今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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彼女らのこと

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どういう縁だか知らないが、私はよく見知らぬ人から話しかけられる。

のみならず、それはしばしば身の上話へと発展する。

決まって年上の、それもほとんどが女性だ。

最初は、天気がどうの、今からどこへ行くの、さして意味のないやりとりからはじまる。

それがどうしたことか、ふいに、彼女らの胸の、こつりとした何ものかに触れる瞬間があるらしく、そのあたりから大抵、色合いが変わって来る。

ぽつりぽつりと身辺事情を話し出したかと思えば、彼女らは次第にその語りへ深く身を沈め、いつか人生のよろこびや悲しみを瞳に映しはじめるのだ。

まだ学生だった時分、電車でたまたま隣になったご婦人の話に耳を傾けるうち、ついに彼女の目から大粒の涙があふれ出し、目的の駅で降りるに降りられなくなって、はるか先の町まで寄り添った日もあった。

彼女らの背景には、ドラマチックにしろそうでないにしろ、彼女らだけの抱える、震えるような思いが隠されていた。

私はというと、まさか年の離れた女性に人生の教訓など諭すはずもなければ、むろん善人ぶった道理を説くわけでもない。

自分のような者が話を聞いて一体何になるだろうと思いながら、彼女らの生きてきた日々を、ただ静かに見つめるだけだ。



先日、夫婦そろってちょっとした用があり、とあるカフェで夫の来るのを待っていた。

その日彼は休日出勤で、午後3時頃まで仕事が入っていたのだ。

辺りに広がる珈琲の香りに、しばしば鼻孔を誘惑されつつも、胃腸の弱っていた私は、ハーブティーなど飲みながら、読みかけの本を読んでいた。

悲しい男の話だった。

神経的な病苦の末、自死するよりほかなかった男のその運命に、私は心を痛めないではいられなかった。

彼の発狂は、本を閉じた後もなお、じくじくと胸に迫って来た。

それは、自らの神経もまた、暗がりに侵されはじめていることを、冷然と告げていた。

馴染みの頭痛の芯が、すでに左目の奥に兆している。

薬を取り出そうと、目を閉じたままバッグへ手を伸ばした、そのとき。

「ここ、いいかしら」

顔を上げると、隣の席の前で、60代と思しき痩せたご婦人が、臙脂色のコートを揺らして立っていた。

「はっ、ああ! どうぞどうぞ! ぜんぜん空いてますから!」

にわかに絶望から引き戻され、頭と心の一致を見ないまま、私はともかく応じた。

すっかり冷めてしまったハーブティーを口にふくむと、ようやく現実を理解する。

通路を挟んだ向こうにもいくつか席は空いていたが、その付近で子連れの集団がけたたましい笑い声を上げていた。

私は急いで、脱いでいたジャケットなど引き寄せながら、できるだけ空間を広く作ろうとしたものの、小さなカフェの席間隔はひどく狭苦しく、ご婦人は荷物を置くのに手間取っていた。

こちらはバッグひとつの身軽な調子だったため、良ければ私の向かいの椅子を荷物置きに使ってくれるよう申し出た。

ご婦人はふっくらと頬を持ち上げると、緩やかな仕草で荷物をおろした。

「ゆっくりしてらしたところ、すみませんねぇ」

小さく頭を垂れて、遠慮がちに私の隣へ腰かける。

そして、ぽつりぽつり、それははじまった。

私はもう一度ハーブティーを口にふくむと、彼女の話へそっと耳を傾けていった。



彼女はひとりだった。

子どもはいない。

長年連れ添った夫に先立たれ、今は年金でつましく暮らしている。

彼女の生活は楽ではなかった。

「いつもね、うちでじっとしてるの。本を読んだり、おとうさんのことを思ったり。ときどきお散歩したりね。そうして過ごすの」

彼女は目尻に皺を寄せ、かわいらしい笑顔を灯した。

「それでね、たまあにこうして、お買い物するの。お茶を飲んだりね。何か月も欲しいもの考えてね、それで街に出るの。今日がその日なのよ」

歌うような声だった。

私は彼女の話にとっぷりと身を寄せた。

いつか頭痛の芯は消えていた。

「見て。カーディガンよ。いいでしょう?」

紙袋から取り出されたのは、真っ赤な中に銀のボタンの施された、薄いカーディガンだった。

それはしっとりと彼女の手に抱かれていた。

私は何か強く胸を衝かれ、どうかすると泣きそうになった。

彼女はそんな私にまるで頓着せず、話し続ける。

「それとね、これも買ったのよ」

ひとつひとつの商品がうやうやしく取り出され、狭いテーブルの上に並べられていった。

ハンドクリーム、石鹸、紅茶、クッキー、文庫本。

最後の包みはオリーブオイルで、

「あんまり安いのはだめなのよ。ちょっといいのをね、パンにつけて食べるの。それはもう、おいしいのよ」

カフェの仄暗いライトを浴びて、華奢な瓶の肩が、橙色に光っていた。



30分もそうしていただろうか。

ご婦人はおもむろに腰を上げると、わずかに目を伏せ、そして立ち去った。

彼女の臙脂色のコートの背に、何か私は自らの将来を映さずにはいられなかった。

それは悲しくもあり、また幸福でもあった。

その頃、この国は、そして人々は、どうなっているのだろう。

街の小さなカフェの片隅で、ひっそりと温められる何気ないやりとりを、時代は変わらず許してくれるだろうか――。



ふいに、ポケットの中でスマートフォンが震えた。

もうすぐ夫のやって来ることを、それは静かに知らせているのだった。





          





本日をもちまして、長いお休みに入ります。

みなさま、本当にありがとうございました。

このブログは、私にとって救いの場でした。

言葉に映し、文章へ託す。

それは癒しの作業であるとともに、自己鍛錬でもありました。

今後は、身体の回復をめざしつつ、家族のことに努めてゆく所存でおりますが、その中にもきっと、私は日々考え続けるのだろうと思います。

考えて、考えて、果たして自分の中に何が生まれて来るのか、それを少しだけ楽しみに思いながら、今はじっくり精進いたします。



そして何よりも大切なのは、マリリンの存在です。

彼女が無理なくその生をまっとうし、彼女自身の満足のうちに、旅立ちの日を迎えること。

そのためならば、私たち夫婦は、惜しみなくこの身を捧げるでしょう。



家族3人でいられる時間に感謝し、一日一日を大切に生きてまいります。

夫とマリリンと。

この素晴らしい日々を。



みなさまが、心身穏やかに過ごせますよう、心よりお祈り申し上げます。

どうかお元気で。





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| つれづれ | 09:30 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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たとえばわたしが死んだら ~番外編~

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少し前に、『たとえばわたしが死んだら』シリーズで、飼い主の死をめぐる、“飼い主亡き後問題”について考えた。

今日は、その番外編。

ただし、犬の話ではない。



シリーズのタイトルは、森田童子の楽曲『たとえばぼくが死んだら』にかけたものであった。

森田童子は、1975年にデビューしたシンガーソングライターであり、その存在は謎に包まれている。

友人の自殺をきっかけに歌いはじめるようになったという彼女は、一体どのような思いで、その魂を鳴らし続けたのだろうか。



今の若者たちが抱く無力感とは別種の虚しさを、私は彼女の音楽に感じている。

戦争が終わり、飛躍的な経済成長を遂げ、新しい時代へとひた走るこの国の端っこに、じっと息を潜め、生きていた若者たちの姿があったのではなかろうか。

ぽっかり空いた、社会の死角のような場所に。

高まりゆく気運に乗れず、あるいは乗ることを拒み、そうして立ち止まった者が弾き飛ばされるのは、いつの時代も同じだろう。

そんな若者たちの、狂おしい叫び声が、彼女の音楽から聴こえて来るような気がしてならない。



彼女はメディアに露出することはほとんどなく、小さなライブハウスを中心に、その喉を震わせ続けた。

そして、1983年。

多くの謎を残したまま、彼女は去っていった。

バブル景気にのみ込まれゆく社会から、そっと背を向けるように。



それから、10年後。

じわじわとバブル崩壊へ向かう中、テレビドラマ『高校教師』に彼女の楽曲が使用されたことにより、一気に注目を浴びることとなった。

が、このときも彼女は、一度も表舞台へ立つことはなかったと言われている。



私が彼女の存在に初めて触れたのもやはり、『高校教師』がきっかけだった。

当時中学生だった私は、何気なく眺めていた第1話の映像に、目を奪われた。

センセーショナルなテーマが刺激的に映ったことも、もちろんひとつにはあるだろう。

しかし、あの震えのすべてを、そうした好奇のうちに片づけてしまうのは、少し乱暴のように思われる。

美しい情景と不穏な揺らぎ、繊細で壊れそうな、その世界の悲しさに、私は圧倒され、魅せられたのだった。

そして何より心をつかまれたのは、森田童子の楽曲にほかならない。



それから私の毎日は、『高校教師』一色となった。

体育座りで微動だにせずオンエアに臨み、没頭。

翌日、学校から帰ると、さっそく録画を再生。

オンエアでセリフをすべて記憶し、録画を流す段には、役者より先に恍惚とそれをそらんじた。

ほとんど奇行の域である。

それほどまでに溺れていた私ではあったが、しかし、どこかで思っていたのだ。

いま自分の抱いている、この圧倒的なまでの感情は、思春期特有の高揚感や、幼稚な憧憬から来るものであろう、と。

けれども呆れたことに、どうやら私は、当時からまるで成長がないらしい。

この年になってもなお、『高校教師』のことを思うと、たちまち全身の細胞が震えはじめる。





『ぼくたちの失敗』

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだよね

君と話し疲れて いつか 黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった 部屋に君の好きな
チャーリー・パーカー 見つけたよ ぼくを忘れたかな

だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だね

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだよね





彼女の生み出す歌詞は、丁寧に練り込まれた小説のように、言葉の粒が呼吸している。

ひと息、ひと息、受けとる者の心の襞を、そっと撫でるのだ。

時にたまらない痛みを呼び起こしながら。

シンプルな言葉の連なりの向こうに、誰かの過去や人生を映して見せるのは、やはり彼女の才能と、その鋭敏すぎる感性によるものであろう。

地下のジャズ喫茶~のくだり、“変わらないぼくたちがいた”でなく、“変われないぼくたちがいた”と歌っているところに、当時の私は、はっと立ちすくみ、打ち震えた。

「たった一文字で、語られる背景がまるで違うものになるなんて、言葉の力って、すごいですよね」

文系の先生をつかまえては、そう興奮気味に繰り返し、「その情熱を勉強に向けられないものかね」とうんざりさせてしまったことを記憶している。





『たとえばぼくが死んだら』

たとえばぼくが死んだら そっと忘れてほしい
淋しいときはぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ

たとえば眠れぬ夜は 暗い海辺の窓から
ぼくの名前を風に乗せて そっと呼んでくれ

たとえば雨にうたれて 杏子の花が散っている
故郷をすてたぼくが 上着の衿を立てて歩いている

たとえばマッチをすっては悲しみをもやす
このぼくの涙もろい想いはなんだろう

たとえばぼくが死んだら そっと忘れてほしい
淋しいときはぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ





『みんな夢でありました』

あの時代は何だったのですか
あのときめきは何だったのですか
みんな夢でありました
みんな夢でありました
悲しいほどに ありのままの
君とぼくが ここにいる

ぼくはもう語らないだろう
ぼくたちは歌わないだろう
みんな夢でありました
みんな夢でありました
何もないけど ただひたむきな
ぼくたちが 立っていた

キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日
みんな夢でありました
みんな夢でありました
目を閉じれば 悲しい君の
笑い顔が 見えます

河岸の向うにぼくたちがいる
風の中にぼくたちがいる
みんな夢でありました
みんな夢でありました
もう一度 やりなおすなら
どんな生き方が あるだろうか





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時代の片隅で、ひっそりと命を燃やした若者たちの、小さな声。

森田童子はそれを、自らの痛みとしてその身に刻み、歌った。

音楽にしろ、文学にしろ、そこに託される意義のもっとも重要なひとつに、少数者の声をすくい上げることがあるのではないかと、私は思っている。

もがきながらも必死に生きんとする、声なき声。

それは必ずや、誰かが伝えなければならない。

たとえほとんどすべての人に、その魂の叫びが届かないのであっても。




| つれづれ | 10:32 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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女子トイレのカオス

今日は、女子トイレのお話です。



近年、公共施設における女子トイレがにわかに注目を浴びている。

より快適に、よりおしゃれにと、さまざまな工夫がなされているようだ。

都市部のデパートや大きな駅ビルなどに並ぶそれらは、瀟洒な洋館を思わせる佇まいで、私などかえって萎縮してしまうほどの素敵空間となっている。

トイレが良いと、女性客が入る。

経済番組などに目をやれば、そのような言葉を耳にすることも多い。

トイレの充実化を図るということが、営業戦略の一環となっているのだろう。

がしかし、こうした流れは、都市部の、しかも一部に集中しており、小さな駅や古くからある施設のトイレの多くは、いまだ昔ながらのどんよりした暗さを残している。

なんかいろいろすみませんねぇ、とばかりに隅に追いやられ、外も中も清潔とは言いがたい。

清掃の方が不足しているということだろうか。

それもひとつの要因なのかもしれないが、しかし、いちばんの要因は、人の目から離れた、とりわけ異性の目から離れた閉鎖的空間の中で、人間の本質が露呈してしまうからだと私は思っている。



たとえば、個室。

足を踏み入れると同時に、思わず立ちすくむ瞬間がある。

汚れの類いだけでなく、ペーパーの散乱、ゴミの放置など、好き放題に荒されたその状況は、たちまち胸を暗くさせる。

みなさん自分の家や人様の家ならば、決してあのような使い方はしないだろう。

たまに順番待ちをしていて、扉の向こうから美しいお姉さんが颯爽と現れたりすると、「この人の後なら、まず嫌な思いはしないだろう」と半ばウキウキ(?)しながら入るも、無残にペーパーのむしり取られた跡など、あれやこれやの見たくなかった光景を前にし、何か裏切られたような心地で、寂しく嘆息をもらすのだった。



また、個室の外、洗面台においても、それは如実に現れる。

手を洗おうとする人を無視し、私は譲りませんよ、という気迫を無言のうちに背中にみなぎらせ、顔だの髪だのを執念くいじっている様は、何とも虚しい光景だ。

パウダールーム(男性トイレにもあるのだろうか? メイク直しなどに使われる、鏡のついた空間のことです)のようなものが併設されているところでは、その台の上にファンデーションやチークの粉をまき散らし、髪の毛をバラバラ落としながら、平気で立ち去る女性も少なくない。

ふりかけた香水の、その強烈な化学物質的ニオイを残して。

個室の場合と同様に、ここでもゴミの放置が見受けられることは、言うまでもない。

先日は、ばちんばちんと豪快に爪切りをしている人までいた。

もちろん彼女は切り落とした爪をそのままに、涼しい顔で立ち去って行った……。



まさに、カオスとしか表現のしようがない。

女子トイレの至るところに、人間の本質が散らばっている。

整えられた身だしなみに最上級の笑顔を携え、さわやかに表舞台へと戻った女性を見て、誰が思うだろうか。

たった今、彼女がトイレをカオスにしてきたなどと。



何年か前、仕事で外回り中、小さな駅のトイレに立ち寄った。

当時の私と同年代くらいの女性が、洗面台を陣取り、それはあんまりじゃないですか、と思うような汚し方をしていて、たまらずゴミ箱を指し示し、注意をしたところ、「はぁ!? 掃除のおばさんがやるんだからいいんだけど!? うっせぇな!」とすごまれたことがあった。

私はそのとき、頭の中をどす黒く陰湿な悪魔に支配され、「この女性に今後訪れる予定であった幸せが、汗水流し、他人の汚れを掃除してくださっている方に、すべて移転しますように」と、心の底から祈った。

誰かが汚したら、誰かが嫌な思いをする。

そして必ず、誰かがそれを、片付けねばならない。

悪魔の祈りを唱えたとき、心はひどく殺伐としていた。

女性のまき散らした汚れと、徒労に満ちた空虚なやりとりに、私の中で、あっという間に殺伐が生まれていたのだ。

誰かの生んだ殺伐は、その隣の人へ、また隣の人へと伝染し、社会に蔓延してゆくだろう。

そしてまた、何の罪もないどこかの誰かが、負の連鎖の犠牲となる。



今年の春のこと。

とある施設のトイレで、手を洗おうと洗面台へ向かうと、30代くらいの女性と、その母親らしき60代くらいの女性が、おしゃべりしながら、その場をふさいでいた。

洗面台は2つきりしかなく、譲ってもらわねば、手の洗いようがない。

が、それが何か? と言わんばかりの様子で、娘はバサバサ髪をとかし、母親はパタパタ粉をはたいている。

私の前には、袖をまくって手を洗う準備を整えた女性がひとり、すでに待っていた。

20歳くらいだろうか、細い肩の、楚々とした女性であった。

後ろに2人も並ばれたことが気に入らないのか、いかにも不服そうに眉根を寄せて、娘が鏡越しに私たちを睨んだ。

その目に、いつかの女性の、あの尖った目つきが重なった。

胸の奥がざわついた。

親子はいっこうに譲る気色を見せない。

前の女性は黙って佇んでいる。

さすがに痺れを切らした私が、手だけ洗わせてもらえないだろうかと声をかけようとしたとき、気の済んだらしい親子がポーチをバッグにしまいはじめた。

ようやく立ち去るようだ。

が、ホッとしたのも束の間、親子の身体が離れると、露わになった洗面台の有り様に、私は絶句した。

「掃除のおばさんがやるんだからいいんだけど!?」

かつて投げられた言葉が、にわかによみがえる。

生まれた殺伐は、心をざくざくと刻みはじめていた。

そのとき。

前に立つ女性の華奢な身体が、さっと動いた。

バッグからポケットティッシュを取り出し、汚れを拭くと、散らばる髪の毛を拾い、ゴミを集めはじめたのだ。

しばし呆気にとられていた私も、我に返って、弾かれたように彼女の後に続いた。



きれいになった洗面台に立ち、無言のまま、並んで手を洗う。

私たちの間に流れていたのは、言葉にしがたいよろこびだった。

「黙って人の汚れをきれいにするなんて、めったにできることじゃないですよ。

私、胸がいっぱいになっちゃって。

本当に尊敬します、ありがとう」

思わずそう言っていた。

女性は、「いえっそんなこと……」と小さく頭を振ると、耳を赤らめ、俯いた。



私はその日からしばらく、とても清々しい気持ちで、穏やかに過ごした。

周囲の人たちにやさしく接することができ、さらにその笑顔に触れるたび、良い連鎖の生まれていることをはっきりと感じた。

そういうことなのだ。

きっと、そういうことなのだろう。

人を動かすというのは。

かつてゴミ箱を指し示し、傲然と注意を向けた自分の姿が、恥ずかしさとともに苦く込み上げる。

あの日、あの人は、おそらく自らの行為を省みないばかりか、私への反感から、いっそう頑なになって、不必要な苛立ちを増殖させたに違いない。

この混沌とした社会を変えゆく小さな光を、私は年若い彼女の、その清冽な姿に見た。







          







さて、こちらは、休日の家族全員さんぽにハリキリ中! のマリリン。



って、あれ??



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お鼻のとこ、どしたの?




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「何かしら? みんなしてアタシの顔、覗き込んじゃって」



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「かわいいって罪ね~♪」


いや、違う違う。

ほらアンタ、汚れてまっせ。



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どうやら、土が付いたらしい。

マリリンは、車いすだからってこともあるけれど、めったに顔を地面にこすりつけることはないので、これには父ちゃん母ちゃん大喜び!

新鮮な出来事に、大いに笑った。



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「顔が汚れたってだいじょーぶ! 外見ばっかきれいにしたってだめなんです」





<お知らせ>

諸事情により現在少し余裕がなく、お問い合わせ、ご相談等にも対応できませんので、メールフォームのメッセージ管理は、今後父ちゃんがいたします。
(基本的には返信できませんので、その旨ご了承いただけると幸いです)
フォーム自体を閉じようかとも思いましたが、事務連絡すらまったく取れなくなるのは不便なように感じ、残しておくことにしました。
みなさまには、まことに申し訳なく存じます。
マリ坊は元気ですので、ご心配には及びません。
ブログの更新はこれまで通り週一くらいを目標にしておりますが、期間のあいてしまうこともあるかもしれません。
どうぞよろしくお願い申し上げます。




| つれづれ | 08:37 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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人間という罪

怒っている。

猛烈に怒っている。

まったくここ数か月、体調不良も甚だしく、四六時中やってくる頭痛とめまいと身体の痛みに、日々、神経が衰弱する。

マリ関連を行う以外には、寝込んでいるか、呻いているか、吐いているか、落ち込んでいるか、泣いているか、怒っているか、そのいずれかだ。

過激すぎないか。

大丈夫だ、狂ってはいない。

何の話だ。

そうだ、怒っている。

疲れきった頭が最後の力を振り絞ってビリビリ唸るほど、私は怒っている。

全国の犬の遺棄事件に始まる、昨今の嫌なニュースのかずかずにだ。



今日は違う話をつらつらと書こうと思っていた。

が、こんなネットニュースを目にし、記事を変更せざるを得ない気持ちになった。





老いた飼い主の死や健康問題によって行き場がなくなってしまうペットが増えている。

関東地方のある自治体が運営する動物愛護センター職員は、深刻な表情でこう打ち明ける。

「近年の動物愛護の意識の高まりもあり、犬や猫の殺処分の総件数は年々減っています。しかし飼い主が先に亡くなったり、老人ホームに入って面倒を見られなくなったりしてこちらに送られてくるペットは後を絶ちません。つい先日も、進行がんを患う80歳の女性が飼い犬を連れてやってきました。彼女は“15年一緒に暮らしてきたワンちゃんだけど、離れて住む子供たちは引き取ってくれない。この子を遺して死ぬわけにはいかない。せめて楽に死なせてあげてください”と涙ながらに訴えてきました。本来であれば“もっと新しい飼い主を探す努力をしてください”と断わるべきところですが、その女性の事情を踏まえて引き受けました。犬はすべてを理解しているかのように、ずっと悲しげな表情を浮かべていましたね」

この犬はそれからまもなくして殺処分となった。

このように、「飼い主に先立たれたペット」の処遇が社会問題になっている。

内閣府の調査によれば、60~69歳の36.4%、70歳以上の24.1%が犬や猫など何らかのペットを飼っているという。

一方、65歳以上の単身高齢者の割合は増え続けている。

高齢者人口に占める1人暮らしの割合は1980年には10.7%だったが、2010年には24.2%になった。

1人暮らしの老人たちにとって、ペットがかけがえのない「家族」である実態がうかがえる。

しかし必ずしも看取る側が人間であるとは限らない。

今やペットとして飼われる犬の平均寿命は14歳2か月まで延びている。

猫も13歳8か月となっている(いずれも2013年調査)。

生活環境やペットフードの進化などにより、かつての2倍近く長生きするようになったのだ。

だからこそ、冒頭で紹介したような悲劇が次々と起こっている。

四国地方の地方紙記者は、こんな事件に出会った。

「田舎のアパートで1人暮らしをしていた85歳女性の孤独死を取材しました。郵便受けからあふれる郵便物や、漂ってくる異臭に隣人が気づいて発見されたのですが、部屋の中では腐敗しかけた女性の遺体の傍にガリガリにやせ細ったペットの犬が横たわっていた。犬はなんとか一命を取り留めましたが、もし数日発見が遅れていたら手遅れだったそうです。飼い主の死後も、ずっと寄り添っていたんでしょう」

※週刊ポスト2014年11月21日号




飼い主亡き後問題については、ブログの下記の記事で綴っている。

たとえばわたしが死んだら ~遺言とペット信託~

たとえばわたしが死んだら ~老犬ホーム~

たとえばわたしが死んだら ~高齢者と犬、再び~

私情が入りまくりの文章で読みづらく、非常に恐縮なのだが、情報等はそこに入れているつもりなので、機会があればぜひ一度目を通していただきたい。



以前、所用により、とある田舎町を訪れた際、そこで暮らす方々の話に、背中が冷たくなったことを覚えている。

地域一帯、70~80代の独居、もしくは老夫婦の世帯で形成されており、そのほとんどが、犬を飼っているという。

住民いわく、「みんな、そこらで売ってる小型犬よ」だそうだ。

私はその話を聞いた晩、押し黙った犬たちが、1匹、また1匹と、保健所へ運ばれ、殺処分されてゆく様子をまざまざと夢に見た。

それは間もなく、現実のこととなるのではなかろうか。



上のニュース記事の中に、せめて楽に死なせてあげてください、といった文言があるが、周知の事実とは思いながら念のため書いておくけれど、殺処分は安楽死ではない。

たとえ、麻酔処分であってもだ。

それから、“ペットは家族”だの、“犬も家族”だののフレーズを、この手の話に白々しく持ち出すのはやめていただきたい。

記事中の、「ペットがかけがえのない「家族」である実態がうかがえる」という部分は、「ペットが都合の良い道具として扱われている実態がうかがえる」の間違いのように、私には思える。

家族ならば、やっぱダメでした、で殺すだろうか。

70代や80代で、仮に肉体的にそれが可能であったとしても、子どもをもうけたりするだろうか。

対象が人間ならば滅多にしないことを、犬だから、してしまう。

結局のところ、家族だなんだと言ったって、多くの人間にとって、犬はペットの域を超えないではないか。

ならば、きれいな言葉で覆い、問題の本質を曖昧にぼかすのは、やめていただきたい。



また、こうした問題を語る際、お年寄りの孤独や、人間のさまざまな事情を、涙ながらに並べて語り、議論しづらい、何も言えない空気をつくり出す傾向も、私は違うと思う。

なぜ決まって、出発点が人間なのか。

誤解を恐れずに言うならば、我が家含め、犬を飼うこと自体が人間のエゴだろう。

であれば、せめて穏やかにその生をまっとうできるよう、いらぬ苦しみを与えないようにする必要がある。

そのためには、犬目線になって考えてみることではないか。

人間目線では、人間にとって都合の良い結論が先に定まっていて、そこに着地するため、あーだこーだと、正当化の理由をつけていくことになり、複雑化する。

むろん、私たちは犬そのものではないのだから、犬目線になると言っても限界はあるけれど、それでも、人間の感情や事情を起点に物事を考えるよりもはるかにシンプルで、はるかに問題が見えやすい。



先ほどの田舎町の話に戻る。

70代、80代の方々に犬を売るのは、おそらく町のペットショップだろう。

そのペットショップに犬を卸すのは、命を命と思わぬ繁殖業者たちだ。

使い物にならなくなった犬を遺棄したり、さらに他の業者へ転売するような、心の麻痺した人間たちだ。

犬を取り巻く問題は、すべてつながっている。(知るということ



昨年施行された改正動物愛護法によって、行政が引取りを拒否できるようになったことは、確かに第一歩だとは思う。
(業者のみならず、一般家庭の飼い犬についても拒否できるようになった)

がしかし、このブログでも何度も懸念を書いてきたように、処分に困り山に捨てる連中が出てくることは容易に想像された。

大量遺棄だからニュースに取り上げられるが、1匹2匹じゃ、騒がれないだろう。

引取りを拒否された一般家庭の飼い犬が山などに捨てられ、誰にも知られぬまま死に至る事例も発生しているのではないかと思われる。

引取り数や殺処分数の減少という、そうした数値の比較だけでは見えてこない、冷たい闇の部分が多すぎる。



法改正それ自体は、もちろんしたほうがいい。

国民の意識を喚起し、さまざまな議論がなされるというだけでも、十分な意義があると思う。

ただ、普遍的な価値観や感覚をものさしにして法改正を行っても、根本的な解決にはならないだろう。

なぜなら、悪い連中は、どんな手を使ってでも、金儲けをするからだ。

良心や法律への怯えなど、彼らに期待してはいけない。

おそらく、犬をつくること自体がこの世から消えぬ限り、今の枠組みの中で何をどう改正しようとも、必ず抜け穴を見つけ、またはこじ開け、いやもうむしろ法律自体を無視し、彼らは売り続けるだろう。

それはそうだ。

買ってくれる者がいるのだから。



人間の業は、どこまでいっても、変わらない。

孤独の癒しとして。

人間のための道具として。

そこに需要のある限り、さまざまな形で、犬たちは苦しみ続ける。



もう、終わりにしないか。

人間が、その手によって、犬をつくることを。

人間が、その都合によって、犬を使用することを。







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マリ坊はとても元気です。




| つれづれ | 10:33 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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坊ちゃんアレルギー

と言っても、私が坊ちゃんにアレルギーを起こしたのではない。

坊ちゃんを突如襲った、正体不明のアレルギーの話だ。



長野から戻り、しばらく頭痛とめまいに見舞われていたのが、だんだんと鎮まってきて、ようやく生活を取り戻しつつあった、ある日の暮れ方。

ちょっとした作業をしていると、昼寝をしていたマリ坊が、定位置であるテーブルの下から這い出てきた。

起きた~? と声をかけながら、視線は手もとの読み物へ据えたまま片手を伸ばし、頭を撫でる。

おむつ替えをしようかと、作業に区切りをつけ、改めてマリ坊のほうに目を向けた。

あれ?

何かちょっと、口のまわりが腫れてる……?

間近に見ると、少々赤みを帯びて、唇ぜんたいがもったりしている感じがした。

病院が頭をよぎるのと同時に、車のことがよぎった。



以前にも書いたことがあるけれど、私は免許取得後、10数年運転から遠ざかっていたペーパードライバーだった。

そしてある時を境に、一念発起し、何とか運転できるようになろうと、週末に夫の指導を受けている。

第一に、夫のいない平日、緊急でマリ坊を病院に連れて行かねばならなくなった時、私ひとりで任務を遂行できるようにするためだ。

せっかちで荒っぽい運転マナーにたじろぎ、幾度も泣きそうになりながら、根気強く練習を重ね、近頃では一応、人並みの運転はできるようになった。

が、夫の指導は非常に厳しく、人並みでは許されない。

とりわけ危険予測に対する要求はたいへんなもので、あらゆる場面のあらゆる危険をすべて予測できると言いきれない私は、まだ真の合格をもらえていない。

夫が家にいる時、ごく近所の店までひとりで往復してみたことはあるにはあったが、マリ坊を乗せて私だけで、というのは、まだ経験がなかった。



困ったな、どうしよう……。



とりあえず、ネットで少し調べてみた。

急に口まわりが腫れてくる病気として代表的なものは、歯周病などの歯関係と、アレルギー。

その時点では、アレルギーは該当可能性が薄いように思えた。

なぜなら、いつもと違う食べ物はあげておらず、雨が降ったり止んだりで散歩も行っていない、その日は夕方までひたすら部屋で寝、時折気まぐれに窓辺の監視業務に勤しんでいたくらいで、変わった行為を何ひとつしていなかったからだ。

この辺りの無知を、私は後に大反省することになる。



一方、歯の病気については、思い当たる節がありすぎた。

もともと、この子の歯は獣医さんらも首を傾げるほど状態がひどく、避妊手術の際、一緒に処置してもらった経緯がある。

現在は、日に3度の食事の都度、歯みがき用品を使ってケアしている。

それでも、ひとたび歯石取りをするとかえって歯石が付きやすくなるというジレンマ的な仕組みの表れか、もしくは何かひどい状態だった頃の名残があるのか、あるいは単なるそういう体質か、いまいち判然としないが、ケアしても、ケアしても、なかなか良い状態を保つことができずにいた。

そのため、歯周病から来る歯肉炎などを起こしたとしても、何ら不思議でない。

どころか、早晩それはやって来るだろうと、覚悟さえしていた。

この歯関係というのはたいへん厄介で、歯周病等を発症してしまうと、全身麻酔で抜歯しない限り、炎症が頻発し、悪化の一途をたどることが多い。

抜歯を選択しないのならば、抗生剤等で対応しつつ、最大限苦しみを取り除いてやる方向で、あらゆる策を練らねばならない。



明日は休日だから、みなで朝から病院だな。

先生とじっくり今後の対策を話し合わないと……。

歯の病気の困難さを思い、ある種の決意を持って考えをめぐらせていると、マリ坊が、ブルブルッ、ブルブルッと、ほとんど自棄を起こしたように、繰り返し頭を振り始めた。

ちょっと見せて、と顔を覗き込む。

ひぃぃぃ~!!

わずかな間にさらに腫れてきてる!

これは一体……。

私は、「慌てるな、まず記録!」と頭で唱え、手早く写真を撮った。

これまで、この子に降りかかったかずかずの病気を前に必ずそれを行ってきたことが、いつか習慣となり、夫の冷静な呼びかけがなくとも、身体が反応したらしい。





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「ちょいと、口に何かが付いてるんだよ。どうにかしとくれよ……」





その日、夫は夕方から夜にかけて、代わりのきかない重要な仕事が入っており、帰宅が深夜になることがわかっていた。

連絡したところで、帰って来られるわけではないし、過剰な心配をかけ仕事の邪魔をするだけだ。

もう迷っている場合ではなかった。

いま出れば、診療時間内に十分間に合う。

まさにこういった時のために、これまで運転の練習を重ねてきたんじゃないか。

パーカーを引っ掴み、マリ坊の外出セットを抱え、お金を用意、家じゅうの戸締まりを確認すると、夢中で玄関を飛び出した。



すでに濃い闇が辺りに重く垂れ込めていた。

マリ坊と荷物を車に乗せる。

近くの家の開け放たれた窓から、いつもの子どもらの、いつものにぎやかなはしゃぎ声が聴こえてきた。

いつもと同じということが、何か妙に心強く感じられ、涙が込み上げた。

自分は冷静であると思っていた。

ひとつひとつのことを冷静に、着実に進めていると思っていたが、玄関の鍵に何度も車の鍵を当てていたあたり、やはり動揺していたのだろう。

そうこうしているうちにも、見る間に腫れは広がり、目もとから耳の付け根にまで及んで、この時すでに顔ぜんたいが変形し始めていた。

慌てている時こそ、運転には細心の注意を払わねば。

しかも私は、マリ坊を乗せて初めて、ひとりきりでそれを行うのだ。



教習所における路上運転さながらに、人や動物がいないか、前後左右、車の下まで点検する。

運転席に乗り込み、ハンドルを握ると、その手がガクガク震えていることに気がついた。

いったんハンドルから手を放し、縮こまった喉を無理やり押し広げ、ひとつ深呼吸する。

マリ坊は、クレートの中でしきりに頭を振っていた。

エンジンをかけると、おなかの辺りがすうっと落ち着いた。

降り出した細い雨に、ワイパーを作動させる。

横たわる闇をライトで払いのけ、静かにアクセルを踏んだ。

馴染みの道の、馴染みの標識を、改めてすみずみまで確認する。

対向車のライトがいやに眩しい。

何か過ぎ行く車がみな、私の運転を監視しているように感じた。

飛び出しがないか、次の展開で予測される危険は何か、頭と目で考える。

きんっと音のするような集中が車内に張りつめていた。

これまで学んだ危険予測のすべてを押さえながら前進し、ついに車は病院の駐車場へすべり込んだ。

我ながら、夫に二重丸をもらえるような運転だったのではないかと思う。



車を停めると、受付に順番を取りに走った。

平日の夜と言えども、待合室は診察待ちの方がそれなりにおられ、マリ坊が診てもらえるのは、まだかなり先になりそうだった。

ちょうど出てきた看護師さんに、状況を話す。

「口もとが腫れてきて、その後みるみるうちに顔ぜんたいに腫れが広がって……」

震えてうまく口がまわらない私の説明を、彼女は瞬時に把握してくれた。

一緒に駐車場へ走り、車で待っていたマリ坊の状態を確認。

「緊急性のある場合がございますので、すぐに先生の判断を仰いだほうがいいと思います」

そう言うと、慣れた手つきでマリ坊を抱え上げ、院内へ戻った。

私は彼女のテキパキとした行動を、すがりつくように見ているしかなかった。



マリ坊が診察室へ入ると、全身が震えてきて、立っていることができず、すぐそばにあった椅子の背もたれを掴み、倒れ込むように座った。

後悔しかなかった。

緊急性があったかもしれないのに、無知と浅慮からアレルギーの可能性を早々に除外し、私は呑気に歯の病気など調べていたのだ。

結局こうして車で駆け込む決心がつけられるのなら、いちばん最初に口もとに腫れが生じた時点で、その時点で、なぜ私は決心をつけなかったのか。

あとからあとから目尻に涙がもり上がり、ぼろぼろとこぼれ落ちた。



「だぁいじょうぶ」

ふいに、左の耳へ、静かな声が来た。

震えながらカクカクと顔を向けると、隣の椅子の、シーズー犬を抱いたおじいさんが、笑顔で頷いていた。

「だぁいじょうぶ、だぁいじょうぶ。落ち着いて」

その穏やかな声と、やさしい笑顔に、私の目からはいっそう涙が落ち、一方でたとえようのない心強さに打たれ、それから震えは徐々におさまっていった。

代わりに、母としての責任と覚悟が、身体の内に凛と立つ。



それから間もなくして、ぼってりと顔をふくらませたマリ坊が、先生に抱えられ、姿を現した。

診断結果は、アレルギー。

緊急性は回避された。



いつもと違うものを口にしていないこと、特に変わった行為をしていなかったこと、その他諸々の状況判断から、おそらく食物ではなく、何かの化学物質が原因ではないか、ということだった。

例えば洗剤の成分であったり、例えばカーペットや家具の何かの成分であったり、日常的に人間が使用するものに含まれるあらゆる化学物質が、犬にとってはアレルギー症状を引き起こす要因となり得る。

普段は何もなくとも、免疫力が低下している時など、突如、身体が反応を起こすことがあるのだと言う。

何の成分、何の化学物質に反応したのかを特定することは、ほとんど不可能に近い。

ひとまず今回は、注射で鎮静化させることになった。

今後また起こらないとも限らないが、免疫力低下等の要因がそろった時に発生すると予測されるため、そう頻繁なことではないと考えられ、何か治療をしていくという必要は、今のところはない。

仮に頻発する場合は、さまざまな選択肢を考えてゆく。

先生がおっしゃったのは、そういった内容であった。



秋口、気温が下がってくるとアレルギー症状を起こす犬が増えるらしい。

その話になった瞬間、思わず先生の目を凝視した。

先生もこちらを見、私の頭に浮かんだことを見通すような顔で、大きく頷いた。

「マリリンちゃんは、去年も寒くなるにつれて、だんだん不調が増えましたよね」

あの冬のキリキリした胸の痛みが、一気に思い起こされた。

マリ坊に残されている神経が不具合に陥り、奇妙な色をした下痢が止まらず、体重が落ち、一時は歩くこともままならず、寝ても覚めても不安のまとわりつく日々が延々と続いた。

明確ではないが、おそらく寒さが原因であろうと言われていた。

今年も夏が過ぎ、涼しくなってくるとともに、てんかんと下痢に対しては注意を払っていたけれど、こんな具合に脇から突いてくるとは……。

短い秋の向こうで、すでに準備運動を終えているであろう冬を思い、今年はどうなるのだろうかと不安が胸を往来する中、マリ坊は注射を打たれ、診察が終了した。



ひとまずの安堵に身をゆだね、マリ坊を車へ運び、会計に戻る。

迅速に対応してくださった先生とスタッフさんたちに、心からのお礼をお伝えし、その帰り際。

どうしても一言お声をおかけしたく、先ほどのおじいさんのほうへ行き、お礼を言いながら、シーズー犬を撫でさせてもらった。

「この子はね、数か月前に捨てられた子なんだよ」

突然の言葉に、はっとおじいさんを見た。

「ほんとですか!? うちの子も保護犬なんですよ」

今度はおじいさんが、驚きに目を見開いた。

マリ坊が待っているので、わずかな間のことだったけれど、シーズー犬の抱える事情を聞いた。

病名は伏せるが、重い病を発症し、治療してやれないからと飼い主さんに捨てられてしまうことになり、それを聞きつけたおじいさんご一家が、その子を引き取ったのだそうだ。

そしてご家族は、病院で手術を選択し、成功。

現在も根気強く治療を続けている。

おじいさんは言わなかったが、おそらく経済的な負担はたいへんなものであったろうし、素晴らしい日々であることには違いないはずだけれども、当然そればかりではなかっただろうとも思われる。

おじいさん一家へのあらゆる想像が、一瞬のうちに身体じゅうをめぐった。

確かにここに、救われた命がある。

そのことが、穏やかな顔でおじいさんに抱かれるシーズー犬の、これ以上ないほど幸せに満ちた瞳の中に映し出されているように思えた。

マリ坊のアレルギー騒動で神経が昂り、少し興奮状態だったこともあるだろうか、「よかったねぇ~、よかったねぇ~」とシーズー犬を撫でながら、みっともないくらいに涙をこぼした。



そして再び、教習所並みの安全運転を心がけ、車を走らせる。

家に着き、玄関を開けた瞬間、圧倒的な疲労が来た。

うずくまる私のまわりを、すっかり元気を取り戻したマリ坊が、はしゃいで飛びまわる。

顔の腫れは、先生のおっしゃっていた通り、注射を打ってから見る間にひいてゆき、家に帰り着く頃には、いつものシュッとしたマリ坊に戻っていた。





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↑目の腫れの、かすかな名残



2014年秋。

坊ちゃんはまたひとつ、新たな世界を体験したようです。



そんなこんなで母ちゃんは、ひとまず力尽きました。




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