛し方なのではないかと、私たちは思っております。



いま殺処分の運命にある犬たちの命をつなぎたい。

そして、今後、高齢飼い主の増加にともなって、悲しい結果になる犬たちがさらに増えてゆくことのないように……。

願うのは、そればかり。

これ以上、人間の都合に翻弄される命が増えてゆくのは、もうたくさんです。


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たとえばわたしが死んだら ~老犬ホーム~

前回の続きです。



もしも自分が突然死んだら。

愛する犬がひとりぼっちになってしまったら。

飼い続けられない状況に陥ったら……。

それでもどうにかして、殺処分だけは避けたい。

そういった世の中の流れから脚光を浴びているのが、老犬ホームの存在ではなかろうか。

先日、1冊の本を読んだ。



さいごの毛布 (単行本)さいごの毛布 (単行本)
(2014/03/26)
近藤 史恵

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『さいごの毛布』



老犬ホームで働くことになった主人公の女性が、さまざまな思いに身を寄せながら成長してゆくストーリーで、じめじめと重苦しい描き方はされていない。

近藤史恵さんの文章は、会話を中心として読みやすく、展開も早いので、多くの方が抵抗なく楽しめるのではないかと思う。

家族にも世の中にも距離を感じている主人公が、少しずつ自らに向き合い、羽を広げてゆくのを応援しつつ、私も物語の世界を楽しんだ。

けれど、小説の素晴らしさとはまったく別に、何か違和感が残った。

最後のページを撫で、ゆっくり本を閉じたあとも、傍らに眠るマリを見つめ、おなかを抱えてうずくまり、うぅ…と声を漏らして天井を見上げ、何をどうやっても、違和感が拭えない。

この違和感の正体は、一体何だろうか――。





さまざまな人間の事情によって、犬たちは、老犬ホームに入れられる。

その内情を、少し調べてみた。



仕事の都合などで老犬介護ができる状態にない。

もしくは、長引く介護疲れ。

また、人間も犬も年老いて老老介護のような状況になり、限界となった、などなど。

そうした老犬特有の事情により、本来の使われ方として老犬ホームが機能しているのはもちろんだけれど、そのほかに、別の事情により飼い続けられなくなったが保健所の殺処分は避けたい、という人たちによる利用も多いそうだ。

犬はまだ若く、元気だけれど、飼い主の突然の病気などの肉体的問題により世話ができなくなった、というまともなものもあれば、うんざりするような“事情”も多い。

経済的に飼い続けられなくなった。

夫婦の間に赤ちゃんができ、世話ができない、もしくは、一緒に暮らせない。

ペット不可住宅へ引っ越すことになった。

家族の誰も、面倒をみることができなくなった。

忙しくなった。

などなど、などなど、などなど……。
(はい、みなさまお察しの通り、キレてますよ、書きながら。)

要するに、結局のところ、犬を保健所へ連れて行く飼い主の事情と、ひどく似通っているのだ。



本の中の登場人物においても、老犬ホームがあって良かったと私が思えた人たちは、少なかった。

一例を挙げると、次のような場合。

飼い主の女性が突如、思いもよらぬ難病を発症し、身体が衰弱、現在は車いすで生活している。

入退院を繰り返し、とても犬の世話をできる状態にないけれど、必ず治して、いつか愛する犬と再び暮らしてみせるという信念を持っている。

まだ元気で若い女性が、犬を飼う前に自分の難病を予測するなど、到底できなかったであろう。

こういったことは、おそらくやむを得ない事情に入るのだと思う。

ほかにも、あぁ、老犬ホームがあって良かったね、と感じる例はあったけれど、大概は、頭痛のするパターン。

中には、「犬が死ぬところを子どもに見せたくない」などという“事情”まであった。



老犬ホーム側は、そういった身勝手な飼い主を叱り飛ばしたりはしない。

なぜなら、大事なお客さまだからだ。

そこが、愛護団体とは決定的に違う。

どれほど身勝手な事情であろうとも、苦しい経営を助けてくれる顧客であることには変わりなく、とにかくお金さえ払ってくれれば、拒否する理由はない。

一方、飼い主たちは、犬を殺処分から回避してやり、毎月数万円ものお金を支払っていることで、自らの行いに納得する。

それはそうだ。

殺処分に比べたら、はるかに気が軽い。

犬を手離す罪悪感は、薄れてゆくだろう。

本来の終生飼育の義務を忘れ、自分たちが“やむを得ない”と感じている事情に頓着し、しかしそのような状況下でも犬を生かしてやれているという結果を見て、むしろ満足してしまっている飼い主さえいるかもしれない。



私は、それがこわい。

罪悪感が薄れる、ということは、犬に対する、命に対する責任が、薄れるということだ。

犬を迎える際に持たねばならぬ覚悟や準備、将来の想定への認識も、薄れてゆくということだ。



これは本の内容ではなく現実の話だけれど、実際、老犬ホームに犬を預け、自分たちは新しい仔犬を購入するという例もある。

その仔犬が老犬になったら、またホームへ入れて、新しい仔犬を迎えるのだろうか。

高いお金を出しているんだ、自分たちはきちんと責任を果たしている。

そんな満足に浸って。



もちろん、保健所に連れて行く飼い主に比べれば、老犬ホームを利用する飼い主のほうが、愛情ある飼い主と言えるのだろう。

施設側も、あくまでもビジネスという側面は保ちつつも、その中で精一杯にお世話をしているのだから、これまたきっと、愛情深いと言えるのだろう。

けれど、どうしても違和感が拭えない。

飼い主側も施設側も、どれほど愛情があろうとも、何かが抜け落ちている気がしてならない。

考えてゆくと、それは、犬たち自身の気持ちなのではないか、というところに落ち着いた。

一番肝心な、犬たちの存在が、どこか置き去りになってはいないだろうか。



本の中で、老犬ホームのオーナーが言っている。

「老犬ホームがあることで、犬と飼い主との間に選択肢がひとつ増えるの」

それは、素晴らしいことだと思う。

殺処分を回避する可能性を持てるのだから。

だけど……。

犬の立場を想像してみれば、事情も理解できず、何が何だか分からぬまま飼い主と引き離されて、施設に入れられる。

自分の気持ちは捨て置かれたままだ。

一度も面会がなくてもつらいが、あったらあったでつらいだろう。

会いたいと願い続けた飼い主と突然再会し、そしてすぐにまた、引き離される。

定期的に会い、何度も引き離されることによって、犬たちの精神はぼろぼろになってしまうのではなかろうか。



もちろん、本人の意思と関係なく施設に入所させられる例は、人間の高齢者でもたびたび見受けられる。

人も犬も同じことだよ、とも言えるかもしれないが、私は、「責任」の意味において、異なるものを感じている。

おじいちゃんおばあちゃんは、介護する側の人間が赤ん坊として生まれたときにはすでに、この世に存在し、家族なり親戚なりの関係が発生していたはずだ。

つまり、介護する側の人々にとって、おじいちゃんおばあちゃんと何かしらの関係をつくるかどうかの選択権などなかったし、当然のことながら、家族・親戚関係の発生という部分について、何ら責任は生じない。

今日から自分はこのおじいちゃんと親戚関係になろう、などと決意する類いのものではないのだから。

一方、犬はどうだろう。

例外的な特殊事情も時にはあると思うが、大抵の場合、家族に迎えることを、最終的に自分たちが決定している。

「決定」には、必ず、「責任」が発生する。

このブログで幾度も書いてきた、犬を迎えるための覚悟と責任の話だ。

自分が選択し、決定して、犬を迎えたならば、最後まで責任を果たさなければならない。

その、「犬を迎える際の責任」が、老犬ホーム等の受け入れ先の存在によって、どこか軽くなっていってしまうのではないか。

もっとも不安に感じるところだ。



本の中で、施設の従業員が言う。

老犬ホームみたいなところはもっと増えるべきだ、と。

私はその言葉に、どうしても頷くことができなかった。

殺処分を回避する手段として、本当の意味で老犬ホームを必要としている家族のために、全国にぽつりぽつりと存在していてほしいとは感じるけれど、増えるべきだとは、思えない。

犬を迎える際に、将来的に手離す結果になるかもしれないという事情を、わずかでも抱えているのなら、それはやはり一度踏みとどまって、犬の立場に立ってみることが必要なのだと思う。

犬を飼うのはいいことだ、人生を豊かにしてくれる、先に死んだって大丈夫、事情が変わっても大丈夫、いざとなったら老犬ホームへ!

……責任って、そういうものなのだろうか。

もっと重大で、ある種の切迫感を伴った、ずしりと重たいものではなかっただろうか。



これらの懸念は、前回の記事で紹介した遺言やペット信託においても通底しているものと言える。

殺処分を防ごうとする世の中の動きは、素晴らしい。

本当にどうにもならない事情の方々、犬にとって、間違いなく救いとなるであろう。

けれど、罪悪感・責任意識の薄弱化という意味においては、私は手放しの称賛をできずにいる。

動物のために新しい試みや制度が構築されることと、動物の命や尊厳を守ることとは、必ずしも一致しない。

時には、選択肢が増え、さらに罪悪感が薄れることにより、命を迎えることに対する根本的な覚悟も希薄になって、かえって動物たちを苦しめる結果にもなりかねない。

老犬ホームという施設や、さまざまな制度を、どのような人たちが利用し、どう活用されるのかが、今後の鍵となるのではないかと思う。





次回は、予見可能性のある事情についてもう少し掘り下げ、また、私たち夫婦のひとつの提案を書いてみたいと思います。



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| 飼い主亡き後問題 | 11:02 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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たとえばわたしが死んだら ~遺言とペット信託~

子どもからお年寄りに至るまで、誰もが犬を飼う現代。

人間たちはさまざまな事情を抱えており、それがやむを得ないものであるか、身勝手きわまりないものであるかは別にして、事実、飼い続けられなくなる人も多い。

飼い続けられないという判断を下された犬は、運が良ければ里親を探してもらい、命をつなぐことができるけれど、そうでなければ、殺処分が待っている。

愛する我が犬がそのような目に遭わぬよう、もしもの備えとして、自分の死後の準備をする人も増えているという。

そこで、今日から3回に分けて、近年注目されている取り組みや、私たち夫婦の考えなど、綴ってゆきたいと思う。

タイトルは、森田童子の楽曲『たとえばぼくが死んだら』にかけてみた。





死後の準備としてまず最初に考えられるのは、遺言。

遺言は、日付や名前などの形式さえ整っていれば、どんなことを書いても構わない。(それがきちんと遂行されるかどうかは別だけれど)

つまりは、「○○万円を長男に」「△△の土地を長女に」といった財産の振り分けに限らず、犬をどうしてほしいか、誰にどのように飼ってほしいかなど、そうした観念的な希望も記すことができるということだ。

ただ、現在の法律上、犬を相続人として財産を相続させることはできないため、誰かに犬の飼育費用を含めた財産を相続させ、それを犬のために使ってもらうことになる。

となると、相続争いに巻き込まれることもあれば、犬を託された相続人の気持ちの変化も起こり得るし、相続人の善意に頼らざるを得ない以上、犬に対して本当にその財産が使われるのか、非常に危ういものがある。

相続手続きが終わった時点で犬を殺処分されてしまった、というケースもあるようだ。



そこで、司法書士の河合保弘先生が、新たな事業を立ち上げておられる。

ペット信託だ。

この先生、私も研修で幾度かお世話になったことがあるのだけれど、とてもユニークな方。

腰にかかるほどのストレートヘアを風になびかせ、びらびらした飾りのある真っ白なブラウスに、長身を活かしたパンツスーツをぴしゃりと着こなす。

時にはマントのようなコートをまとい、まるで中世ヨーロッパのような出で立ちで、軽やかに登壇。

一瞬にして場内を唖然とさせるも、ひとたび講義が始まれば、あまりの情報量と発想力、常人ならぬ頭のキレに、ノートをとる手が追いつかない。

時代の先を見据え、法律に新しい風を吹き込み、昨日より今日、今日より明日と、常に斬新な発想で仕事をなさる。

私も大きな尊敬を寄せる方なので、ペット信託を構築されたときには、さすが河合先生!と胸が躍った。



ペット信託は、信託法に基づいて手続きされる。

民事信託なので、商事信託と違い、それほど大仰なものではない。

信託銀行等を絡めずに、家族や友人知人、もしくは希望する団体との間で行うことができる。

まず、飼い主を代表にした管理会社を設立。

飼い主の死後にペットに残したい財産を、事前に管理会社に移しておく。

そして、遺言書を作成し、個々の事情を考慮した信託契約書を作成。(受託者への定期的な信託報酬を定めることも可能)

飼い主の死後、もしくは認知症発症や施設入所などにより、信託開始。

相続財産とは切り離した形でペットの財産を確保し、受託者に運用してもらうことができる。

信託管理人として弁護士や司法書士を選任し、飼育費が適切に使われているかを監督させることも可能。

ペット信託は、次の飼い主に犬を最期まで飼育してもらうこともできるし、里親が見つかるまでという期限付きで託すこともでき、個々の事情に対応し得る柔軟性を持っている。

ペット亡き後、残った財産は愛護団体に寄付する、などの定めもできるので、飼い主の思いが最後までつながってゆく。

生身の動物を扱った事柄のため、飼育や里親探しを誰(どの団体)にお願いするか、監督がどの程度機能するかなど、まだまだ課題はあると思うけれど、こうした新しい発想から、動物に対する議論が深められるといいな、と思う。



上記のような、遺言やペット信託の準備は、飼い主が高齢者である場合とは限らない。

ひとりで飼ってらっしゃる方や、自分を含めた家族が突然同時に死んでしまったときのためにも、この制度が活用されている。

いま元気いっぱいの人であっても、愛犬のため、状況の変化に備えるケースが増えているということだろう。



今日の話はここまでとし、次回、1冊の本を中心に、近年にわかに注目されつつある、老犬ホームについて考えてみたいと思います。



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