今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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小説に救われる

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突然ですが。

作家・伊坂幸太郎さんは、「小説というのは、理不尽なことに悲しんでいる人に寄り添うもの」だと言います。

いえ、正確には、それは伊集院静さんが伊坂さんに話した言葉であり、それに感銘を受け、インタビューなどで「小説とは?」と聞かれるたび、「伊集院静さんの言葉でこういうのがあって・・・」と話していたところ、ある日、伊集院さん本人から電話があり、「もういいから。律儀に私の名前を出さなくていいから。あなたの言葉にしちゃってよ。」と言われたという、なんとも伊坂さんらしいエピソードがそこにはあるわけですが。



小説について、彼はこんな風に話しています。



映画や音楽は大勢の人を一瞬でバーンと興奮させたりできますが、小説は読者が本屋さんでひとりで選び、ひとりで読むものですよね。

例えば、父親に説教されても聞く耳持たないけど、本に同じようなことが書いてあったら「ああ、そうかもね」と思えることがあります。

それは自分で選んだ本だから、押しつけられてる感じがしないから。

自分で選んで、自分で読んで、それが本に書いてあったことすら忘れて、自分の感覚として残って染み込んでいく。

読書とは人の内面に色を塗っていく作業だと思うんです。

小説を読めば読むほど内面にたくさんの色が塗られて、それで悶々とすることもあるんだろうけど・・・。

僕自身も、そうしてたくさんの色を塗られてきたと思っています。




伊坂さんのそんな考え方に、私はまるごと共感しています。

内面に色を塗っていくことで、初めて想像力が生まれると思うのです。

「想像力」という言葉は、私にとって、幼い頃から、大きなテーマでした。



想像力があれば、互いを認め合うことができる。

違う価値観、考え方、個性を、分かり合う必要はありません。

認め合うことができれば、それでいい。

互いを認め合えたなら、いじめが減り、犯罪が減り、争いごとが減り、世の中はもっとやさしくなるだろう、と思います。

そんな青臭いことを、と笑われてしまうかもしれませんが、私はずっとそれを信じてきました。

伊坂さんは、エッセイ『3652』で、何度も想像力という言葉を使っております。



3652―伊坂幸太郎エッセイ集3652―伊坂幸太郎エッセイ集
(2010/12)
伊坂 幸太郎

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この本の中に、大江健三郎さんが、「世界中の人間が想像力を働かせれば、核兵器なんて一瞬にしてこの世から消える」とおっしゃっていたというくだりがありますが、まさに私も、そういった考えを抱いてきました。



互いの個性や価値観を認め合うために必要な、想像力。

映画や音楽、絵画など、想像力を生み出し、内面に色を塗ってくれるものは、たくさんあります。

日々の生活の中、人と人とのやりとり、人と動物とのやりとりなど、ちょっとした場面で立ち止まり、思いをめぐらせることも、想像力を養うきっかけになると思います。

そして、中でも、読書が養ってくれるそれは、ほかでは得難いものだと思っております。



本を手に取り、紙の感触を確かめながら、一枚一枚めくり、たくさんの人の感情を想像し、ひとつひとつの言葉の裏側にある思いを想像し、行間を味わう。

何も、現代文の教科書に登場するような古くからの純文学じゃなきゃいけない、なんてことはまったくないと思います。(もちろん、純文学は想像力の宝庫ではありますが)

SFやファンタジーだっていい。

話題になっている作家の本や、映画化されたことがきっかけで読む小説もいい。

エンタメ街道まっしぐらの推理小説や、こてこての恋愛小説もいい。

エッセイやノンフィクションもいい。

漫画もいい。

絵本だって、読書です。

紙の匂いを嗅ぎながら、その肌触りを感じ、五感を使ってする読書であれば、その中身は何であれ、すべてが想像力につながると、私個人としては思っております。



五感を使った読書体験は、ぜひぜひ、幼い頃から味わってもらいたいな、と願います。

大人による絵本の読み聞かせから始まって。

まだ理解できない内容であっても、子どもは、わからないなりに、しっかりと受け取ります。

そしていつか、ハッとわかるときが必ず来るはずです。

幼い頃読んだ本に書かれた思いを、長い時を経て受け取ったときの深い感慨は、私自身、忘れることができません。

本を読むことは、暗闇に迷い込んだとき、必ず光となってくれます。

そっと静かに寄り添ってくれる、人生の友となるでしょう。





少し前に読みました伊坂さんの『ガソリン生活』にも、どれほど助けてもらったことか分かりません。
(この小説については、次回詳しく書かせていただきたいと思います。)

車が語り手という、至って軽快な小説で、何か教えよう、感動させよう、ということはありません。

けれど、私にとっては、価値観を変えるきっかけとなってくれた小説です。

そこかしこに散りばめられたユーモアに泣き笑い、読み終わる頃には、我が家の車に向かって、親しげに話しかけている自分がおりました。(コワッ

それが、伊坂さんの力であると思います。




この本を読んだのは、マリリンのストラバイトが悪化の一途をたどっているときでした。

病院の先生には、このままだとかなり深刻な状態になってしまう、薬を使った治療等を検討せざるを得ない段階に来ているのではないか、といったことをやんわりと言われ、それでも首を振り、納得できるまで調べたい、とお願いしていた時期です。

そうは言ってみたものの、調べても調べてもこたえが出ず、目の前のこの子の症状を改善させることのできない焦り。

積極的な治療を拒んだ自分たちが悪化させてしまっているのだ、という苦しい思い。

2時間置きに排泄をさせ、病気の勉強をし、水を飲ませ、マッサージをする。

けれど、何をやっても悪化していくばかりで。

全力でがんばらなければならないのに、頻繁に頭痛とめまいが顔を出し、まともなお世話もできず、また泣いて、自分に苛立つ。

ストラバイトと向き合う毎日は、精神を縮めてゆきました。



そんなとき、唯一救いとなったのは、夜のわずかな時間、本の世界に入ること。

小説がそっと寄り添うものだということを、強く感じました。





伊坂さんの本に限らず、私は文章に味わいのある作品が好きです。

ストーリーの衝撃度とか、あっと驚く結末とか、それほど興味がありません。

それよりも、そのストーリーをどんな文章で書くのか、というところに興味があります。

伊坂さんは、暴力も多いし、やりきれない事件も多い。

また、最近では国家論が背景に漂うものも多く存在します。(ご本人の主張を述べる類いのものではありませんが。)

内容的にはハードであるにも関わらず、彼は、悲壮感に満ちたり、陰鬱さに支配されたりするような書き方をしません。

常にユーモアがあり、その一文一文に、味わいがあります。

思わずクスッとなり、いったん本を閉じてその言葉を口で転がしてみたくなる、そんな文章が大好きです。

(伊坂さんの文章については、かなり前の記事ですが、こちらでも書いております。)




伊坂さん自身、こんなことを話しています。



「読み進めることが快楽である」と奥泉光さんが言っていましたけども、小説ってそうだと思うんですよ。

小説の喜びはあらすじではない。

でも、あらすじを楽しむ人はけっこう多いですよね。

僕はストーリー展開には実はあまり興味がなくて、文章を読む喜びがある、読んでること自体が楽しい小説が好きなんですよ。

だから、そういうものを自分でも書きたいなあ、と思って。

例えば『あるキング』はストーリー的にはまったく何もない。

あえてそういうのを書いてみたんですけど、たぶん面白くないと感じる読者も当然いるわけで、そういう部分は悩んじゃいますね。




最近の作品はおもしろくないと言われることも多いようで、世間から求められるものと、自分が書きたいものとのギャップは、難しいものがあるのだろうな、と思います。

文章のおもしろさ、また読者に考えさせるようなテーマという意味では、どんどん進化していると思うのですが・・・。

伊坂さんの問題提起は、さらりと軽快に書かれているようでいて、とても難しいです。

これまで疑問に思ってもいなかったことにハッとさせられ、あれやこれや、考えを巡らせずにはいられません。

今回の『ガソリン生活』も、機関車トーマスのようなかわいらしさを伴いながら、ところどころに盛り込まれた各種のテーマは、う~んとうなってしまいます。

とは言え、決して押しつけがましくない。

絶妙だな、と思います。




あるインタビューの中での、伊坂さんのお話をひとつ。



僕はけっこう諦念的なんです。

「だってそうなってるからしょうがないじゃん」ってことが世の中多いじゃないですか。

その「しょうがない」を認める人と認めない人がいて、僕はどうしても認めちゃうんですよ。

認めちゃった上で、でも何とか人間は楽しい生活が送れるのではないかって考えるんですよ。




これは、うちの父ちゃんの考え方とよく似ているんです。

私は、なかなかそうなれません。

何か起こったときに、こうなっちゃったんだから、こういう仕組みなんだから、仕方がない、ではなく、ついつい、なんでこうなっちゃうの・・・とグチグチします。

伊坂さんのような、良い意味での諦め、そして少しでもプラスに持っていこうとする思考は、私の目指すところであります。

なかなか難しいですが・・・。

だからこそ、自分にないものを小説に求め、そこから何かを得ようとしているのかもしれません。






さてさて、マリリンは、元気にしておりますよ~♪

すぐ疲れてへたってしまうのは相変わらずですが、穏やかに過ごしております。



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「あたしのブログなのに、今頃あたしの登場なの。」


ごめん、ごめん

・・・って、あれ?

どーでもいいけど、そのおてては何のつもり?



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「揉み手よ、揉み手。 こうやってご機嫌取りしながら寝れば、夢の中で誰かがおやつくれるかもしれないでしょ。 その可能性に賭けてるの。」



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「あ~ちょいとそこのお方、やさしそうな人だねぇ。 あたしにおやつくれたら、素敵な人生が待ってるよ。。。むにゃむにゃ。。。」


夢の中でも、幸せを感じてくれているといいな♪




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「そうそう、あのね、母ちゃんが想像力の話をしたけどね、まさにそれを考える出来事があったわけ。 あたしゃ、悲しかったんだよ。 あとで聞いてくれるかい。」


そうなんです、この記事の下書きをあれやこれや書いている時に、ちょっぴり残念なことがありました。

また近いうちに書きますので、マリ坊の話を聞いてやってくださいませ。



長い記事を読んでいただき、ありがとうございました

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