今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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「かわいそう」の言葉

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みなさま、こんにちは♪

今日は、ブログお休み前の、最後の記事です。

一緒にお付き合いいただけたら、うれしく思います。

私が子どもの頃からずっと考えてきた、ある言葉についての、お話。





マリリンと一緒に暮らしていて、よく掛けられる言葉の年間記録ダントツトップ。

常に不動の第1位を守り抜いている、あの言葉。

それが、「かわいそう」です。



みなさまは、この「かわいそう」という言葉、どんなときに使ってらっしゃいますか。

この言葉に、違和感を覚えたことは、ありませんか。



私たちは、マリリンとの散歩の中で、また外出先で、一日に何度となく、「かわいそう」と言われます。

眉をしかめ、隣の人の腕をつつき、「やだ~うそ~」と両手で口を押さえて。

子どもたちも、ほぼ全員が、そろって判で押したように、「かわいそう~」「かわいそうな犬~」。

みなさん一様に、悲嘆にくれ、同情に酔い、“心を込めて”「かわいそう」の言葉を置いていきます。



穏やかであるはずの、散歩の時間。

過度な同情、また嫌悪の発露として私たちに向けられる言葉は、実にさまざまです。

「悲惨」「むごい」などはお馴染みであり、時には、この飼い主はこの犬にどんな過失を行ったのだ!(よもや故意じゃあるまいな!?)という“愛犬家”による非難の声もめずらしくありません。

陰鬱な気配を伴って背後から忍び寄り、差別的な言葉をささやかれることもございます。

そういった、身体の芯が一瞬にして青ざめる類いとは違いますが、「かわいそう」は、それに匹敵する息苦しさをもたらす言葉であり、私たちは、ひどく、胸が冷え冷えとするのです。

毎日のことなのに、いまだに慣れることができません。







「かわいそう」には、2種類の使い分けがあるように思います。

1つは、何かちょっとした出来事が起こったときに使う、「かわいそう」。

例えば。

小さな子どもが転んでしまった → かわいそうに、痛かったねぇ~。

風邪をひいて寝込んでしまった → 具合悪いのかい、かわいそうに、つらいねぇ。

自分一人だけお留守番になった → 一緒に行かれなかったの?それはかわいそうに。

これらは、比較的、軽めの使い方です。



それに対し、もう1つの使い方としては、本人にはどうにもならない境遇のようなものを対象にした、「かわいそう」。

例えば。

さまざまな障害、病気に対して。

親がいないなどの、人生における境遇に対して。



両者とも、「同情」がベースとなっていることについては共通するところですが、2つ目の「かわいそう」が向けられるのは、本人にはどうすることもできない事象です。

1つ目の「かわいそう」においては、例えば転んでも傷はすぐに治るし、いやなことがあってもいつかは過ぎ去る。

けれど、2つ目の「かわいそう」の対象は、本人に何の責任もなく発生し、本人にはどうすることもできないまま、大抵は、継続する事象です。



また、基本的に、「かわいそう」という言葉は、目下の者に対して掛ける言葉であることも、重要なポイントだと思います。

例えば、おじいちゃんが孫に対して「おうおう、痛いのかい、かわいそうになぁ~。」と使うのは、孫は目下の者であるわけですから、当然何ら違和感は感じません。

しかし、障害や病気、境遇に対しては、どうでしょう。

なぜ、下に見る必要があるのか。

こういった方々に対し、なぜ人は上から目線になってしまうのでしょうか。

そこには、優越が存在しているからだと思うのです。

2つ目の「かわいそう」は、同情がベースであるものの、その向こうに、好奇や優越が見え隠れします。

「どういう状態なのかもっと見たい、事情をもっと知りたい」という好奇。

「自分や自分の家族は健康で良かった、“普通の”家庭で良かった」という優越。

そういった精神が、身体のどこかに存在しているのではないでしょうか。

自分は、2つ目の使い方の「かわいそう」を、親しみと優しさをもって使用している、という方もいらっしゃるかもしれません。

それは、おそらく、「かわいそう」を口にする側のみが抱いている感情です。

どうか、少し立ち止まり、あらためて想像してみていただきたいのです。

自分が障害や病気を持っているとして、他人から、「あの人かわいそう」と言われている場面を。

そこに、本当に、親しみと優しさを、感じられるでしょうか。

その言葉を向けられ、やわらかな気持ちになるでしょうか。







「かわいそう」

私がこの言葉について深く考えることになったのは、小学生の頃でした。

私も、小学生までは、2つ目の使い方で「かわいそう」を使っていた一人だったのです。



あれは、小学校4年生くらいの頃でしたでしょうか。

それまで校内の養護学級で勉強していた、知的障害のある女の子が、私のいるクラスで一緒に学校生活を送ることになりました。

養護学級がなくなるためか、はたまた何か大人の事情があったのか、その理由は、記憶しておりません。

とにもかくにも、ある日突然、彼女がクラスに加わったのです。

そして、○○ちゃん係という係がつくられ、先生から私が任命されました。

いま思えば、○○ちゃん係などと言う名称自体が問題であろうと思いますが。

なぜ私が任命されたのかは、はっきりと分かりません。

それまでも頼まれ事をいつも引き受けていたので、おそらく言いやすい子どもだったのだろうと認識しています。



当時、私は、いじめを受けていました。

ボス的な女子の目の敵にされ、そのボスにクラスの女子が従っていたという、よくあるパターンです。

いじめは、保育園から続いていました。

きっかけは、私の虚弱体質です。

常に色々な病気にかかっていたので、病院から運動その他の制限を設けられることが多く、何かと周囲と同じことができませんでした。

あれもできない、これもやっちゃだめ。

身体を動かす類いのことは、ほとんどできません。

みなと同じ内容の生活を送れないことは、逆に言えば、私だけ特別扱いをされているように見えたのだと思います。

人を貶めることで自らの平穏を得ようとする、そんな人間の根源的な性質が、わずか5歳足らずで十分に備わっていることを知りました。



そして、運のないことに、小学校に上がった際、保育園で一緒だったそのボス女子と、また同じクラスになってしまったのです。

クラス替えのない学校でしたので、6年間、耐え続けなければなりません。

朝から夕方まで、誰からも言葉を交わしてもらえず、ボス女子の鋭利な悪口に身を切られ、それに従う笑い声に心をえぐられる毎日。

年に数回、なぜかボス女子が私の存在に許しを与えるときがあり、その間だけ、ほかの女子がぎこちなく会話をしてくれます。

うれしいのです。

悪口を言われず、みながしゃべってくれるのは、とてもとても、うれしいのです。

同時に、つらかった。

一瞬でも喜びを知ってしまった心は、それを知る前よりずっと、弱く、脆い。

許されたあと、再び私の存在を消される日。

それは、永遠に許されないよりも、つらいものでした。



私は、いじめを受けている自分を、ひどく恥じました。

長年いじめが続いているのは、自分の存在そのものが、悪なのかもしれない、と。

目立たないように、目立たないように、存在を消し、ひとりで過ごしました。

むせかえるような悪意にまみれ、その中心にうずくまり、ひっそりと、呼吸するだけ。

クラスの中で生きながら、私はそこにはいなかったのです。

生まれて数年で知る、圧倒的な絶望でした。



唯一救われたのは、本を読む時間。

休み時間に、それぞれのグループでおしゃべりに集中したり、校庭へ遊びに行ったり、連れ立ってトイレに行ったりする間、自分の席で、本の世界に入ります。

頭の中は、自由です。

その自由を奪い、支配することは、誰にもできません。

とりわけ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』との出会いは、特別なものがありました。

ジョバンニとカムパネルラの、痛みを共有する鋭敏な感受性と、やさしさに満ちた想像力。

そして知る、それぞれにとっての、「ほんとうの幸(さいわい)」。

息も吸えないほどの涙をもたらしたその物語は、小さな胸に、ひとつの光を見せたのです。

生きることへの、切なく、狂おしい光。

「ぜんたいの幸福なくして、個人の幸福なし」

私にとって、魂の奥底を揺さぶられるメッセージでした。

たくさんの物語が、私の中で生きてくれたから、生きることをおしまいにせずに済みました。



そんな中、突然に始まった、障害を持つ彼女との生活。

ぴたりと机を寄せ合い、試行錯誤しながら、身のまわりのことを行いました。

日常会話は難しいため、ごく簡単な単語を用いて、互いの意思をやりとりします。

うれしかったのは、「○○ちゃん」と、私の名前をすぐに覚えてくれたこと。

私たちは、少しずつ、少しずつ、気持ちを分け合ってゆきました。



彼女は、よだれが流れてしまいます。

垂れるというよりは、口元からあふれ出て、流れているのです。

子どもながらに、「ずっとこんなに流れていて、水分が足りなくなるのではないだろうか」と心配しました。

クラスに来た当初は、よだれ掛けのようなものを装着されておりましたが、彼女はそれがあまり好きではないようです。

それに、あまりに流れ過ぎて、よだれ掛けでは間に合いません。

何枚かタオルを用意し、よだれを拭くことにしました。

嫌がるかな、と不安に思いながら、そっと口元に手をやると、最初こそ驚いたようにこちらを見たものの、それ以降は、自分から口を出してくるようになりました。

2~3分置きにはあふれ出るので、授業中も休み時間も、常に一緒に行動しました。

そのうちに、あっちに行きたい、こっちに行きたい、と意思表示をしてくれるようになり、休み時間に彼女と校舎を歩くのが楽しみになりました。

私ばかりが、何かをしていたわけではありません。

彼女との生活が始まってから、あれほど虚弱で病気ばかりしていた私の身体が変わりました。

少しずつ寝込む日が減り、学校を休むことが少なくなってきたのです。

肉が食べられないことで、居残りばかりしていた給食。

肉の入った器を見つめ、ぽたぽた涙を落とす私の背中を、彼女はいつも、遠慮がちに撫でてくれました。



ぴたりと寄り添って生活する、私たち。

いじめられっこと、障害を持つ女の子。

当然、好奇と悪意の対象となります。

よだれを拭くのが汚いと言って、私へのいじめは悪化しました。

けれど、こわくなかった。

彼女がいたから。

彼女の笑顔は、まさに向日葵のようでした。

眉毛の上で切りそろえられた前髪を揺らし、ほかほかと笑う、あの笑顔。

彼女は、いつも、日向の匂いがしました。



そんな彼女との日々が始まり、少し経った頃のこと。

休み時間に、彼女とふたりで校舎の中を歩いていました。

ひとりの先生が、前からやってきます。

先生は、彼女が私のクラスにやって来たことは知っていましたが、私と彼女が寄り添って過ごしていることは知らなかったようで、その場で少し話をしました。

私は、彼女との豊かな日々について、伝えました。

先生は、目を細めて聞いてくれています。

そして、話の中で、私は、例の言葉を口にしたのです。


「○○ちゃんはね、障害があるのはかわいそうだけど、でもすごくがんばってるの。」


にこやかな先生の顔が、少し曇りました。


「ん? ちょっと待って。」


そう言って、私の目を見つめます。


「かわいそう、かな?

○○ちゃんは、かわいそうだと思う?

かわいそう、という言葉は、何か違うと思わないかな?」


ひゅうと喉がつまり、緊張が走ります。

どくん、どくん、どくん、どくん。

心臓が、大きく波打ちました。


私は、先生にまで、嫌われてしまう。


ぐにゃりと地面が歪むような、強い恐怖に襲われたのです。

自分の失敗により、先生を失望させてしまったこと、そのことが、とてもこわくて、ショックでした。


「ごめんなさい。」


真っ白になった頭で、隣の彼女と先生に、謝りました。

先生は、言います。


「ううん、怒っているんじゃないよ。

ただ、少しだけ、考えてみてもらえないかな、かわいそうという言葉について。」




それから、ずっとずっと考えました。

隣で笑っている彼女を見つめながら、授業中も、帰り道も、家に着いたあとも。

一晩中考え、翌日、先生に会いに行きました。


「先生、かわいそう、という言葉は、違いました。

この言葉は、障害を持つ人を下に見ていることになります。

上も下もないのに、知らない間に、自分が上のような気がしていました。」


緊張で涙があふれ、途中から嗚咽も混じります。

先生は、ゴシゴシと頭を撫で、抱きしめてくれました。


「よ~し! よく考えたね。

先生はそれが言いたかったんだよ。

考えて、報告してくれて、うれしい。

よくがんばった!」


先生の手の温かさに、安堵の気持ちがあふれ出し、どっと泣きました。

これが、私が「かわいそう」について考えた、最初のきっかけです。





それから。

彼女との濃密な時間は、静かに、そして豊かに流れました。

卒業式の日。

式が終わり、そろそろ帰りの支度を、というところで、彼女のおかあさんが、彼女を連れ、私のそばへやって来ました。


「今まで、本当にありがとう。」


そう言って、ギュッと手を握ってくれました。

続いて、彼女の顔を見つめ、ゆっくりと言います。


「○○ちゃんとは、今日でお別れだよ。 ありがとうって言おうね。」


おかあさんの言葉にきょとんとした彼女は、しばし黙りこくっていました。

そして、私の顔を見つめると、次の瞬間、びっくりするほど大きな声をあげました。

顔を真っ赤にして、全身を震わせ、泣いたのです。





彼女との日々は、大人になった今も、たびたび思い出します。

あの向日葵のような笑顔が、きっとどこかで、ほかほかと咲いていることを願いながら。

今、彼女に、無性に会いたいです。





          





今日から当面の間、ブログはお休みに入ります。

今後のことは、わかりません。

ひとまずは、何も考えず、マリリンと一緒に心身を整えたいと思います。



ブログはこのまま残します。

リンクはフリーですので、ブログそのもののリンクや、特定の記事のリンクなど、貼ったり剥がしたり、ご自由にしていただいて構いません。

リンクなさる際、事前のお申し出は不要でございます。

できれば、ブログをリンクしましたよ、○○の記事をリンクしましたと事後報告を一言いただけるとありがたいですが、なくても構いません。

ブログ内の写真や記述についての転載は、お断りさせていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。



今後は、マリリンに会いに来てくださる方、何かの検索でお越しくださり、拙い過去記事に目を通してくださる方、またフィラリア等でお悩みの方にゆっくりしていっていただける場所になれたら、幸いに存じます。

メッセージについては、しばらくこのまま拍手コメント欄を残しておきますので、そちらからお願いいたします。

どの記事の拍手コメント欄に書いてくださっても、私たちのほうに届きます。

いただいたコメントは、ひとつひとつ大事に拝読させていただきます。

大変心苦しいですが、お返事はできませんことを、お許しくださいませ。





このブログに訪れた方が、どんなお気持ちで記事をご覧くださっていたか、それは分かりませんが・・・。

私自身は、本音の部分と向き合い、保護犬、車いす、フィラリア、障害などを巡る思いを、ひとつの信念の中で、書き記してきたつもりでおります。

お休み前の最後の記事となりました今日のお話は、自分の中で、精神を削られるものでした。

いじめに関する記憶が、今もこれほど心身を乱す存在であることに、驚きます。

人間に最も必要なものは、「想像力」である。

小学校の日々の中、私はその思いにたどり着きました。

あれから、さまざまな道程を歩み、30代を迎えましたが、その生きづらさのようなものは、いまだ連綿と続いております。

ブログというネットの世界で発信することは、私にとって、つらいことの絶えない日々でした。

けれど、ブログのやりとりを通じて忘れられない出会いに恵まれたことも、大切な事実です。

マリリンがつないでくれたご縁に、感謝します。

いつも温かく見守り、応援してくださったみなさま、本当にありがとうございます。

今日までやってきたことに、ひとつも後悔はありません。





この世界は、とても、生きづらい。

しかし、私もこうして生き続け、さらなる未来に向かい、歩いております。

夫とマリリンに出会えたことに、感謝の思いが尽きません。




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「あたしのことだよ!!」



そう、マリリンに、価値観も生き方も、変えられました。

彼女の生きる姿に。

どこまでも無垢で、静かな瞳に。



これから、動物たちに、恩返しをしたいです。

同時に、生きづらさに苦しんでいる人たちに、寄り添いたい。

胸の奥底に、震える魂を持っている、そんな人。

たくさんつらい思いをしていると思います。

容赦のない、この社会の中で。

そんな方々に寄り添うものを、書いてゆくことができたら・・・。

それが、今の私の、小さくて頼りない、ひとつの願いです。



みなさま、本当にありがとうございました。

またお会いできる日まで。



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「みんな、ありがとう! またね~!」


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悲しい光景

みなさま、こんにちは♪

愛護センターシリーズ最終章に、たくさんの思いを寄せてくださって、本当にありがとうございます。

おひとりおひとりのお言葉、大事に拝読させていただいております。



今日は、動物の話ではありませんが、ずっと考えていたことをテーマにしました。

半年以上も前の古い話で恐縮ですが、ある出来事を軸に、思いを巡らせてみたいと思います。







よく、バスに乗ります。

一人での車の運転がちょっとアレなもので、駅周辺の病院に行く際など、けっこう頻繁に利用します。

用事を済ませると、駅のロータリーから再びバスに乗って家に帰るのですが、そこでよく見かける方がいるのです。

車いすの男性。

年は若そうで、背筋がピンと伸び、運転手とのやりとりなどを耳にしても、とてもしっかりした青年です。

私の病院と青年の用事がどうも似たような時間帯らしく、2~3週間に一度は会うので、彼のいる空間は私にとっておなじみの光景となりました。

必ず時間に余裕を持ってバス停に到着し、みなさんの列の横でバスを待ちます。

そして、すでに待機しているバスを1本やりすごしてから、次のバスが到着すると、運転手の手を借り、乗車します。

始発のため、発車までは5~6分。

余裕です。

乗車の際は、運転手がガッチャンガッチャンと座席を動かしてスペースを用意し、車いすの車輪が上れるよう戸口に板状の器具を立て掛け、青年が乗り込み、車いすを固定するといった具合。

その間、少々の時間がかかるのと、次々とやってくる乗客に待っていてもらわなければならないので、バス付近は一時的に、ざわりと空気が揺れます。

バスに乗る。

ただそれだけの行為が、毎回、注目の的。

本当にうんざりするだろうな、と思わずにはいられません。



運転手も、同じ時間帯だからと言って同じ人とは限らないようで、対応は様々です。

イライラが出てしまっている運転手、妙に張り切り過ぎて空回りする運転手。

前者はもってのほかですが、後者も少々厄介で。

大げさに腕まくりしながら、「そ~れ!!よいしょ~!!」なんて大きな掛け声をかけられると、必要以上に人々の視線を集めてしまいます。

また、このあと到着予定のバスを待っている際に、すでに待機している先発のバスから運転手が苛立たしげに降りてきて、


「ちょっと!これに乗るの!?」


と問いただす場面も。

迷惑そうな様子が、眉間のしわに、じめじめと表れています。


「いえ、次のバスです。」


青年が簡潔にこたえると、


「あ、なんだ、そうなの~。」


あからさまに機嫌が良くなって、ニコニコ。

やれやれ、面倒に巻き込まれるところだった~、という心境なのでしょうか。



青年は、おそらく周囲の迷惑にならないようにとのことだと思いますが、できる限りの準備をし、10分以上前にスタンバイ、完璧な状態で乗車に臨みます。

Suica等のカードだと、降りる際に運転手にピッとやってきてもらう手間をかけるからでしょうか、運賃は、お釣りのないよう小銭を用意し、きっちり握り締めています。

「○○までです」と目的地を告げ、その運賃を先に運転手に渡しておくのです。

これで、降りる際の時間も最小限にすることができます。

そんな風に、細心の注意を払い尽くした彼の気遣いを見ていて、すごいな~と思うのと同時に、これまでどれほどいやな目に遭ってきたのだろうか、と考えてしまいます。



そして、青年の日々の生活が、ヒリヒリとした痛みをもって想像されるような、そんな出来事がありました。

今年の2月か3月頃でしたでしょうか。

北風が強く肌を叩き、とても寒い日のこと。



いつものように、病院を済ませ、バスに乗るためロータリーに行くと、ちょうどその青年がバスに乗ろうとしているところでした。

あ、また会ったな、と思いながら、少し離れて立ち止まります。

青年に余計なプレッシャーをかけたくなかったので、バスに乗る人間じゃない風な位置で、ぼーっと駅の人ごみを見ていました。

すると。


「ちょっと! 早くしてよ! 寒いじゃない!」


鋭い声が飛びました。

そちらを見やると、声を発したのは、青年が乗ろうとしている間にやって来たお客さんのようです。

60代くらいの女性2人。

バス停に来て乗車しようと思ったら、目の前の青年が乗るのに時間がかかっている。

寒さに耐えられないんだけど!

ということでしょうか。



運転手は、「すいませんね~、ちょっと待っててくださいね~。」と、女性らをなだめるように笑顔をつくり、青年は、黙って乗車の作業を続けていました。

その目には、悲しみも怒りもありません。

今までにも経験しておられるのだと思います、こんな場面を。

女性らは、周囲からじろじろと注目を浴び、さらに苛立ちが膨れあがったのか、最初より大きな声で、急かします。



「ちょっと!! 早くして!!」



ひどく、悲しい光景でした。



そして、青年が乗車し終えると、ダンダンダンッ!!とバスの床を踏みしめ、怒りをあらわにしながら後ろのほうの席へ乗り込んで行きました。

その後、何人か乗った後、私が乗りました。

女性2人の前方だけが閑散として空いており、そこに座りました。



青年は、まっすぐに前を向き、背筋を伸ばしています。

女性らの口は、まだ止まりません。

タガがはずれたかのように、だらだらと言葉を吐き出していました。


「まったくさぁ~、言っちゃ悪いけど、迷惑なときあるのよね!」

「ほんとよねぇ! 車に乗るとかしたらいいのに。」

「こーゆーのってさぁ~、もし発車時間が遅れたら、どうしてくれるの!?」


後ろから聞こえる言葉の数々に、ギリギリと胸が締めつけられます。

女性らは一番後ろなので、車いすの青年の耳まで届いていたかはわかりません。

しかし、先ほどよりも凛とした彼の背中に、何かはっきりと感じたのです。

聞こえている、と。



「ちょっと、黙ってもらえませんか? それが無理なら車移動をお願いします。」

気づいたときには、後ろを振り返り、そう言っていました。



一瞬の沈黙の後。

女性らの瞳孔がみるみるうちに広がり、怒りが赤く充満しています。


「んまぁ~! ちょっとなあに!? 何なの、このコ!!」


イライラの矛先が、こちらに向きました。

女性らは、目的の停留所に着くまで、私に対して様々な言葉を、それはまさに典型的とも言える形で、ぶつけました。

典型的な悪口には特に面白みも感じず、さほど興味がないため、こちらは右から左。

頭の中を素通りです。



女性らは、最後までバリエーションの乏しい悪口を繰り返し吐き続け、私の降りる少し手前の停留所で、これまた典型的なやり方をもってこちらを睨みつけながら、降りて行きました。



ふぅぅ~~。

黒く淀んだ空気が、ようやく過ぎ去り、ひとつ大きなため息を吐きました。

目的の停留所が近づいてきます。

降りる準備をしようとSuicaを手に、座席に浅く腰掛け直すと。


「あのね。」


近くに座っていたおばあさんが、声をかけてきました。

??と目を向けます。

おばあさんは、くしゃっと顔を丸め、言いました。


「あのね、私も我慢できなかったの。 ありがとう。」


皺と皺の間から、かわいらしい笑顔がこぼれ落ちました。





今回の出来事は、特別ひどいものであった、と思います。

その女性らを、「何たる嫌な人間だ!」と糾弾し、その他の人間を善き者として収めるのが、こういった出来事の際の定石であり、また私自身これまで何度かそのように記事をまとめてきたのですが。

しかし。

とりわけ社会的弱者に関する事象においては、あるひとつの思いが、手放しでそれをすることを、私に躊躇させるのです。

この女性らほどでないにしても、おそらく、誰の胸にも、小さな悪は存在しているはずだから。



車いすの青年に、乗客が軽く舌打ちしている場面には、これまで何度も遭遇しております。

車いすのスペースを確保するため、座席が少なくなったことで座れず、舌打ちする人。

自分に何かしらの不利益が生じることで、車いすの方に迷惑そうな目を向ける人。

とても急いでいて、車いすの方の乗り降りに、「もう~!」と小声で苛立ちを示す人。

いろいろです。



以前、こちらの記事でも書きましたが、世の中の苛立ち、不満、鬱屈した思いは、あらゆる場面で、弱者に向けられます。

おそらく、ちょっとだけ苛立ちを表してしまったみなさんは、普段は、障害というものに対して理解を示し、テレビや映画でそういったものを観れば、涙もするのではないでしょうか。

けれど、実際に、忙しいストレス社会の中で、時間に遅れそうであるとか、座れないであるとか、自分に少しでも不利益が降りかかると、途端に、話は別!となってしまう。

瞬間的に、思わず、といった形で、苛立ちが出てしまうのだと思います。

いつもはちゃんと考えているけれど、「つい」態度に出ちゃった・・・。

態度に出すほうは、「つい」ですが、その「つい」をいつも受け止めるのは、やはり、弱者の方々なんですよね。

そして、「つい」をやったほうは、大抵、すぐに忘れます。

その人にとっては、「つい」くらいの出来事だし、後ろめたく、早く忘れたい自分の恥だから。

けれど、受け止めるほうは、たまりません。

毎日、何人もの「つい」を受け止めてらっしゃるのだと思います。



その障害が、その病気が、テレビや映画などの媒体を通して取り上げられたときだけ思いを寄せ、涙して終わり、ではなくて。

病気と闘う姿も人生ストーリーも大事なことだけれど、本当に大事なのは、ごく普通の、生活における現実であると思います。

一日の社会生活の中で、彼らの心がしんとなる瞬間は、何度あることでしょう。



ものすごく暑くてイライラするとき。

重要な待ち合わせに遅れてしまって、とても急いでいるとき。

嫌なことが重なり、苛立ちが頂点に達しているとき。

様々なストレスを抱え、身体も心も、疲れ切っているとき。

どんなときも、決して弱者に苛立ちをぶつけない、そんな態度は微塵もとらない、と言い切ることのできる人が、果たしているでしょうか。

こんなことを書いている私も、自信などまったくありません。

なぜなら、事務所勤務時代、都会の街を駆けずりまわっていた頃、街中でお年寄りに苛立ちを示してしまったことがあるからです。

依頼者その他関係各署から書類を受け取り、その場で仕上げて、ダッシュで移動。

時間内に官公署へ書類を投げる。

その事務所で私が担当していたのは、そんな仕事でした。

もし書類が間に合わなければ、もし先を越されてしまったら、依頼者の人生が大きく狂ってしまう。

ぎゅうぎゅうと胃を締め上げるプレッシャーは、私からあっという間に、冷静さと想像力を奪い去りました。

お年寄りに苛立ちを向けた日、仕事を終えてから迫ってくるあのざわざわとした気持ち。

自分の胸に、はっきりと刻まれています。

苦い後悔の味は、思い返すたび、自分の弱さ、未熟さを、容赦なく面前に引きずり出すのです。



苛立ちは、決まって、弱者だけに向かいます。

どれほど苛立ちに支配されていても、自分より明らかに強そうな人間、ヤバそうな人間に対してそれをぶつける酔狂な人は、そういないでしょう。

どこか冷静に見極めているんですよね。

愚かな感情を抱かず、愚かな行為をしない人間になれたら素晴らしいですが、現実には難しい。

大事なのは、やってしまったら、しっかりと自分を見つめ、相手の痛みを想像し、考えることなのではないかと思います。



彼らに「つい」を向けるのは、特別に意地悪な種類の人間ではありません。

ごく普通の、一様に温かい心を持ち合わせた、それなりにまっとうな人間です。

いつもは彼らに心を寄せている人でも、自分に余裕がないときは、あっという間に傷つける側にまわります。

次に彼らを傷つけるのは、生活に追われ、ストレスをため込み、自分のことしか考えられなくなってしまった、わたしやあなたかもしれません。

人間のそんな弱さを、私たちは自ら認め、戒め、日々学んでいく必要があると思います。





今回の女性らは、「つい」の範疇を超えた方々ではありましたが、もしかして、後で自分の行為を振り返り、痛みを感じてくれていたらいいな、と思います。




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「あんだかねぇ~。」




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「いい年して、一体何を学んできたのさ! ま、いい年して、こんなフリフリの襟巻きつけてるアタシもアタシだけどね!」


母ちゃんの気まぐれにより、以前シャンプーの際にサロンでつけていただいた襟巻きを、おしゃれと称して巻きつけられたマリリンです。

結局、RAINDOGSのマスターにドン引きされ、さらにライカちゃんに苦笑されて終了しました。

慣れない行為はするもんじゃありません。





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「人間のみなさん。 あのね、神様はいつだって、見ていますよ。」



マリリンに無垢な瞳を向けられると、自分の内にある弱さも未熟さも、すべて見透かされているように思う母ちゃんでありました。



次回、お休み前の最後の記事です。


| つれづれ | 07:17 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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動物愛護センター 5

前回の続きです。

今日で、シリーズ最終章。

祈りを込めて、最後まで綴りたいと思います。




迷子犬の対応、センター収容後の段取りについては、前回までに書きましたので、最後は、飼い主等による持ち込みの場面を考えてみたいと思います。

先生は、飼えないと持ち込んできた飼い主に対し、説得に応じない場合、必ずこう言うそうです。


「どうしてもと言うのなら、木曜日の朝、連れて来てください。

木曜日の午前中に、遺体の収集車が来るんですよ。

連れて来られた犬を朝のうちに処分し、そのまま遺体を運んでもらいますから。」


センターからこのように言われても、平然と連れてくる飼い主もいると言うのだから、感情のある人間とは思えません。

里親探しの努力もせずに、命を放り出す飼い主は、殺処分されていく様子をその目で見ればいい、と思います。




ちなみに、ブリーダーによる持ち込みはどう対処しているかお聞きしたところ、基本的には断っている、とのことでした。

ブリーダーだと確実に判断できるとは限らないけれど、引取申請書と一緒に身分証明書の提示があるため、そういったところをきっかけに判明した場合は、拒否するそうです。




ここで、引取りに関する法的根拠について。

私たちがセンターを訪れた2月当時は、まだ改正愛護法が施行されておりませんでした。

よって、動物愛護法第35条第1項に、「所有者から求められたときは、これを引き取らなければならない」と定められておりました。

この規定により、これまで行政は引き取ってきたのです。

引取りの際に、私たちの市では、手数料として2000円をとっていますが、これについても、そもそも「引き取らなければならない」と法律が定めているのに、手数料をとっていいのか、といった問題があるようです。

これは、自治体によっても、意見が分かれるところだとか。

私たちの市では、実費分として、2000円だけをとっている状況です。

けれど、何か矛盾していますよね。

飼い犬が迷子になってセンターに収容され、飼い主がその返還を求めた際に支払う手数料は、3500円、飼養管理費が一日につき500円発生します。

それよりもセンターに持ち込む場合の手数料のほうが安いなんて。

先生も、「個人的には、この矛盾に腹が立って仕方がないし、納得がいかない。」とおっしゃっておりました。



で。



この動物愛護法第35条第1項。

ブログでも何度か触れてまいりましたように、9月1日から、改正愛護法施行により、「引き取らなければならない」という文言が、変更されました。

動物取扱業者から引取りを求められた場合のほか、一定の条件のもと、引取りを拒否できるようになりました。



こうして改正という前進を遂げたことは、素晴らしいことだと思います。

ただ、やはり、これだけでは、根本的な解決は難しい。

先生に、私たちの個人的な懸念をぶつけてみたところ、「まさに、それが問題なんです。」と身を乗り出して、おっしゃいました。



先生も、今回の改正にあたって、何度も会議に参加したそうです。

そこでは、各自治体の熱意ある職員さんが、力を合わせて、懸命に訴えていたようです。

「拒否したところで、一度捨てに来た飼い主が改心して飼うとは思えない。

拒否したら、ほかの場所で捨てられる犬猫が出て来るだろう。」

みなさん、それを最も懸念されているようです。

何度も何度も意見を出してきたけれど、結局、今回はこの改正で落ち着いてしまったとのこと。

今後、引取りを上記の理由で拒否する場合には、同時に、里親探しのアドバイスを精いっぱい行っていくとおっしゃっておりました。

もう一歩というところですが、とは言え、こうして明文化されたことで、センターの職員さんたちが、無責任な飼い主に対し、これまで以上に厳しい指導がしやすくなりました。

その点では、各自治体とも、引取り数の軽減、ひいては殺処分数の軽減に向けて取り組みやすくなったのではないかと思っております。

今回、こうして改正がなされたことだけでも、大きな一歩と考え、将来への希望を持ちたいと思います。





引取りについての補足事項をひとつ。

収容された犬猫について、センターから動物愛護団体に引取りをお願いすることも多々あるそうなので、その法的根拠を書いておきたいと思います。

動物愛護法第35条第6項

「都道府県知事等は、動物の愛護を目的とする団体その他の者に犬及び猫の引取り又は譲渡しを委託することができる。」

この法律のおかげで、所有権の問題を回避して、愛護団体さんにお願いすることができます。

このように、たくさんの方々が、動物たちの命をつなごうと、身体を張ってくださっております。




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最後に、負傷動物についてのお話に入りたいと思います。



マリリンのことがありますので、負傷動物の措置については、私たちがとても知りたいことでした。

負傷動物に関する規定は、3回目の記事で触れました「犬及び猫の引取り並びに負傷動物等の収容に関する措置について」の告示に定められております。

この告示の第2という項目に、負傷動物に関する記載があり、第1の3から6までの規定が準用されています。

第1の6には、次のような規定が定められています。

「都道府県知事等は、法第35条第1項本文又は第3項の規定により引き取った犬又は猫について、必要に応じて治療を行うこと。ただし、治療を加えても生存することができず、又は治療することがかえって苦痛を与え、若しくは長引かせる結果になる場合等、死期を早めることが適当であると獣医師又は都道府県知事等が判断した場合にあっては、この限りでない。」

この定めを根拠として、所有権の問題を回避し、必要と思われる治療行為を、引取り後すぐに行うことができます。



どの程度の治療をするのか。

前にも少し触れましたが、やはり予算の範囲内、つまりセンターに常備された薬品を使い、センターにある設備でできる治療のみです。

いわゆる、応急処置程度。

多数の菌に効果がある抗生物質などをよく使用しているそうです。



市内の動物病院に治療を委託することがあるか、とお聞きしたところ、それは一切ない、とのことでした。

動物病院にお願いすれば、治療費として、税金を支払うことになってしまうからです。

たとえば、横浜市では、獣医師会と委託契約をしていて、治療費5000円までを市が支払う規定があります。(2月当時の話です)

5000円以上の治療は、獣医がボランティアで行うことがあるとのこと。

横浜市は、人口も面積も大きく、職員だけでは対応しきれないという事情もあるようです。

私たちの市の場合は、一番遠い場所でもセンターから1時間半で行かれることもあり、自分たちですべてやっているのが現状、とのことでした。

例外的に、負傷動物を保護した人が病院に連れて行き、善意で治療費を支払ってくださったり、保護されて動物病院に運ばれた負傷動物を、獣医さんがボランティアで治療行為をしてくださったり、そういったこともあるようです。



このように、センターの獣医さんや様々な方の善意により治療をしてもらった犬猫ですが、ある程度傷が治ったあとは、通常の引取りの流れに乗ります。

つまり、譲渡か、殺処分。

痛い思いをして、命をつなぎ、やっと元気になった子です。

それなのに、殺処分になる可能性も少なくないのですよね。

マリリンが殺処分される前に引き出してくださった愛護団体の方々に、心から、本当に心からの感謝を申し上げたいと思います。



以上、負傷動物についてのお話でした。




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先生とのお話も、これでおしまいです。

最後にひとつだけ、たずねました。

「マンパワー不足を感じるのは、どんなときでしょうか。」

この質問は、最初から用意していたものではありませんでしたが、先生のお話の中で何度かポイントになったところでしたので、改めてお聞きしたのです。



以下、先生のお話です。



「マンパワー不足は、常に感じています。

本当は、動物のためにできることを、全部やりたい。

けれど、自分たちの手では、やりきれないことがたくさんある。

それが、とても悔しいです。

また、啓発活動にも、もっと力を入れたい。

迷子札や鑑札の啓発、迷子になった場合の探し方の啓発。

それに、動物を飼うということや、命を大切にするということをテーマにした、小学校の愛護教室もやりたい。

小さな頃からこういった啓発をしていくことがいかに重要であるか、この現場にいると、よくわかる。

だからこそ、教育のほうにも力を入れたいが、現状では人手が足りません。」



日頃から胸にため込んでおられる悔しさが、一気にあふれ出すようでした。



すべてを終え、先生に心からのお礼をお伝えし、もう一度ふれあい犬とふれあってから、私たちはセンターを後にしました。





以上が、自分なりにまとめました、センターのご報告です。





私たちは、これまで、保健所・センターのことを調べる中で、狂犬病予防法などの古い法律に縛られている現実から、こう思っていたのです。

保健所やセンターは、人間のためにあるものではないか。

人間のために、動物を管理するのが目的なのではないか。

しかし、それは間違いでした。

少なくとも、私たちが訪れたセンターの理念、また、職員さんたちの中にある思いは、動物にも人にも向いています。

悲しい思いをする動物がいなくなること。

動物のことで困っている人がいなくなること。

そのために、懸命に命と向き合っておられました。




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これで、愛護センターのシリーズは、おしまいです。

長い記事を最後まで読んでくださった方、本当に、心から感謝申し上げます。

私には、書くことしかできません。

マリリンとの愛おしい日々を伝え、保護犬との生活の素晴らしさを宣伝し、そして、自分が知り得た動物たちの現状を、このように発信することしかできない人間です。

記事を書き残しておくことで、後々、何かの形となってくれるのか、それとも、何の意味も持たずに終わるのか、わかりません。

それでも、きっとどこかにつながってゆくのではないかと信じ、このシリーズを綴りました。

動物と人間が共生できる社会へ。

祈りを込めて。




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次回の更新は、水曜を予定しております。

あと2回となりました。

よろしければ、見に来てやってくださいませ。


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動物愛護センター 4

前回の続きです。

シリーズは、今回を入れて、あと2回となりました。

もうしばらくのお付き合いをよろしくお願い申し上げます。




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今回は、猫のお話です。



先生は、「まず最初に・・・」と、前置きを始めました。

「犬と猫では、不幸になる背景が違います。

それを混同して議論する人がたまにいるのですが、犬と猫は問題を分けて考えたほうが良いと思います。」



以下、先生のご説明です。



現在、私たちの市では、犬は、ほとんどが飼い犬の問題です。

数年前までは、野犬や野良犬がかなり多くいました。

しかし、センターができた当初、まず野犬対策に相当な力を入れたのです。

2~3年後には、今のように、野犬や野良犬はほとんど見かけない状態となりました。

よって、現在、問題が生じるのは、飼い犬もしくはブリーダーの繁殖犬。

ブリーダーに対しては、行政としては、定期的に、または苦情等があった場合、抜き打ち検査を行っています。

状況によって、指導、勧告、命令を出すことがあります。

(ただ、これは先生のお話から受け取った私の主観ですが、実際には、勧告程度が多く、悪徳ブリーダーが決定的なダメージを受けるほどの厳しい措置は取りづらいのが現状のようです。)





飼い犬の問題に対しては、まず第一に、迷子犬を減らすことと、迷子犬の返還率を上げること。

迷子犬を減らすにあたっては、鑑札や迷子札の啓発。

それらを犬につけておくことがいかに大切であるかを、広く市民に知ってもらうこと。

また、犬の探し方の啓発も、重要です。

迷子になった犬をどこに問い合わせればいいか、どうやって探したらいいか、その方法を知らない飼い主は多い。

迷子になったら、まずはセンターに連絡をすること。

市外で保護された場合はセンターに情報が入りにくいので、警察署や近隣自治体にも連絡をしておくこと。

それらの啓発に力を入れています。

また、迷子犬の情報がセンターのホームページや自治体の掲示板に載っていることも、広く知ってもらう必要のある事柄です。



と、ここで。

夫が、口を開きました。

「鑑札って、あのデザインとか素材とか、もう少しどうにかならないものでしょうか?

デザインなどが変われば、つけるようになる飼い主も増えるかもしれない、と思ったのですが。」

先生は、たははと苦笑し、「いや~、それは確かにおっしゃる通りなんですよね。」と頭をかきます。



「ただ、すべてを税金で行っている以上、我々職員が要望したところで、その力はとても弱いのです。

なので、ぜひ、市長にご意見をメールしてください!

市民が要望しているとなれば、話は変わってきますから。

すべてにおいて同じことが言えるのですが、要望があったら、どんどん市長に送ってください。

こうしたほうが良いじゃないか、と当然のように感じることであっても、職員が言ったところで、どうにもならないんです。

ぜひ、市民のみなさんのご意見をください!」



市長に直接メールを送るという発想が身近になかった私は、あぁ、なるほど!と膝を打ちました。

確かに、税金で仕事をしている以上、市民の要望がなければ行政も動かない、いや、動けませんよね。

すぐに、税金を勝手に無駄遣いした!と言われるわけですから。




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話を戻します。

以上のように、犬については、ほとんどが飼い犬の問題。

一方、猫の場合はどうかと言うと、ほとんどが野良猫の問題なのだそうです。



いま必死に生きている彼らの命も守らなければならないけれど、並行して、これ以上悲しい思いをする命が増えないようにしなければ、いつまでたっても同じ事の繰り返し。

食べ物をあげるなら、それと同時に、不妊・去勢手術を。

それを、強くおっしゃっておりました。



市では、野良猫の手術費用の助成金を交付しています。

平成25年度分は、10月をもって予算に達してしまい、受付は終了しましたが、来年度また予算が組まれる予定で、改めて受付を開始するそうです。

原則として、1世帯あたりの制限はありません。
(申請状況等により、個別に制限をかけることはあります)

この助成金は、あくまでも、「野良猫」の手術に交付されるものです。

飼い猫の手術をするのに助成金をくれ、と言ってくる人が少なくないそうで、その話に唖然としてしまいました。



ここ最近の、一年間の猫の収容数の内訳は、以下の通りです。


・保護(迷子や、拾得者からの引取り)・・・735匹

・負傷・・・64匹

・引取り(所有権放棄)・・・106匹

ほか、譲渡後返還など。

合計、900匹程度の猫がセンターに収容されます。



その猫たちが、どうなるのか。

以下、内訳です。



・飼い主返還・・・7匹

・譲渡・・・158匹

・殺処分・・・334匹

・病気などによる死亡・・・405匹

ほか、申請取下等。



犬との違いが顕著なのは、収容後に病気などで死亡する数です。

これもやはり、猫の問題がほとんど野良猫の問題であることによります。

野良猫が妊娠し、生まれた仔猫が大量にセンターに持ち込まれます。

繁殖シーズンなどは、毎日たくさんの仔猫が連れて来られるそうです。

そういった事情から、センターに来る猫のほとんどが、仔猫。

生まれたばかりの仔猫を、自力で生きてゆけるまで育てることは、とても難しい。

付きっきりで面倒を見て、細心の注意を払わなければ、その命は力尽きてしまいます。

ましてや、ここはセンター。

センターに運ばれる仔猫というのは、すでにその時点で弱っていることが多く、健康な仔猫はとても少ないそうです。

冷暖房は24時間完備されているものの、仔猫たちを育てる環境が整っているわけではありません。

多くの仔猫が、病気などで命を落としてしまいます。

愛護団体さんには、仔猫を育てるベテランの方もいらっしゃるので、その方々にお願いして育ててもらうこともあるようですが、繁殖シーズン中は、ボランティアさんも手一杯。

やはり、すべての仔猫を助けることは、難しいようです。



生き抜くことができた仔は、その後、譲渡対象になります。

問題は、生き延びることが難しい仔たちの、運命。

弱っている仔猫の生死の見極めが重要だ、とおっしゃっておりました。

生死の見極め・・・いわゆる、処分か、衰弱死か、ということです。



職員の方々は、仔猫が生き延びることができるよう、最大限の力を尽くします。

ボランティアで24時間体制の世話をする場合もあるようですが、繁殖シーズンなど、それも限界があります。

やまを越えれば、この先も生きてゆかれる可能性がある。

しかし、やまを越えられなければ、苦しみながら、息絶えることになる。

毎日のように、それを見極めなければならないそうです。


「処分か、衰弱死か・・・。

仔猫にとって、どちらがいいのか、私たちには分かりません。」


先生は、おっしゃいます。


「仔猫に聞いてみない限り、誰にも分かりませんが、ただ、やまを越えられず衰弱死する可能性が極めて高い仔猫の場合においては・・・。

ひとりぼっちで苦しみながら時間をかけて死んでいくより、見守られながら短い苦しみで死ぬほうが、まだましなことではないかと考えているのです。」


見極めは、その日担当している獣医さんに任されているそうです。

獣医さんが、見極めをし、このままにしておくことができないと判断した仔猫について、処分を行います。

仔猫の処分は、麻酔を使用することが多いようです。

やまを越えられるか、越えられないか。

その判断にかかる辛さは、相当なものであると思います。


「いつも、ずっと、悩みながら、業務を行っているんです。」


先生は、静かにおっしゃいました。



仔猫を苦しませないために、処分の数が増える場合もあるでしょう。

当然センターとしては、出来る限り「処分数」を減らしたいのです。

最近は、殺処分について、世の中から厳しい目が向けられています。

しかし、処分数を減らすということは、「死亡数」が増えるということ。

苦しんで衰弱死する仔猫の数が増えるということです。

「死亡数」については、厳しい目は少ないですから、体裁としてはそのほうが良いのだと思います。

けれど、獣医さんたちは、数は気にせず、しっかりと仔猫の状態を診て、とにかく苦しみが少ないと思われる選択をするよう、力を尽くしておられます。

余計なことは考えず、目の前の仔猫のことだけを考えて、行動する。

そして、だからこそ、とても悩み、苦しむそうです。



「基本的には、生き延びるほうの道を探ります。

なので、生き延びる可能性にかけ過ぎて、見極めを誤ることもあるんですよね。

やまを越えられると判断し、翌朝、その仔が死んでしまっているとき。

後悔するんです。

なんで、苦しまないうちに処分しなかったんだって、思うんですよね。

おなかすいてたんかなぁ、寂しかったんかなぁって・・・。

・・・どうしようもない気持ちになるんです。」



この仕事を経験したことなどない私たちには、何ひとつ言葉を発せられませんでした。

処分しなかったことを後悔する。

極限でしょう。

ここで働く方々が、精いっぱい命と向き合っていること、そのあまりに過酷な現実を、私たちは、しっかりと見つめなければならない。

そう思いました。




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次回は、最終章。

マリリンにも関係する、負傷動物のお話に触れたいと思います。


| 愛護センター | 07:35 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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動物愛護センター 3

前回の続きです。

前回は、センターに収容される犬の内訳や、殺処分の方法について書きました。

動物と暮らしたことのない方々からも、たくさんの反響をいただいております。

少しでも多くの人に知っていただくことができれば、本当にありがたいです。



今日は、法律の話をベースに、動物のことを考えていきたいと思います。

殺処分の記事は読めなかった、という方々も、今回は読んでいただける内容ではないかと思っております。




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まずは、迷子犬が保護された場合の取り扱い。



これは、狂犬病予防法により処理をしています。

※ 狂犬病予防法は、主に捕獲された犬について、適用されます。
 (捕獲というと言葉があれですが、迷子の保護もこれにあたると考えられます)

  一方、動物愛護法は、主にセンターに持ち込まれたり、引取りを求められた犬または猫について、適用されます。



迷子犬が保護されると、最初に、近隣自治体の保健所などに問い合わせ、所有者から届け出が出ていないかを確認します。
(直近3か月分くらいは確認するそうです)

該当がなければ、ホームページや区の掲示板にて、5日間公示。

この5日間は、所有者がいる場合があり、所有権はその所有者に帰属するため、犬の各種検査はできません。

5日間が過ぎ、所有者が現れなければ、所有権が自治体に移ります。

そうなって初めて、その犬の健康状態について検査することができます。

血液検査等、各種の検査を行います。

そして、健康状態や性格など、あらゆる面を勘案し、譲渡対象となるか、殺処分となるか、判断します。

前回の記事で書きましたが、ここでの判断は、全獣医師の総意です。

病気など、多少の問題があっても、できるだけ譲渡の可能性を探ります。

そこにかなりの力を入れてらっしゃることは、先生のお話をお聞きしていて、痛いくらいに伝わってまいりました。



また、治せそうな病気であれば、治療をします。

とは言っても、税金の範囲なので、センター内にある設備や薬品で行うことのできる治療のみ。

よって、満足な治療とは言えません。

保護犬に多いフィラリアは、1回目の記事で触れましたように、注射による駆除のみ行っているようです。

時間をかけた治療をするには、それだけ収容期間がのび、治療費もかさみますから、その余裕はセンターにはありません。

注射による駆除は、犬の年齢、性格、フィラリア症の程度によっては、大変な危険がありますが、祈るような気持ちで、治療に臨んでらっしゃるそうです。

1回目の記事で登場しましたオムニちゃんも、もうおばあちゃんですが、この注射による駆除を耐え抜いてくれました。

こうして、治療を済ませた犬は、譲渡できれば譲渡となります。

けれど、治療をしても、家族に迎えてくれる人が現れなければ、処分となってしまいます。




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ここで、殺処分について、法的なお話を。

楽しくない内容かもしれませんが、一度こういったことを考えておくのも、意味のあることではないかと思います。



殺処分の法的根拠は、何か。

保健所・センターが殺処分を行うのは不当である、法的に根拠がない、と責められることがあります。

実際、このセンターにも、そういったご意見はよく寄せられるようです。

今回、根拠について、改めて考えてみました。

この先、シリーズの中で法的な話にあたる部分は、先生のお言葉ではなく、すべて私が勝手に調べた内容ですので、その前提でご覧いただければ幸いです。

決まり事として最も優先される「法律」に示されている規定から、順を追って探ってみます。





まず、狂犬病予防法。

所有者による引取りのなかった犬について、「処分することができる」と定められています。

ここで言う「処分」は、「殺処分」とは書かれていませんので、殺処分だけでなく、譲渡などを含めた意味の処分と考えられます。

また、処分することが「できる」なので、処分「しなければならない」わけではありません。



それでは、動物愛護法では、どうでしょうか。

35条に、「犬又はねこの引取りをその所有者から求められたときは、これを引き取らなければならない」とあります。(後ほど書きますが、引き取らなければならない、という文言については、9月1日施行の改正法により変更され、引取りを拒否できるようになりました)

殺処分に関する条文は、やはりございません。

35条7項に、「環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、第一項本文の規定により引き取る場合の措置に関し必要な事項を定めることができる。」とあり、動物愛護法は、詳細をそちらに投げた形をとっています。

では、その措置とは?



それは、「犬及び猫の引取り並びに負傷動物等の収容に関する措置について」という環境省の告示が、平成18年に出されています。
(平成25年に一部改正がなされました)

ちなみに・・・

国が定める決まり事としては、法律や告示、通達など様々なものがありますが、これらには、優先順位があります。

その順位は大まかに並べると、法律 → 政令・省令 → 告示 → 通達 といった順です。

法律が最も効力の強い決まり事。

法律で定められているものは、それがすべてにおいて優先しますし、法律で定められていない場合、その次の、政令や省令に書かれていることが優先します。

今回の措置というのは、法律でも政令・省令でもなく、告示にのみ定められているので、告示で定められたこの措置が、事実上優先します。



で。



この「犬及び猫の引取り並びに負傷動物等の収容に関する措置について」という長ったらしいタイトルの告示に何が書かれているかと言うと。

第4 処分

保管動物の処分は、所有者への返還、飼養を希望する者への譲渡し及び殺処分とする。

と定められています。



おそらく、行政が殺処分の根拠としているのは、この規定ではないかと思います。

ただ、この規定は、殺処分を選択肢のひとつとして選べる、といったものなので、読み方によっては、保健所・センターの努力により、返還・譲渡の道だけを選択すれば、殺処分せずに済む、と言えなくもありません。



それと、もうひとつ議論になりやすいのは、期限の問題。

5日間、7日間など、殺処分されるまでの期限が定められている、といったことをよく耳にしますよね。

この期限については、根拠となる法令は存在するのでしょうか。



殺処分の根拠と同様に、法律 → 政令・省令 → 告示に至るまで、順を追って探ってみましたが、期限の規定はありませんでした。

告示にも定められていないとなると、その次に位置する自治体の条例では、どうでしょうか。

私たちの地域における動物に関する条例の中に、収容動物について記載がありました。

引き取った動物について、5日間公示するものとする、といった規定。

そして、その期間内に飼い主が犬を引き取らないときは、これを処分することができる、といった規定。

ここで言う「処分」は、譲渡なども含めた意味での「処分」と考えられるので、5日という期限を過ぎたら殺処分する、と定められているわけではありません。



となると。

「返還・譲渡・殺処分と3つの選択肢が示されているのだから、すべての犬猫について、殺処分以外の2つの選択肢でいけばいいじゃないか。

期限を決めてそれが過ぎたら殺処分するというのは、行政の怠慢だ。不当である。」

そういった意見が持ち上がり、保健所・センターが責められるのです。



確かに、と率直に思う部分も、ございます。

しかし、殺処分の全撤廃を、保健所・センターの職員さんだけに押し付けるのは、違うように思うのです。

行政の仕事は、すべて予算で動いており、また、保健所・センターによって、市長の理解や市民の意識を始め、取り巻く事情は本当に様々ですので。

殺処分にも税金はかかりますが、引き取った犬猫を保護し続けるということは、それ以上の大きな税金がかかります。

収容施設の環境や、何匹まで収容可能か、という問題もあるでしょう。

多くの保健所・センターでは、予算も人員も不足している中で、与えられた環境と条件のもと、必死に努力されておられるのではないかと思います。

行政において、予算の問題というのは、とても大きいです。

また、画期的な行政の取り組みを行おうとする場合、関係各署の協力が非常に重要な位置を占めているものと思います。

市長など一定の権限のある方が、どのくらい理解を示しているか。

そして、この件について積極的に動いてくれる議員さんはいるか。

とても重要なことです。

市長クラスの権限のある方が「やる!」と言えば、物事って一気に動くこともあると思うので。

逆に、権限のある方々が乗り気でない場合、画期的な取り組みは、なかなか難しい。

ですので、動物たちの問題についても、そういった関係各署の協力・バックアップ、また市民の意識の高さといったものが、大きな鍵となるのではないかと思います。



権限のある方々を動かし、条例改正や予算の獲得などにつなげるために、間接的に私たちにできることもございます。

ひとりでも多くの人に、現実を、正しい事実を、広めること。

多数の人にまず知っていただかなければ、現状を変えようがありません。

そして、動物に対する意識を高く持ち、私たちで世論をつくってゆくこと。

大きな世論にするためには、動物が苦手な方々を日頃から思いやるなど、地道な取り組みが大切です。

飼い主のマナー等をしっかり徹底することも、動物を守るために私たちができる事柄であり、また柱であると思います。



殺処分を行う機関という意味で、何かと敵意を向けられやすい、保健所・センター。

しかし、問題の本質は、殺処分ではないと思うのです。

そもそも、なぜ行政がこれほど多くの動物を抱えなければならないのか。

行政にすべての責任を問い、仮に殺処分をやめさせたところで、問題は解決しません。



殺処分をやめろ!とピンポンダッシュで言ってくる人は、山のようにいるそうです。

つまり、名乗ることもせず、メールや電話で一方的にまくしたて、去ってしまう人たちです。

本当に、職員の方々の日々のご苦労、心からお察しいたします。


「殺処分をやめれば、捨てられる動物がいなくなるのか。

そうじゃない・・・殺処分が問題なのではないと思うのです。

捨てられる動物たちがこんなにもいるという事実が、問題なのではないでしょうか。」


そうおっしゃる先生の思いに、私たちも共感いたします。

問題の本質は、殺処分ではありません。



もちろん、飼えなくなるには事情がある、という人もたくさんいるでしょう。

以前、「高齢者と犬」の記事でも触れましたが、最近は、飼い主が高齢であることを理由に持ち込まれる犬が、とても増えているそうです。

背景にどういった事情があろうとも、動物たちにとって、飼い主がいなくなるという事実に変わりはありません。

迷子だろうと、事情があって飼えなくなった場合であろうと、その命を何とかすることを、まず考えなければなりません。

そのために、センターも、迷子札の啓発などを行い、また、里親探しのアドバイスも行っています。

けれども、それを踏みにじるように、平然と捨てる飼い主もたくさんいます。

それらの人間に対し、センターの方々が必死な取り組みを行っていることは、言うまでもありません。

殺処分に対する敵意をセンターに向ける前に、私たちは、捨てる人間についての問題を、積極的に考えなければならないのだと思っております。




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「動物を捨てる人間には、必ずおそろしいことが待っています。おほほほほ。」




次回は、猫についてのお話です。




| 愛護センター | 07:40 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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動物愛護センター 2

みなさま、こんにちは。

応援してくださる方、いつも本当にありがとうございます。

心から感謝申し上げます。





前回の続きです。

今日から込み入った話になります。

しんどいですが、動物たちにとって、とても大事な内容だと思います。

つらい写真や動画を掲載することは、ございません。

想像力を働かせ、思考をめぐらせることで、はるかに強い印象をもって、意識の中に定着するものと思っております。

できるだけ感情的にならず、淡々と事実を綴ってまいります。

どうか、お付き合いくださいませ。





見学を終えた私たちは、2階の部屋に案内されました。




ここで、先生からお話を伺います。



まずは、センターの概要から。

職員数は、全員で15名。(2月当時)

管理職2名、業務職8名、そして獣医師5名。

管理職の方も、獣医師免許を持ってらっしゃるようです。

散歩、ごはん、動物たちのいるところの徹底的なそうじ、また健康管理など、動物の身のまわりのことは、1名の事務員さんと管理職を除く12名でまわしています。

動物のお世話以外の業務も山ほどありますから、みなさん相当ハードに働かれていることがわかります。

休日も、ローテーションを組んで、12名の方々が交代で動物たちのお世話をされてらっしゃるようです。




犬の収容数は、私たちが想像していたよりも、少なかったです。

この日、犬は、ふれあい犬を含め、10頭程度ということでした。

保護室に収容されている犬は、必ず1頭ずつ檻に入れているそうです。

きょうだい犬や、ずっと一緒に寄り添って暮らしてきた犬同士、といった場合じゃない限り、事故防止等の観点から、1頭ずつ収容しているとのことでした。




次に、収容数の内訳です。

2月当時における、ここ3年の平均としては、

・保護(迷子犬)・・・222頭

・負傷・・・7頭

・引取り(所有権放棄)・・・82頭

ほか、譲渡後返還など。

合計で300頭をこえる収容があります。



この中で、成犬は89%、仔犬11%

成犬が多いのは、都市部の傾向だそうです。

野良犬が少ないため、子どもがうまれることも少ないということでしょう。

いわゆる、「野犬」については、18年にセンターができた当初、相当力を入れて対応したため、現在はほとんどいないとのこと。

収容した犬の犬種の内訳は、雑種52% 純血種(ハーフ犬含む)48%



ただ、この保護された犬の数というのは、あくまでもセンターに収容された数です。

警察で一時的に保護され、飼い主に返還されるなどの数字は含まれておりません。

ブリーダーの倒産・崩壊、多頭現場の崩壊などで、愛護団体が直接レスキューに行き保護する犬たちもいます。

また、飼い主放棄の場合でも、放棄された犬を一般の方が保護することもあります。

そういった犬の数をすべて含めると、実際に市内で保護される件数というのは、もっと多くなるでしょう。




収容した犬たちがどうなったか。

同じく、ここ3年平均で、


・飼い主返還・・・99頭

・譲渡・・・94頭

・殺処分・・・111頭

・病気やケガによる死亡・・・10頭

ほか、申請取下など。


大体、毎年300頭近くの収容があり、その後の内訳は、飼い主返還・譲渡・殺処分で3分の1ずつの割合になっているそうです。




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次は、殺処分についてのお話。



本などを調べてもなかなか得られなかった部分を、今回はお聞きしたいと思っておりました。

先生は、細かな質問にも、丁寧に答えてくださいました。

途中からは、互いに話の呼吸がどんどん深まり、予定外の質問も飛び出すなど、少し踏み込んだ内容になったのではないかと思います。





先ほど書きました111頭の殺処分が、どのように行われるのか。

殺処分について話をする場合、前提として知っておく必要のある事柄だと思います。





このセンターでは、殺処分は1頭ずつ行っているそうです。

私たちは、様々な本やネットから、何頭か一緒にガス室に入れられると情報を得て、それを信じてまいりましたので、驚きました。



「1頭じゃないと、恐怖や苦しさで暴れたときに、ケンカになったりケガをしたりするでしょう? 死ぬときにまで、そんな思いはさせたくないんです。 死ぬときくらいは、せめて。」

先生は、ぽつりぽつりとおっしゃいました。



犬1頭1頭について、殺処分するか譲渡対象にするかの判断をするのは、「全獣医師の総意」。

特に、咬むなどの行為をする犬の場合は、判断が難しい。

最初に職員がかなり手強い目に遭ったとしても、それは、犬にとって、その職員がたまたま苦手なタイプの人だった可能性もあります。

一部の人間には心を許してくれる、というような場合もあるため、全員で検討するそうです。

もちろん、その時々の収容状況なども絡みますが、与えられた条件の中で、精いっぱいの判断をなさっております。

「決して、間違いはおかしたくないんです。」

先生は、はっきりと、そうおっしゃいました。

動物を殺処分する、という極限の業務の中でも、懸命に彼らが生きられる道を、みなさんで模索してらっしゃいます。




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続いて、殺処分の方法。

殺処分となった111頭の犬は、87頭がガス処分、24頭が麻酔処分となっています。(2月当時における、ここ3年平均)



<ガス処分>


ガス室に入れ、二酸化炭素を注入。

一酸化炭素などの強いガスを使えば、より苦しまずに早い段階で息絶えることができますが、それには問題があります。

危険な有毒ガスがわずかでも漏れ出たら・・・と考えると、とても使うことはできないそうです。

一酸化炭素は、本当におそろしい。

職員や、周辺住民の方々が危険にさらされたり、健康被害を被ったりする可能性のある方法は、行政としては採れません。



二酸化炭素は、はるか昔、人間が手術をする際の麻酔としても使われていたそうです。

いわゆる麻酔の作用というのは、投与後の状態が4段階にわかれます。



麻酔投与
 ↓
興奮期
 ↓
沈静期
 ↓
手術期
 ↓
深(しん)麻酔(過麻酔とも言う)



二酸化炭素だろうと、麻酔注射だろうと、麻酔の働きは決まっていて、どれもこの経過をたどります。

興奮期が最初に来て、その後、人間の場合だと強い頭痛を起こすこともあるようです。

興奮期がおさまると、沈静期に入ります。

そして、手術可能な手術期へ。

最後の深麻酔までいくと、息絶えます。



動画サイトに載っている、ガス室の中で犬たちが暴れている場面は、興奮期の状態を撮影したものと思われます。

興奮期は、約10分ほど続き、その後、身体が重く動かせなくなり、ぺたっとうずくまります。

そうなってから、20分程度で、死亡するようです。



こういったことから、先生方は、いかに「興奮期」を短くするかということに力を入れておられます。

二酸化炭素は、下に充満するため、立った犬の口もとのあたりは、濃度が薄くなり、その分、興奮期が長くなってしまいます。

つまり、下にたまってしまう二酸化炭素を、室内で均一にし、いかに早い段階で犬が沈静期を迎えられるようにするか、ということです。

ガス室の機械が古いものだと、空気のかくはんがうまくいかず、下にたまったままの状態になってしまうそうです。

このセンターの機械は、比較的新しいので、今のところ空気のかくはんがうまくいっている、とのことでした。

とは言え、もちろん、苦しまずに死ねるわけでは、決してありません。

何をどう努力しても、少し時間を短くできるだけのことであって、犬たちは、みな苦しみの中、息絶えていきます。




<麻酔処分>


最近では、麻酔による処分も少しずつ増えてまいりました。

鎮静剤を打って犬が落ち着いたところで、麻酔薬を注射し、死なせる方法です。

これも、決して安楽死というものではありません。



鎮静剤を投与した後、麻酔薬を注射します。
(鎮静剤は、麻酔とは違うので、これを大量に打っても死ぬことはできません)

その後は、先ほど書きました、4段階の流れをたどります。

ただ、4段階すべて合わせた時間がおよそ1分程度と、短い。

そういった意味で、二酸化炭素よりはまだましなのではないか、と考えられています。

麻酔薬の場合、呼吸停止が先に起こり、続いて心停止が起こります。

通常は、その間が1分もありません。

さらに、麻酔薬を心臓に直接打った場合は、もっと早く、数秒程度で心停止に至ります。
(心臓の左心房をねらって打ちます)



ただ、まれに耐性のある犬がいて、なかなか心停止の状態にならない場合があります。

そうすると、意識はあるけれど呼吸は停止している、という状態になり、それは犬にとっては、おそらくとても苦しい時間だと思います。

確認してみて、まだ心停止していなければ、急いで麻酔薬を追加投与するそうです。

麻酔薬に耐性のある犬かどうかは、打ってみないと分かりません。

だからと言って、高い麻酔薬を、毎回多めに使うわけにもいかないでしょう。

すべて予算に基く業務ですから、職員の方々の思うようにはできません。



このように、麻酔の量の判断が難しいことに加え、多少なりとも獣医師の技術にも左右されるようです。

心臓に直接打つのを得意とする先生ばかりではありません。

足などの静脈に打つほうが確実に行うことができるため、そちらを選択する先生も多く、その場合は、心停止までの時間は、心臓に直接打つよりも、わずかですが長くなります。



もう一度書いておきます。

麻酔処分も、安楽死ではありません。

二酸化炭素ガス処分に比べて苦しみが少ないとは言い切れないし、本当のところは、犬たちに聞いてみないと、誰にもわかりません。

ただ、心停止までの時間の短さから言えば、麻酔処分のほうが、まだましではないかというだけのことです。

先生は、可能な限り、今後はすべて麻酔処分にしていきたい、とおっしゃっておりました。





ただ、麻酔処分には、2つの問題があります。



1つは、麻酔処分が難しい犬がいる、ということ。

やはり、獣医師が直接手で行いますから、かなり暴れてしまう犬、咬んでしまう犬は、ガス処分でいかざるを得ないこともあるようです。

危険を伴う場合は、ガス処分となります。



もう1つの問題。

それは、費用です。



二酸化炭素のガスボンベは、1缶3300円。

これで、50頭に使用できますから、1頭あたり66円。

もう少し多く使えないこともないのですが、ガスが残り少なくなってくると、圧が低くなり、二酸化炭素の濃度が薄くなってしまう。

そうすると、犬たちにとって、苦しい時間が長くなってしまいます。

なので、50等程度と決めて使っているそうです。



麻酔薬は、100mlで1万円。

これで5頭分なので、1頭あたりは2000円ほどかかります。

二酸化炭素ガスと麻酔薬で、約30倍の違い。

保健所における動物の殺処分は、すべて税金で行われますから、予算の関係上、麻酔薬のようにお金のかかるものは、なかなか使用することができないのが現状です。

このセンターは、予算からすると、ある程度は麻酔処分を選択することができる、といった状況。

あとで調べてみたところ、政令指定都市は、わりと予算が確保できるからでしょうか、全国的にも、麻酔処分を行っているところは多いようです。

しかし、予算的に厳しい保健所・センターもたくさんあり、まだまだ多くの自治体において、二酸化炭素が使われております。





殺処分のお話の最後に、たずねました。

殺処分を担当する方は、どういった方ですか。

ローテーションなどで決まっているのでしょうか。


「殺処分を行うのは、すべて、獣医師です。」


そう言った後、先生は、獣医さんたちの痛みを想像する私たちの思いを、感じとったのでしょう。

ひとつ呼吸を置いて、


「ローテーションではなく、そのとき手のあいている獣医師が行ないます。

センターの全獣医師が、この仕事を理解して、やっています。

忌避する者は、ひとりもおりません。

後ろめたい職業だと言われることもありますが、わたしたちは、手を抜いた仕事をしたことは、一度もないんです。

それだけは、信念として持っています。」


前方を見据え、そうおっしゃいました。



その目で見てきたこと、身体で感じてきたこと。

何度も何度も、張り裂けるような痛みを経験してこられたのだと思います。

「忌避する者は、ひとりもおりません。」

このお言葉は、今もたびたび、私の中で、熱をもってよみがえります。

人間たちの勝手が、動物たちを苦しめ、またこうして、人間をも、苦しめているのです。

痛みを一手に引き受ける先生の目を、私たちは見つめることができませんでした。

滲んでゆくノートの文字を、ただただ、にらみつけ、拳を握ります。




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最後まで読んでくださった方、心から感謝申し上げます。




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「あたしは、茨城県のセンターで殺処分の運命にあったところ、愛護団体の方が引き出してくれました。

たくさんの人の助けにより、今こうして生きることができています。」




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「みなさん、ありがとう。 精いっぱい、命の灯を燃やします。」


| 愛護センター | 07:07 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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動物愛護センター 1

みなさま、こんにちは。

ブログお休みまで、あと2週間ほどになりました。

非常につらい記事が多く、申し訳ございません。

お休み前に書き残しておきたい、と思うものは、どうしてもそういったテーマが多くなってしまいます。



私は、「知ること」が、すべてにおける第一歩だと思っております。

知ることで初めて、人の心が揺れる。

知ることで初めて、議論ができる。

ぼやけた感覚の中で「動物たちのいろいろを是正して!」と声高に叫んでも、なかなか世の中は変わりません。

具体的な問題意識をひとりひとりが持つことで、世論となり、法律を変え、社会全体に大きな波を起こしてゆく。

知ることは、きっと、動物たちの未来を変えることにつながると、信じております。



今日から、4~5回ほどのシリーズになる予定です。

このシリーズは、とても迷いました。

どこまで書いたら良いのか、どのように伝えたら良いのか。



実際には、今年の2月の出来事でございます。

2月から、かれこれ9か月、迷い続けてまいりました。







2月某日。

マリリンにお留守番をお願いし、父ちゃんと母ちゃんはある場所へ行ってまいりました。




動物愛護センターです。



マリリンとの出会いがきっかけとなり、これまで、本やインターネットを使い、動物たちが置かれている現状を、少しずつ学んでまいりました。

その中で、疑問に思うことや、知りたいことが出てくるわけですが、ネットの情報は確実性に欠けますし、本は、相応の確実性は担保されるものの、すべてを網羅しているわけではありません。

また、来年の夏に、ひとつ予定していることがございまして、そのために、自分の目と耳で、きちんと現状を知らなければならない、という思いが強くなりました。

全国の自治体の事情はわからなくても、自分たちの住む町の事情なら、知ることができるのではないか。

そう考え、センターに問い合わせをしました。



保護団体の人間でもない者からの突然の申し出に、こちらの目的を測りかねているのでしょう。

受話器の向こうの気配が、若干の戸惑いに揺れています。

「常にオープンになっている“ふれあいコーナー”がありますので、そこにはいついらしていただいても構いませんが・・・。」とのお返事。

そこで、これまで私たちが考えてきたこと、このアクションを起こしたきっかけ、そして、夏に予定している内容と、何のために何を知りたいのか、ひとつひとつお話させていただきました。

すると、「なるほど。よくわかりました。中に入れない部分については、写真による説明をさせていただき、そのほかは、私がご案内しながら説明させていただきます。」と、快く応じてくださいました。

この方は、センターで働く獣医さんでした。

わがままな申し出に時間を割いていただくことに、何度も受話器越しに頭を下げ、日程を調整しました。

そして、当日までに作成したノートを手に、ふたりで伺ってきたのです。




結果として、思っていた以上のことを知ることができました。

情報は、できるだけ多くの方に知っていただきたく、記事にまとめたいと思ったのですが、これが、なかなか難しいものがありました。

知り得た情報を、どのようにまとめたら良いのか・・・。

また、正直なところ、情報をまとめて文章にする作業が、とてもつらいのです。

楽しい記事と違って、こうした内容は、何度も具合が悪くなってしまいます。

そんなときは、書くこと程度で泣いていてどうするんだ!と、自分を奮い立たせました。

動物たちにとっては、読み進めるのを躊躇するおそろしい小説でも、目を覆いたくなるホラー映画でも、ないのです。

知らなければ無かったことになる、フィクションではありません。

これは、まぎれもなく、彼らの現実なのだから。



2月から今日まで長い期間がかかりましたが、しっかり現実と向き合おうと思います。



今回のシリーズは、先生にご助言いただいた、公の場に記す際の注意を踏まえ、また、調べた法律の話も少し交えながら、書いてまいりたいと思います。

どうか、最後までお付き合いくださいませ。



保健所やセンターの事情をすでによくご存知でいらっしゃる方には、改めて悲しみを深くさせてしまうだけかもしれません。

ご自身のご判断によって、スルーなさってください。



以下、マリリン地方のセンターにおけるお話です。

ほかの自治体では取扱いが違ってくると思いますので、それを念頭に置いてご覧いただけると幸いに存じます。






約束の日、センターの中へお邪魔すると、担当してくださる獣医さんは電話中とのことで、しばし待つことに。

その間、ロビーに貼られたポスターや、動物関連のパンフなどを眺めていました。




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あ!これ!

『ひまわりと子犬の7日間』のポスターが

すみません、なんせ2月の出来事なもので

当時は、この映画が公開間近だったのです。




さあ、電話を終えた獣医さんがいらっしゃいましたよ。

作業着のような服に厚手のジャンパーを羽織り、小走りでやって来てくださいました。

あとでお聞きしたら、このセンターでは、動物たちのところに暖房が完備されているので、職員のいる空間は節電し、みな厚着でがんばっているそうです。

私たちと同年代か、もう少し上くらいでしょうか。

そのまなざしを見つめただけで、仕事に一生懸命なのが伝わってくる、そんな印象の方でした。

のちに、この印象は、的中することとなるのです。




まずは、施設内の見学から。

このセンターは、平成18年に、新設されました。

それまでは、保健所だったそうです。

まだまだ新しい建物だからということもありますが、それにしても、とてもキレイであることに驚きました。

お聞きすると、衛生管理はかなり徹底して行ってらっしゃるとか。

この施設内で院内感染のようなものが発生しないよう、犬や猫、小動物がいるすべての空間を、常に清潔に保っておられます。

掃除や消毒の徹底ぶりがハンパなくて、掃除が苦手な母ちゃんは、頭がクラクラしました。



センターの入口の横には、広くスペースを設けた、ふれあいコーナーがあります。



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毎日いろいろな方が、犬と触れ合いに来るそうです。



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この日のふれあい犬は、5匹。

ふれあい犬に選ばれる基準は、やはり人に慣れていて、危害を加えることのない子。

子どもたちがやんややんやと色々なところを触るので、それに耐えられる子がふれあい犬の役になるそうです。

センターに入ってきた犬の中で、そういった条件を満たしている子が選ばれます。

ふれあい犬になるほどではないけれど、ある程度人に慣れている子は、家庭に譲渡されていきます。

ふれあい犬も、希望があれば、もちろん譲渡対象となります。

ふれあうことのできる犬であるだけに、譲渡もスムーズで、たくさんの犬が卒業しているそうです。



たまたまこの日、ふれあい犬から一般家庭に譲渡された卒業犬が遊びに来ていて、先生との再会という感動的な場面に出くわしました。

先生が、「あれ? もも? ももじゃないか!! もも~!!」と突っ走っていったときは、後ろで見ていた私たちも、目頭が熱くなってしまいました。



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ふれあい犬は、柵越しに触れ合うだけでなく、時には、遊びに来た市民と一緒に散歩も行きます。

センターとしては、近所の子どもたちが犬や猫と遊びに来てくれるのもうれしいけれど、やはりできれば、犬を飼ってみたいんだけど触れたことがない、どうしたらいいかわからない、という方々に積極的に来ていただいて、散歩を一緒にしてもらいたいそうです。

触れ合うだけでなく、散歩に行き、犬の力を体感し、そしてうんちの温かさをビニール袋越しに感じてもらう。

飼う前に、ぜひそういった経験をしてもらいたい、とおっしゃっておりました。



かわいいふれあい犬を前にし、当初の目的を忘れ、うっかり長い時間ふれあいまくっちゃった私たちですが、この日のふれあい犬の中に、とても気になる子がいました。



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オムニちゃん。



オムニちゃんという名はあるものの、年齢が年齢なので、みんなから「おばあちゃ~ん!」と呼ばれていました。

真っ黒な身体に、味のある白髪。

ピー玉のようにきれいなおめめが、くるりと光ります。

母ちゃんの実家にいたクルタンを彷彿とさせるその姿に目を奪われたわけですが、気になった理由は、ほかにもありました。

それは、フィラリア症だったということ。

センターに来る犬の場合、フィラリアに罹っている子は、めずらしくありません。

おばあちゃんは、重度だったそうです。

それをお聞きして、聞きたいことリストに入れてあった質問を思い出した母ちゃん、その場で先生にたずねました。

「フィラリア治療は、どういった方針になっているのでしょうか?」

日々進行してしまうフィラリアなので、センターでも治療するそうですが、その方法は、一律、注射による駆虫だそうです。

以前、こちらの記事にも書きましたが、注射による駆虫は、成虫を殺すことができるという大きなメリットがあるものの、かなりの危険を伴います。

ですが、センターの仕事は、すべて税金で行われますので、お金がかけられません。

そのため、一律、注射で駆虫する方法をとっているそうです。



で、おばあちゃんは、年齢的にも相当な危険を背負って、治療に臨みました。

そして・・・

見事、駆虫に成功し、元気に復活してくれたのです!!

やったぁ~!!

おばあちゃん、よくがんばったね~♪

元気になって、よかったね!(^^)!



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「そんなことより、撫でとくれよぉ~!」



オムニちゃんは、その後すぐに希望者が現れ、今は幸せな生活を送っているそうです



ふれあい犬たちとひとしきり遊び、隣へ移動すると、



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猫さんのお部屋がありました。



この猫さんたちも、ふれあい猫で、やはり、人慣れしている子がこの役を担当しているそうです。

私たちが見ていると、さっそく近所の子どもたちがやって来て、撫でておりました。



写真は撮っておりませんが、少しだけ、バックヤードの部分も見せていただきました。

フードを管理する部屋や、食器などの洗い場、そしてシャンプートリミングの部屋などがありました。

食器も常にピカピカ。

きれいに洗って、消毒ばっちりです。

フードも、種類ごとに徹底管理されております。

「フードの寄付は受け付けていますか?」とたずねたところ、このセンターでは一切受け付けていない、とのことでした。

犬の体調管理に合わせてフードの種類を決めていることが、理由のひとつ。

また、値段の高い良いフードなどをいただいてそれをあげてしまうと、譲渡されたあとに里親様のところで困ってしまうことがあるようです。

迎えられたお家で、必ずしも高級フードが食べられるわけじゃありませんから・・・と苦笑いの先生でした。



トリミングルームでは、職員の方が、ちょうど犬を乾かしていました。

みなさん、朝晩犬たちの散歩も行き、掃除に消毒、ごはんの管理など、本当に忙しく働いてらっしゃいます。

犬たちの世話は、業務のほんの一部で、ほかに山ほど仕事がありますから、本当に大変だと思います。

中には、しつけが得意な職員の方がいて、その方にしつけられたことにより、譲渡できる状態になった子が何匹もいるそうで、みなさんのがんばりが、動物たちの命をつないでいるのだと感じました。



施設の見学は、ここで終了です。

犬猫を収容している場所や、負傷動物、咬傷犬の管理の部屋、また処置診察室&手術室、その他検査室、そして処分室など、いろいろな部屋がありますが、そこは、一般の人は入れません。

外からの病原菌を持ち込まない、また、中にある病原菌を外に出さない。

それを、徹底して行っているそうです。



さて、ひと通り見学が終わり、ここからは、先生とのお話に入ります。

長くなりますので、この続きは、次回に。




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「あたしゃ、昔の記憶はしまい込んだよ。 胸の奥の、うーんと向こうのほうにね!」




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「みなさん、仲間たちのこと、知ってください。」


| 愛護センター | 07:37 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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相棒、くうちゃん


週末、ある場所へと向かいました。

今年の夏前から計画していた、お友達とのご対面です。




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「は~い! みなさん、こんにちは! くうだよ~~~!!」



ようこそ我が家への、くうちゃん♪

ぴっちぴちに若さあふれる女の子でございます

この日、くうちゃんとパパさんママさん、そして息子さんも一緒に、遠方から車をかっ飛ばして、マリリンに会いに来てくださいました~!

くうちゃんも、愛護センターから迎えられた、保護犬です。

来たばかりの頃は、家族に対してもビビリでなかなか大変だったそうですが、今はすっかり、このお顔。




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「知らない人にはまだちょっとビビるけどね、あたしも成長したってもんなの!」



マリリンとのご対面は・・・



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「ども~。」


地味~におさまりました(笑)

イケイケタイプだと、「うるさいわね!おだまり!」とガウっちゃうこともあるマリリン。

こんな風に地味な接し方の子が相手だと、何度か会ったことがあるような落ち着きっぷりです。



待ち合わせの場所は、道満グリーンパーク

ここは、とっても広い公園で、



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「あ~!! あたしのランだぁ~!!」


そうです。

くうちゃんのではありませんが、ドッグランがあるのです。

くうちゃんは、日頃、時間があれば毎日でもランで遊んでおりますので、ここはひとつ、走っとかなきゃね!ってなわけで、突撃です!



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ワクチン任意とのことで、抗体検査もしていることから、マリリンも難なく入れていただくことができました。


入場するやいなや、



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くうちゃん、走る、走る!!


ものすごいスピードで、父ちゃん母ちゃんは、口あんぐりでした

犬たちがビュンビュン走るのを見るって、なんて気持ちがいいんでしょう!



マリリンは、久しぶり過ぎるランに、



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ド緊張


ずっと私たちのもとを離れません。


けれど、



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少しずつ犬の数が増え、ご挨拶をするうちに、



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一緒になってみんなを追いかけていましたよ~


まったく追いつかないんで、ダッシュするたび、すごすご戻ってくるんですけどね



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「あたし、やっぱり年とってきたみたい。」


そうだね、父ちゃん母ちゃんも、ひしひしと感じたよ。

1年以上前、ランでみんなを追いかけていたときとは、明らかに体力が違いました。

無理させない程度にして、あとはのんびりです♪



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「姐さん! だいじょぶですか! あたしが姐さんの分まで走っときましたから!」



くうちゃんは、笑顔いっぱい

んも~、かわいくって仕方がありません



さあさあ、心身が満たされたら、次はみんなで園内のお散歩です。



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先ほどよりも、距離の縮まったふたり。



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くう 「姐さん、ここに怪しい匂いが残ってますぜ。」

マリ 「うむ、危険だな。 確認しよう。」


な~んて、つい親分子分の会話を想像しちゃったのは、ブルーくんとマリリンの関係によく似ていたから♪

何と言いますか、見れば見るほど、マリリンへの接し方がそっくりなんですよね。



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遊ぶときは遊んで、でもどこか自分が一歩下がり、マリリンのことを労わってくれる。

常に空気を読みながら、上手に姐さんのお相手をしてくれるのです

マリリンは、お相手をしてもらっているなどとは微塵も信じず、この場がうまくおさまっているのは自分の力によるものだと言わんばかりに、エバっておりますが(笑)



くうちゃんのやさしさは、ご家族と暮らす中で自然と備わってきたものなのでしょう。

くうちゃん家の息子さんは、障害をお持ちで、車いすの生活をしているのです。

今回、息子さんにはお会いできないかもと思っていたのですが、なんと、はるばる一緒に遊びに来てくださいました♪



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車いすと、車いす。


マリリンは、最初からすっかり馴染んじゃって、いそいそと隣を歩いておりましたよ



が。

ピピー!! ピピー!! (マリリン脳内警報)

緊急事態発生!



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「ちょいと大変だよ! 父ちゃんがいません!」


大丈夫、忘れ物を取りに戻っただけだよ。

何度言い聞かせても、一歩も歩こうとせず。

しまいには、



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「これを噛みちぎってやる! そんで父ちゃんを追いかけるんだ!」


おなじみのリード噛みが始まりました。

みんなに「あれま、かわいい~!」なんて笑われると、




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「てへへ。」


父ちゃんを一瞬忘れ、喜んじゃったマリリンです



その後、今度はくうちゃんのパパさんと息子さんが、用事で駐車場に戻ります。

すると、



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はい、コレ。



くうちゃんは、いつも息子さんのことを気にかけていて、少しでも姿が見えなくなると、ピーピー鳴いて探すのです。(あ、もちろんパパさんのこともね

誰もいなくなった道を、ただただ心配そうに見つめているくうちゃん。

こちらまで、胸が熱くなってしまいました。



無事、パパさんと息子さんが戻ってくると、



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「ひゃっほう!!」


こんなところにハマって、大喜びです





道満をたっぷり満喫した後は、もちろん、マリリンのホームエリアをご紹介♪



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RAINDOGS CAFEです

マットがdazz店長仕様になっていて、非常に通りづらい。

若干またいで、お邪魔しました。



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初めての場所なのに、くうちゃんのお利口さんなことったら!!


ご家族のそばにぴたりとくっついて、すぐにくつろぎ始めました。

どうやら、この空間を気に入ってくれたようです♪



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「マスター! くうちゃんとあたしのテリーヌ、一目散でよろしく!!」


毎週のように来ている場所なので、我がホーム!ってな具合に張り切っちゃって、あれやこれやと指示するマリリンです



犬たちも人間たちも、美味しいごはんに、自然と会話が広がります。

いろいろなお話をすることができて、本当にうれしかったです。

穏やかでやさしくて、とろりと胸に沁みこむような。

そんなひと時でした。




カフェで過ごしている間、父ちゃん母ちゃんの心を揺さぶったのは、何と言っても、くうちゃんと息子さんの姿でした。



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くうちゃんは、いつも息子さんのそばにいます。

息子さんが少し手を伸ばせば、そのやわらかな体温に、触れられるように。

息子さんは、くうちゃんを撫でると、ポッとお顔に表情が灯ります。

そして、くうちゃんは、息子さんを守り、その存在を肌で感じることのできる喜びに、満ちています。

時には、強くしっぽを引っ張ってしまうこともあるようですが、それもご愛嬌。

ひとりといっぴき、互いの息遣いを感じながら、寄り添い合っていました。



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時には、すっぽりと顔をうずめて。



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時には、タイヤに手をかけて。



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そして時には、ごろんちょしながら、息子さんに寄り添います。


まるで、「息子くんは、あたしが守ります。」と、全身で表現しているかのように。





息子さんは、とてもよく笑います。

これは、家に帰ってから、父ちゃん母ちゃんの間で持ちきりとなったことなのですが、本当にうれしそうに、楽しそうに、よく笑っていたのです。

パパさんママさんに声をかけられて、美味しいごはんを口にして、みんなの会話を聞きながら、ころころと笑います。

エバりんぼマリリンの行動にも、ふき出すように笑ってくれました。

けれど、何と言っても、息子さんを笑顔にさせる筆頭は、くうちゃんです。



少しごきげんが曇ってしまったとき。

少し調子がすぐれないとき。

いつだって、くうちゃんがさりげなく登場し、息子さんに寄り添います。

そして、くうちゃんの素っ頓狂なしぐさや、身体の温もりに、息子さんは、途端に笑顔になるのです。

互いの間にたゆたう、深くて静かな時間に、私たちも包み込まれるようでした。



くうちゃん家のみなさま、本当にありがとうございました。




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ひとりといっぴき。

強くてやさしい、相棒です。


| お友達 | 07:32 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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