今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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悲しい光景

みなさま、こんにちは♪

愛護センターシリーズ最終章に、たくさんの思いを寄せてくださって、本当にありがとうございます。

おひとりおひとりのお言葉、大事に拝読させていただいております。



今日は、動物の話ではありませんが、ずっと考えていたことをテーマにしました。

半年以上も前の古い話で恐縮ですが、ある出来事を軸に、思いを巡らせてみたいと思います。







よく、バスに乗ります。

一人での車の運転がちょっとアレなもので、駅周辺の病院に行く際など、けっこう頻繁に利用します。

用事を済ませると、駅のロータリーから再びバスに乗って家に帰るのですが、そこでよく見かける方がいるのです。

車いすの男性。

年は若そうで、背筋がピンと伸び、運転手とのやりとりなどを耳にしても、とてもしっかりした青年です。

私の病院と青年の用事がどうも似たような時間帯らしく、2~3週間に一度は会うので、彼のいる空間は私にとっておなじみの光景となりました。

必ず時間に余裕を持ってバス停に到着し、みなさんの列の横でバスを待ちます。

そして、すでに待機しているバスを1本やりすごしてから、次のバスが到着すると、運転手の手を借り、乗車します。

始発のため、発車までは5~6分。

余裕です。

乗車の際は、運転手がガッチャンガッチャンと座席を動かしてスペースを用意し、車いすの車輪が上れるよう戸口に板状の器具を立て掛け、青年が乗り込み、車いすを固定するといった具合。

その間、少々の時間がかかるのと、次々とやってくる乗客に待っていてもらわなければならないので、バス付近は一時的に、ざわりと空気が揺れます。

バスに乗る。

ただそれだけの行為が、毎回、注目の的。

本当にうんざりするだろうな、と思わずにはいられません。



運転手も、同じ時間帯だからと言って同じ人とは限らないようで、対応は様々です。

イライラが出てしまっている運転手、妙に張り切り過ぎて空回りする運転手。

前者はもってのほかですが、後者も少々厄介で。

大げさに腕まくりしながら、「そ~れ!!よいしょ~!!」なんて大きな掛け声をかけられると、必要以上に人々の視線を集めてしまいます。

また、このあと到着予定のバスを待っている際に、すでに待機している先発のバスから運転手が苛立たしげに降りてきて、


「ちょっと!これに乗るの!?」


と問いただす場面も。

迷惑そうな様子が、眉間のしわに、じめじめと表れています。


「いえ、次のバスです。」


青年が簡潔にこたえると、


「あ、なんだ、そうなの~。」


あからさまに機嫌が良くなって、ニコニコ。

やれやれ、面倒に巻き込まれるところだった~、という心境なのでしょうか。



青年は、おそらく周囲の迷惑にならないようにとのことだと思いますが、できる限りの準備をし、10分以上前にスタンバイ、完璧な状態で乗車に臨みます。

Suica等のカードだと、降りる際に運転手にピッとやってきてもらう手間をかけるからでしょうか、運賃は、お釣りのないよう小銭を用意し、きっちり握り締めています。

「○○までです」と目的地を告げ、その運賃を先に運転手に渡しておくのです。

これで、降りる際の時間も最小限にすることができます。

そんな風に、細心の注意を払い尽くした彼の気遣いを見ていて、すごいな~と思うのと同時に、これまでどれほどいやな目に遭ってきたのだろうか、と考えてしまいます。



そして、青年の日々の生活が、ヒリヒリとした痛みをもって想像されるような、そんな出来事がありました。

今年の2月か3月頃でしたでしょうか。

北風が強く肌を叩き、とても寒い日のこと。



いつものように、病院を済ませ、バスに乗るためロータリーに行くと、ちょうどその青年がバスに乗ろうとしているところでした。

あ、また会ったな、と思いながら、少し離れて立ち止まります。

青年に余計なプレッシャーをかけたくなかったので、バスに乗る人間じゃない風な位置で、ぼーっと駅の人ごみを見ていました。

すると。


「ちょっと! 早くしてよ! 寒いじゃない!」


鋭い声が飛びました。

そちらを見やると、声を発したのは、青年が乗ろうとしている間にやって来たお客さんのようです。

60代くらいの女性2人。

バス停に来て乗車しようと思ったら、目の前の青年が乗るのに時間がかかっている。

寒さに耐えられないんだけど!

ということでしょうか。



運転手は、「すいませんね~、ちょっと待っててくださいね~。」と、女性らをなだめるように笑顔をつくり、青年は、黙って乗車の作業を続けていました。

その目には、悲しみも怒りもありません。

今までにも経験しておられるのだと思います、こんな場面を。

女性らは、周囲からじろじろと注目を浴び、さらに苛立ちが膨れあがったのか、最初より大きな声で、急かします。



「ちょっと!! 早くして!!」



ひどく、悲しい光景でした。



そして、青年が乗車し終えると、ダンダンダンッ!!とバスの床を踏みしめ、怒りをあらわにしながら後ろのほうの席へ乗り込んで行きました。

その後、何人か乗った後、私が乗りました。

女性2人の前方だけが閑散として空いており、そこに座りました。



青年は、まっすぐに前を向き、背筋を伸ばしています。

女性らの口は、まだ止まりません。

タガがはずれたかのように、だらだらと言葉を吐き出していました。


「まったくさぁ~、言っちゃ悪いけど、迷惑なときあるのよね!」

「ほんとよねぇ! 車に乗るとかしたらいいのに。」

「こーゆーのってさぁ~、もし発車時間が遅れたら、どうしてくれるの!?」


後ろから聞こえる言葉の数々に、ギリギリと胸が締めつけられます。

女性らは一番後ろなので、車いすの青年の耳まで届いていたかはわかりません。

しかし、先ほどよりも凛とした彼の背中に、何かはっきりと感じたのです。

聞こえている、と。



「ちょっと、黙ってもらえませんか? それが無理なら車移動をお願いします。」

気づいたときには、後ろを振り返り、そう言っていました。



一瞬の沈黙の後。

女性らの瞳孔がみるみるうちに広がり、怒りが赤く充満しています。


「んまぁ~! ちょっとなあに!? 何なの、このコ!!」


イライラの矛先が、こちらに向きました。

女性らは、目的の停留所に着くまで、私に対して様々な言葉を、それはまさに典型的とも言える形で、ぶつけました。

典型的な悪口には特に面白みも感じず、さほど興味がないため、こちらは右から左。

頭の中を素通りです。



女性らは、最後までバリエーションの乏しい悪口を繰り返し吐き続け、私の降りる少し手前の停留所で、これまた典型的なやり方をもってこちらを睨みつけながら、降りて行きました。



ふぅぅ~~。

黒く淀んだ空気が、ようやく過ぎ去り、ひとつ大きなため息を吐きました。

目的の停留所が近づいてきます。

降りる準備をしようとSuicaを手に、座席に浅く腰掛け直すと。


「あのね。」


近くに座っていたおばあさんが、声をかけてきました。

??と目を向けます。

おばあさんは、くしゃっと顔を丸め、言いました。


「あのね、私も我慢できなかったの。 ありがとう。」


皺と皺の間から、かわいらしい笑顔がこぼれ落ちました。





今回の出来事は、特別ひどいものであった、と思います。

その女性らを、「何たる嫌な人間だ!」と糾弾し、その他の人間を善き者として収めるのが、こういった出来事の際の定石であり、また私自身これまで何度かそのように記事をまとめてきたのですが。

しかし。

とりわけ社会的弱者に関する事象においては、あるひとつの思いが、手放しでそれをすることを、私に躊躇させるのです。

この女性らほどでないにしても、おそらく、誰の胸にも、小さな悪は存在しているはずだから。



車いすの青年に、乗客が軽く舌打ちしている場面には、これまで何度も遭遇しております。

車いすのスペースを確保するため、座席が少なくなったことで座れず、舌打ちする人。

自分に何かしらの不利益が生じることで、車いすの方に迷惑そうな目を向ける人。

とても急いでいて、車いすの方の乗り降りに、「もう~!」と小声で苛立ちを示す人。

いろいろです。



以前、こちらの記事でも書きましたが、世の中の苛立ち、不満、鬱屈した思いは、あらゆる場面で、弱者に向けられます。

おそらく、ちょっとだけ苛立ちを表してしまったみなさんは、普段は、障害というものに対して理解を示し、テレビや映画でそういったものを観れば、涙もするのではないでしょうか。

けれど、実際に、忙しいストレス社会の中で、時間に遅れそうであるとか、座れないであるとか、自分に少しでも不利益が降りかかると、途端に、話は別!となってしまう。

瞬間的に、思わず、といった形で、苛立ちが出てしまうのだと思います。

いつもはちゃんと考えているけれど、「つい」態度に出ちゃった・・・。

態度に出すほうは、「つい」ですが、その「つい」をいつも受け止めるのは、やはり、弱者の方々なんですよね。

そして、「つい」をやったほうは、大抵、すぐに忘れます。

その人にとっては、「つい」くらいの出来事だし、後ろめたく、早く忘れたい自分の恥だから。

けれど、受け止めるほうは、たまりません。

毎日、何人もの「つい」を受け止めてらっしゃるのだと思います。



その障害が、その病気が、テレビや映画などの媒体を通して取り上げられたときだけ思いを寄せ、涙して終わり、ではなくて。

病気と闘う姿も人生ストーリーも大事なことだけれど、本当に大事なのは、ごく普通の、生活における現実であると思います。

一日の社会生活の中で、彼らの心がしんとなる瞬間は、何度あることでしょう。



ものすごく暑くてイライラするとき。

重要な待ち合わせに遅れてしまって、とても急いでいるとき。

嫌なことが重なり、苛立ちが頂点に達しているとき。

様々なストレスを抱え、身体も心も、疲れ切っているとき。

どんなときも、決して弱者に苛立ちをぶつけない、そんな態度は微塵もとらない、と言い切ることのできる人が、果たしているでしょうか。

こんなことを書いている私も、自信などまったくありません。

なぜなら、事務所勤務時代、都会の街を駆けずりまわっていた頃、街中でお年寄りに苛立ちを示してしまったことがあるからです。

依頼者その他関係各署から書類を受け取り、その場で仕上げて、ダッシュで移動。

時間内に官公署へ書類を投げる。

その事務所で私が担当していたのは、そんな仕事でした。

もし書類が間に合わなければ、もし先を越されてしまったら、依頼者の人生が大きく狂ってしまう。

ぎゅうぎゅうと胃を締め上げるプレッシャーは、私からあっという間に、冷静さと想像力を奪い去りました。

お年寄りに苛立ちを向けた日、仕事を終えてから迫ってくるあのざわざわとした気持ち。

自分の胸に、はっきりと刻まれています。

苦い後悔の味は、思い返すたび、自分の弱さ、未熟さを、容赦なく面前に引きずり出すのです。



苛立ちは、決まって、弱者だけに向かいます。

どれほど苛立ちに支配されていても、自分より明らかに強そうな人間、ヤバそうな人間に対してそれをぶつける酔狂な人は、そういないでしょう。

どこか冷静に見極めているんですよね。

愚かな感情を抱かず、愚かな行為をしない人間になれたら素晴らしいですが、現実には難しい。

大事なのは、やってしまったら、しっかりと自分を見つめ、相手の痛みを想像し、考えることなのではないかと思います。



彼らに「つい」を向けるのは、特別に意地悪な種類の人間ではありません。

ごく普通の、一様に温かい心を持ち合わせた、それなりにまっとうな人間です。

いつもは彼らに心を寄せている人でも、自分に余裕がないときは、あっという間に傷つける側にまわります。

次に彼らを傷つけるのは、生活に追われ、ストレスをため込み、自分のことしか考えられなくなってしまった、わたしやあなたかもしれません。

人間のそんな弱さを、私たちは自ら認め、戒め、日々学んでいく必要があると思います。





今回の女性らは、「つい」の範疇を超えた方々ではありましたが、もしかして、後で自分の行為を振り返り、痛みを感じてくれていたらいいな、と思います。




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「あんだかねぇ~。」




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「いい年して、一体何を学んできたのさ! ま、いい年して、こんなフリフリの襟巻きつけてるアタシもアタシだけどね!」


母ちゃんの気まぐれにより、以前シャンプーの際にサロンでつけていただいた襟巻きを、おしゃれと称して巻きつけられたマリリンです。

結局、RAINDOGSのマスターにドン引きされ、さらにライカちゃんに苦笑されて終了しました。

慣れない行為はするもんじゃありません。





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「人間のみなさん。 あのね、神様はいつだって、見ていますよ。」



マリリンに無垢な瞳を向けられると、自分の内にある弱さも未熟さも、すべて見透かされているように思う母ちゃんでありました。



次回、お休み前の最後の記事です。


| つれづれ | 07:17 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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