今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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『ガソリン生活』

みなさま、こんにちは~♪

前回記事の拍手欄が変で昨日コメントができなかった、というお言葉を何人かの方にいただきました。

最近、FC2の拍手の不具合が多いようで・・・。

大変ご迷惑をおかけいたしました。



読書や想像力について思いをめぐらせていただきました方、本当にありがとうございます。

「読書は紙に触れながらでないと吸収できない。」

「デジタルは自分にとっては読書じゃない。」

とおっしゃる方々もいらっしゃり、深く共感いたします。

デジタルと紙は、まったく別物と思っております。

パソコンを使ってブログをやっている身でアレですが・・・。

五感を使った読書は、やっぱり紙じゃないとね





さてさて、今日は、前回書きました、伊坂幸太郎さんの『ガソリン生活』について、お話させてくださいませ。



ガソリン生活ガソリン生活
(2013/03/07)
伊坂 幸太郎

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この小説は、緑のデミオである「僕」が、自分を所有する望月家に巻き起こる騒動を語っています。

車同士はいつも自由におしゃべりをしており(自転車が発する言語は意味不明らしい 笑)、人間の言葉も理解できる。

しかし、車の声は、人間には届きません。

人間は、まさか車が感情を持ち、あれやこれやおしゃべりをしているなどとは、知りもしないのです。

それぞれの車は、その持ち主に肩入れする傾向があり、持ち主のことが大好きです。(動物みたいですね

なので、持ち主の身に危険が及ぶと、あたふたと慌て、なんとか助けようとします。

しかし、悲しいかな、車ですから、人間によってエンジンをかけられなければ動くこともできず、また、どんなに叫んでも、人間には届きません。



この小説のおもしろさは、何と言っても、車の感情を語る部分や、車目線の会話。

思わず、「へぇ~!こんなことを思っていたのか!」なんて、その辺を走る車が急に愛おしくなります。

対向車同士で通り過ぎる際に一言ことばを交わしたり、駐車場で居合わせた車同士で話し込んだり、どうやら彼らは常におしゃべりをしているようです。

宅急便トラックの清々しい仕事ぶりに感嘆し、電車にあこがれ、自転車とは分かり合えないと思っている。

常に持ち主のことに気を配り、風を感じて走ることのできる喜びを味わい、そして、いつか必ずやって来る廃車という終わりに、怯えています。

それぞれの車に個性があり、たとえば警察車両は、誇らしげに任務を遂行するし、たとえばタクシーは、妙にプライドが高く、「君たち自家用車と違って我々は常に走っているからね」が口癖だと言います。

興奮すると、ワイパーが激しく動き、びっくりすると、開いたボンネットが塞がらなくなる。(←そうなる気がするという、車自身のイメージ)

駐車場では、まっすぐにきれいに停めてもらえないと、持ち主が戻るまでずっと居心地が悪い。



そんな車たちの個性あふれるやりとりに、思わずクスクスと笑いがこぼれるのです。



運転における車たちの気持ちという部分で、一番印象に残ったのは、クラクションのお話です。

彼らは、自分たちの一部でありながら、どうにもその機能が好きになれません。

下品で原始的なあのような音が自分から発せられるなんて・・・!

ある日、駐車場に停まった車同士で話し合います。

そもそもクラクションは危険を知らせるためだったり、警笛鳴らせの標識の場所で鳴らすためだったり、それらが役割であるはずだけれど、現実は、違う。

飛び出してきた子どもにクラクションを鳴らしたところで、びっくりして逆に固まってしまうこともある。

危険が迫ったとき、クラクションを鳴らす前にまずやらなければならないのは、ブレーキを踏むことだ。

警笛鳴らせの標識もあるが、その指示に従って鳴らしている車など見たことがない。

となると、普段、クラクションが活躍するのは、前に停まっている車が信号が青になっても発進しないときか、近くの車の運転手が気に入らない、というときがほとんど。

つまり、何かを知らせるためではなく、運転手の怒りや苛立ちを表明するために使われているんだ、と車たちは思っています。

人間の感情表現のために、現代のクラクションは存在している、と。



そして、駐車場の車たちは、自分なりに、クラクションを解釈しようとします。

このようなクラクションがなぜついているのかと言えば、もしかしたら必要になる時があるかもしれないから、と保留しているんじゃないか。

スピードメーターは200キロ以上まで目盛りがあるし、ステレオの音量だって、最大にしたらトンデモナイことになる。

でも、もしかしたら必要になるかもしれないから、車にはそれが用意されているのだ。

そして、車たちは言います。

「人間の愚かさの一つだな」




CIMG1451_R4.jpg




こうした車目線のやりとりで言葉を紡ぎながら、ある大きな事件の真相に迫ってゆくのです。

伊坂さんのことなので、ファンタジックな小説の中にも、きちんと(?)事件があり、ハラハラさせる展開も盛り込まれております。

そして、何と言っても、そこかしこに散りばめられた、ハッとさせられるテーマや、言葉の数々。

中でも好みは、望月家の末っ子である亨の言葉です。



亨は、小学生だけれど、大変に賢く、思慮深い。

そして、そういう子は、当然の如く、いじめを受けています。

しかし、亨はそれを自然の摂理であるように受け止めており、その彼から発せられる言葉は、時にぐさりと心をえぐり、時に軽快なユーモアでなごませます。

大人たちが、「きみは小学生なのに何と言うか・・・」と呆れると、亨はいつでも、こう返すのです。

「生意気でしょ。だから、ちゃんと学校では苛められているんだから。安心して。」

彼がどんな風に生きているのか、その生きづらさを思うと、強くて悲しいマイノリティーに、思わず泣き笑いの自分がいました。



亨のほかに、言葉が印象的だったお方が、もう1人。

いや、もう1台。

望月家のお隣さんである細見家が所有するカローラの「ザッパ」です。



ザッパは、メンテナンスにメンテナンスを重ね、いくども車検を乗り越えてきた、古いカローラGT。

なぜザッパという名前がついているかと言うと。

小学校の校長先生である細見氏が、フランク・ザッパの大ファンで、カーステレオにはザッパの楽曲ばかり入っており、極めつきはナンバープレートまで「38」であることから、車たちの間では、彼をザッパと呼んでいるのです。



フランク・ザッパは、アメリカの偉大なロック・ミュージシャン。

細見氏は、ことあるたびに、児童の前で、「フランク・ザッパを聴きなさい。」と言うんだとか。

どんな悩みに対しても、「フランク・ザッパを聴きなさい。」で終了。

フランク・ザッパに傾倒した細見氏に傾倒しているザッパは、ほかの車たちにたくさんのことを教えてくれます。



フランク・ザッパの言葉で私が一番気に入ったのは、「人間の思惑の99パーセントは失敗する」というもの。

細見氏は、この言葉を借りて、学校で児童たちに言うそうです。

「いいかい、人間のやることの99パーセントは失敗なんだ。だから、何も恥ずかしがることはないぞ。失敗している状態が普通なんだからな」と。

ネットで好き勝手に言えるこの時代、たったひとつの失敗をこてんぱんに叩き、二度と立ち上がれないように集中攻撃する、そんな傾向がどんどん強まっている気がします。

何様だか知らないけれど、自分のことは棚に上げて、他人の失敗を絶対に許さない。

何のリスクもない安全地帯にいながら、顔の見えない“仲間たち”と一緒にターゲットを断罪し、正義がどうのと平気でうそぶく。

そんないじめ体質の世の中にうんざりしていたので、この言葉は心地良く胸に響きました。





『ガソリン生活』を読んでからというもの、運転中に目に映る景色が変わりました。

何より、今まで何とも思っていなかった我が家の車に愛着がわき、運転がはるかに楽しくなったのです。



興味がないため車種など知りもしなかった私が、今では信号待ちなどで、周囲の車を眺めては、「あ、あれがカローラかぁ~! ムーヴにアルト、ミニクーパー、横にいる大きい車はエルグランドかな? あ、こんなところにデミオはっけ~ん!」などと大喜びしているのだから、我ながら笑ってしまいます。

少々急ハンドルになったときは、「わわ、今痛かったでしょ!」と声をかけ、駐車場で線に対してきっちり平行に停められなかったときには、「ありゃ、居心地悪いよね、ごめんね~。」と謝る。

家に着いたときには、「今日もありがとう。」と車体を撫で撫でしてお礼を言います。



縁あって我が家に来てくれた車の感情を、あれやこれや想像するようになりました。

父ちゃんの滑らかな運転では気持ち良く走っているのが分かるし、私がハンドルを握った瞬間に、ある種の緊張が走り、「ヒッ!」と身体を強張らせるその息づかいが伝わってくるのです




CIMG1265_R4.jpg
「あたしも愛車持ってるよ!」




小説のおかげで、車に乗ること自体が楽しくなると、ずっと上達しなかった運転も、少しずつ自信がつくようになってまいりました。(まだひとりでは運転できませんが。)

また、前回書きましたように、ストラバイトの悪化により鬱々としかけた気持ちを、クスッと笑みがこぼれるユーモアでそっと持ち上げてもらい、精神的にとても救われました。

こうして、人生の良き友となってくれるから、読書ってやめられません。





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「あたし、うちのワゴンRと話せるんだよ。 あたしがこのうちに来たときにね、シェルターのお届け車から、あたしの取り扱い説明を引き継いだんだって。」


うんうん、きっと、そうだよね。

マリリンが来た頃には、すでにワゴンRは我が家の一員だったもんね。

父ちゃん母ちゃんだけじゃないんだ、マリリンをドキドキして迎えたのは



緊張で強張り、いつも無表情だったマリリン。

何のトラウマか知らないけれど、スズメ一羽、木の葉一枚に震え上がり、まったくお散歩ができなかったマリリン。

すぐパニックになって、大絶叫をあげ、暴れまくったマリリン。

そんな彼女が、ゆっくりと成長し、この家に馴染み、少しずつ心を開いてくれるようになったこの3年間を、ワゴンRは、ずっと見守ってきてくれたのかもしれません。




CIMG9491_R3.jpg
「あたしがモジモジしてるとね、いつもワゴンRは言ってくれたの。 大丈夫、きっとうまくいくよって。」


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