今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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「かわいそう」の言葉

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みなさま、こんにちは♪

今日は、ブログお休み前の、最後の記事です。

一緒にお付き合いいただけたら、うれしく思います。

私が子どもの頃からずっと考えてきた、ある言葉についての、お話。





マリリンと一緒に暮らしていて、よく掛けられる言葉の年間記録ダントツトップ。

常に不動の第1位を守り抜いている、あの言葉。

それが、「かわいそう」です。



みなさまは、この「かわいそう」という言葉、どんなときに使ってらっしゃいますか。

この言葉に、違和感を覚えたことは、ありませんか。



私たちは、マリリンとの散歩の中で、また外出先で、一日に何度となく、「かわいそう」と言われます。

眉をしかめ、隣の人の腕をつつき、「やだ~うそ~」と両手で口を押さえて。

子どもたちも、ほぼ全員が、そろって判で押したように、「かわいそう~」「かわいそうな犬~」。

みなさん一様に、悲嘆にくれ、同情に酔い、“心を込めて”「かわいそう」の言葉を置いていきます。



穏やかであるはずの、散歩の時間。

過度な同情、また嫌悪の発露として私たちに向けられる言葉は、実にさまざまです。

「悲惨」「むごい」などはお馴染みであり、時には、この飼い主はこの犬にどんな過失を行ったのだ!(よもや故意じゃあるまいな!?)という“愛犬家”による非難の声もめずらしくありません。

陰鬱な気配を伴って背後から忍び寄り、差別的な言葉をささやかれることもございます。

そういった、身体の芯が一瞬にして青ざめる類いとは違いますが、「かわいそう」は、それに匹敵する息苦しさをもたらす言葉であり、私たちは、ひどく、胸が冷え冷えとするのです。

毎日のことなのに、いまだに慣れることができません。







「かわいそう」には、2種類の使い分けがあるように思います。

1つは、何かちょっとした出来事が起こったときに使う、「かわいそう」。

例えば。

小さな子どもが転んでしまった → かわいそうに、痛かったねぇ~。

風邪をひいて寝込んでしまった → 具合悪いのかい、かわいそうに、つらいねぇ。

自分一人だけお留守番になった → 一緒に行かれなかったの?それはかわいそうに。

これらは、比較的、軽めの使い方です。



それに対し、もう1つの使い方としては、本人にはどうにもならない境遇のようなものを対象にした、「かわいそう」。

例えば。

さまざまな障害、病気に対して。

親がいないなどの、人生における境遇に対して。



両者とも、「同情」がベースとなっていることについては共通するところですが、2つ目の「かわいそう」が向けられるのは、本人にはどうすることもできない事象です。

1つ目の「かわいそう」においては、例えば転んでも傷はすぐに治るし、いやなことがあってもいつかは過ぎ去る。

けれど、2つ目の「かわいそう」の対象は、本人に何の責任もなく発生し、本人にはどうすることもできないまま、大抵は、継続する事象です。



また、基本的に、「かわいそう」という言葉は、目下の者に対して掛ける言葉であることも、重要なポイントだと思います。

例えば、おじいちゃんが孫に対して「おうおう、痛いのかい、かわいそうになぁ~。」と使うのは、孫は目下の者であるわけですから、当然何ら違和感は感じません。

しかし、障害や病気、境遇に対しては、どうでしょう。

なぜ、下に見る必要があるのか。

こういった方々に対し、なぜ人は上から目線になってしまうのでしょうか。

そこには、優越が存在しているからだと思うのです。

2つ目の「かわいそう」は、同情がベースであるものの、その向こうに、好奇や優越が見え隠れします。

「どういう状態なのかもっと見たい、事情をもっと知りたい」という好奇。

「自分や自分の家族は健康で良かった、“普通の”家庭で良かった」という優越。

そういった精神が、身体のどこかに存在しているのではないでしょうか。

自分は、2つ目の使い方の「かわいそう」を、親しみと優しさをもって使用している、という方もいらっしゃるかもしれません。

それは、おそらく、「かわいそう」を口にする側のみが抱いている感情です。

どうか、少し立ち止まり、あらためて想像してみていただきたいのです。

自分が障害や病気を持っているとして、他人から、「あの人かわいそう」と言われている場面を。

そこに、本当に、親しみと優しさを、感じられるでしょうか。

その言葉を向けられ、やわらかな気持ちになるでしょうか。







「かわいそう」

私がこの言葉について深く考えることになったのは、小学生の頃でした。

私も、小学生までは、2つ目の使い方で「かわいそう」を使っていた一人だったのです。



あれは、小学校4年生くらいの頃でしたでしょうか。

それまで校内の養護学級で勉強していた、知的障害のある女の子が、私のいるクラスで一緒に学校生活を送ることになりました。

養護学級がなくなるためか、はたまた何か大人の事情があったのか、その理由は、記憶しておりません。

とにもかくにも、ある日突然、彼女がクラスに加わったのです。

そして、○○ちゃん係という係がつくられ、先生から私が任命されました。

いま思えば、○○ちゃん係などと言う名称自体が問題であろうと思いますが。

なぜ私が任命されたのかは、はっきりと分かりません。

それまでも頼まれ事をいつも引き受けていたので、おそらく言いやすい子どもだったのだろうと認識しています。



当時、私は、いじめを受けていました。

ボス的な女子の目の敵にされ、そのボスにクラスの女子が従っていたという、よくあるパターンです。

いじめは、保育園から続いていました。

きっかけは、私の虚弱体質です。

常に色々な病気にかかっていたので、病院から運動その他の制限を設けられることが多く、何かと周囲と同じことができませんでした。

あれもできない、これもやっちゃだめ。

身体を動かす類いのことは、ほとんどできません。

みなと同じ内容の生活を送れないことは、逆に言えば、私だけ特別扱いをされているように見えたのだと思います。

人を貶めることで自らの平穏を得ようとする、そんな人間の根源的な性質が、わずか5歳足らずで十分に備わっていることを知りました。



そして、運のないことに、小学校に上がった際、保育園で一緒だったそのボス女子と、また同じクラスになってしまったのです。

クラス替えのない学校でしたので、6年間、耐え続けなければなりません。

朝から夕方まで、誰からも言葉を交わしてもらえず、ボス女子の鋭利な悪口に身を切られ、それに従う笑い声に心をえぐられる毎日。

年に数回、なぜかボス女子が私の存在に許しを与えるときがあり、その間だけ、ほかの女子がぎこちなく会話をしてくれます。

うれしいのです。

悪口を言われず、みながしゃべってくれるのは、とてもとても、うれしいのです。

同時に、つらかった。

一瞬でも喜びを知ってしまった心は、それを知る前よりずっと、弱く、脆い。

許されたあと、再び私の存在を消される日。

それは、永遠に許されないよりも、つらいものでした。



私は、いじめを受けている自分を、ひどく恥じました。

長年いじめが続いているのは、自分の存在そのものが、悪なのかもしれない、と。

目立たないように、目立たないように、存在を消し、ひとりで過ごしました。

むせかえるような悪意にまみれ、その中心にうずくまり、ひっそりと、呼吸するだけ。

クラスの中で生きながら、私はそこにはいなかったのです。

生まれて数年で知る、圧倒的な絶望でした。



唯一救われたのは、本を読む時間。

休み時間に、それぞれのグループでおしゃべりに集中したり、校庭へ遊びに行ったり、連れ立ってトイレに行ったりする間、自分の席で、本の世界に入ります。

頭の中は、自由です。

その自由を奪い、支配することは、誰にもできません。

とりわけ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』との出会いは、特別なものがありました。

ジョバンニとカムパネルラの、痛みを共有する鋭敏な感受性と、やさしさに満ちた想像力。

そして知る、それぞれにとっての、「ほんとうの幸(さいわい)」。

息も吸えないほどの涙をもたらしたその物語は、小さな胸に、ひとつの光を見せたのです。

生きることへの、切なく、狂おしい光。

「ぜんたいの幸福なくして、個人の幸福なし」

私にとって、魂の奥底を揺さぶられるメッセージでした。

たくさんの物語が、私の中で生きてくれたから、生きることをおしまいにせずに済みました。



そんな中、突然に始まった、障害を持つ彼女との生活。

ぴたりと机を寄せ合い、試行錯誤しながら、身のまわりのことを行いました。

日常会話は難しいため、ごく簡単な単語を用いて、互いの意思をやりとりします。

うれしかったのは、「○○ちゃん」と、私の名前をすぐに覚えてくれたこと。

私たちは、少しずつ、少しずつ、気持ちを分け合ってゆきました。



彼女は、よだれが流れてしまいます。

垂れるというよりは、口元からあふれ出て、流れているのです。

子どもながらに、「ずっとこんなに流れていて、水分が足りなくなるのではないだろうか」と心配しました。

クラスに来た当初は、よだれ掛けのようなものを装着されておりましたが、彼女はそれがあまり好きではないようです。

それに、あまりに流れ過ぎて、よだれ掛けでは間に合いません。

何枚かタオルを用意し、よだれを拭くことにしました。

嫌がるかな、と不安に思いながら、そっと口元に手をやると、最初こそ驚いたようにこちらを見たものの、それ以降は、自分から口を出してくるようになりました。

2~3分置きにはあふれ出るので、授業中も休み時間も、常に一緒に行動しました。

そのうちに、あっちに行きたい、こっちに行きたい、と意思表示をしてくれるようになり、休み時間に彼女と校舎を歩くのが楽しみになりました。

私ばかりが、何かをしていたわけではありません。

彼女との生活が始まってから、あれほど虚弱で病気ばかりしていた私の身体が変わりました。

少しずつ寝込む日が減り、学校を休むことが少なくなってきたのです。

肉が食べられないことで、居残りばかりしていた給食。

肉の入った器を見つめ、ぽたぽた涙を落とす私の背中を、彼女はいつも、遠慮がちに撫でてくれました。



ぴたりと寄り添って生活する、私たち。

いじめられっこと、障害を持つ女の子。

当然、好奇と悪意の対象となります。

よだれを拭くのが汚いと言って、私へのいじめは悪化しました。

けれど、こわくなかった。

彼女がいたから。

彼女の笑顔は、まさに向日葵のようでした。

眉毛の上で切りそろえられた前髪を揺らし、ほかほかと笑う、あの笑顔。

彼女は、いつも、日向の匂いがしました。



そんな彼女との日々が始まり、少し経った頃のこと。

休み時間に、彼女とふたりで校舎の中を歩いていました。

ひとりの先生が、前からやってきます。

先生は、彼女が私のクラスにやって来たことは知っていましたが、私と彼女が寄り添って過ごしていることは知らなかったようで、その場で少し話をしました。

私は、彼女との豊かな日々について、伝えました。

先生は、目を細めて聞いてくれています。

そして、話の中で、私は、例の言葉を口にしたのです。


「○○ちゃんはね、障害があるのはかわいそうだけど、でもすごくがんばってるの。」


にこやかな先生の顔が、少し曇りました。


「ん? ちょっと待って。」


そう言って、私の目を見つめます。


「かわいそう、かな?

○○ちゃんは、かわいそうだと思う?

かわいそう、という言葉は、何か違うと思わないかな?」


ひゅうと喉がつまり、緊張が走ります。

どくん、どくん、どくん、どくん。

心臓が、大きく波打ちました。


私は、先生にまで、嫌われてしまう。


ぐにゃりと地面が歪むような、強い恐怖に襲われたのです。

自分の失敗により、先生を失望させてしまったこと、そのことが、とてもこわくて、ショックでした。


「ごめんなさい。」


真っ白になった頭で、隣の彼女と先生に、謝りました。

先生は、言います。


「ううん、怒っているんじゃないよ。

ただ、少しだけ、考えてみてもらえないかな、かわいそうという言葉について。」




それから、ずっとずっと考えました。

隣で笑っている彼女を見つめながら、授業中も、帰り道も、家に着いたあとも。

一晩中考え、翌日、先生に会いに行きました。


「先生、かわいそう、という言葉は、違いました。

この言葉は、障害を持つ人を下に見ていることになります。

上も下もないのに、知らない間に、自分が上のような気がしていました。」


緊張で涙があふれ、途中から嗚咽も混じります。

先生は、ゴシゴシと頭を撫で、抱きしめてくれました。


「よ~し! よく考えたね。

先生はそれが言いたかったんだよ。

考えて、報告してくれて、うれしい。

よくがんばった!」


先生の手の温かさに、安堵の気持ちがあふれ出し、どっと泣きました。

これが、私が「かわいそう」について考えた、最初のきっかけです。





それから。

彼女との濃密な時間は、静かに、そして豊かに流れました。

卒業式の日。

式が終わり、そろそろ帰りの支度を、というところで、彼女のおかあさんが、彼女を連れ、私のそばへやって来ました。


「今まで、本当にありがとう。」


そう言って、ギュッと手を握ってくれました。

続いて、彼女の顔を見つめ、ゆっくりと言います。


「○○ちゃんとは、今日でお別れだよ。 ありがとうって言おうね。」


おかあさんの言葉にきょとんとした彼女は、しばし黙りこくっていました。

そして、私の顔を見つめると、次の瞬間、びっくりするほど大きな声をあげました。

顔を真っ赤にして、全身を震わせ、泣いたのです。





彼女との日々は、大人になった今も、たびたび思い出します。

あの向日葵のような笑顔が、きっとどこかで、ほかほかと咲いていることを願いながら。

今、彼女に、無性に会いたいです。





          





今日から当面の間、ブログはお休みに入ります。

今後のことは、わかりません。

ひとまずは、何も考えず、マリリンと一緒に心身を整えたいと思います。



ブログはこのまま残します。

リンクはフリーですので、ブログそのもののリンクや、特定の記事のリンクなど、貼ったり剥がしたり、ご自由にしていただいて構いません。

リンクなさる際、事前のお申し出は不要でございます。

できれば、ブログをリンクしましたよ、○○の記事をリンクしましたと事後報告を一言いただけるとありがたいですが、なくても構いません。

ブログ内の写真や記述についての転載は、お断りさせていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。



今後は、マリリンに会いに来てくださる方、何かの検索でお越しくださり、拙い過去記事に目を通してくださる方、またフィラリア等でお悩みの方にゆっくりしていっていただける場所になれたら、幸いに存じます。

メッセージについては、しばらくこのまま拍手コメント欄を残しておきますので、そちらからお願いいたします。

どの記事の拍手コメント欄に書いてくださっても、私たちのほうに届きます。

いただいたコメントは、ひとつひとつ大事に拝読させていただきます。

大変心苦しいですが、お返事はできませんことを、お許しくださいませ。





このブログに訪れた方が、どんなお気持ちで記事をご覧くださっていたか、それは分かりませんが・・・。

私自身は、本音の部分と向き合い、保護犬、車いす、フィラリア、障害などを巡る思いを、ひとつの信念の中で、書き記してきたつもりでおります。

お休み前の最後の記事となりました今日のお話は、自分の中で、精神を削られるものでした。

いじめに関する記憶が、今もこれほど心身を乱す存在であることに、驚きます。

人間に最も必要なものは、「想像力」である。

小学校の日々の中、私はその思いにたどり着きました。

あれから、さまざまな道程を歩み、30代を迎えましたが、その生きづらさのようなものは、いまだ連綿と続いております。

ブログというネットの世界で発信することは、私にとって、つらいことの絶えない日々でした。

けれど、ブログのやりとりを通じて忘れられない出会いに恵まれたことも、大切な事実です。

マリリンがつないでくれたご縁に、感謝します。

いつも温かく見守り、応援してくださったみなさま、本当にありがとうございます。

今日までやってきたことに、ひとつも後悔はありません。





この世界は、とても、生きづらい。

しかし、私もこうして生き続け、さらなる未来に向かい、歩いております。

夫とマリリンに出会えたことに、感謝の思いが尽きません。




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「あたしのことだよ!!」



そう、マリリンに、価値観も生き方も、変えられました。

彼女の生きる姿に。

どこまでも無垢で、静かな瞳に。



これから、動物たちに、恩返しをしたいです。

同時に、生きづらさに苦しんでいる人たちに、寄り添いたい。

胸の奥底に、震える魂を持っている、そんな人。

たくさんつらい思いをしていると思います。

容赦のない、この社会の中で。

そんな方々に寄り添うものを、書いてゆくことができたら・・・。

それが、今の私の、小さくて頼りない、ひとつの願いです。



みなさま、本当にありがとうございました。

またお会いできる日まで。



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「みんな、ありがとう! またね~!」


| つれづれ | 07:35 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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