今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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雪に思う

先日の大雪、各地で大変な被害となりましたね。

関東甲信、東北を過ぎ去った後には、北海道の猛吹雪。

各地のみなさまの身を案じるばかりでございました。

私たちの地域では、カーポートが崩壊した家が点在し、それにより車が下敷きとなり壊れてしまっているお宅もありました。

我が家はテレビのアンテナがやられたくらいで、みな無事です。

2万円支払って電器屋さんにお願いするか、決死の覚悟で夫が屋根に上るか、激論の末、業者のおじさんの登場となりました。
(ウソです、迷うことなく2万円支払いましたよ、ええ。)

この辺りは、大雪が降ることを想定した住宅・地域構造になっていないため、ご近所のみなさん本当に当惑しておられました。

たまさかに雪に見舞われますと、首都圏は少しの雪で大騒ぎして、と揶揄される向きがございますが、長野県に生まれ育った私でも、慣れない雪に右往左往している方々を、さも自業自得のように突き放すのは酷だなぁ、と思うのです。

豪雨地域ではその備え、豪雪地帯ではその備え、暑さに寒さ、乾きや湿潤には、その備え。

その土地の特徴に応じて備えは異なりますから、例外的な備えまでをすべて網羅することは難しいように感じます。



それでも、このたびの2週にわたる雪、みなさん明るくたくましく、状況を受け入れ、乗り越えようとしていらっしゃいました。

道路に膨れ上がった雪を前にぼう然としつつも、ご近所総出で協力し合って、えっさほいさと雪かきに汗を流し。

普段あまりお話をする機会のない方々とも無事を確認し合う喜びを得られ、地域のつながりのありがたさに、改めて感謝の思いでいっぱいになりました。



山梨、群馬、長野などの一部の地域で、重大かつ深刻な状況に陥っていることを知ったのは、しばらく後のことでした。

集落一帯が孤立してしまっている地域もあり、凍死する方まで出ていて、命の危険が多くの方に迫っているのだと。

アンテナ工事を済ませ、テレビがつくようになり、オリンピック一色の報道にぼんやりと目をやる中で、天気予報のついでか何か、孤立地域の報せがあったのです。

文章にしてほんのわずか、家族で会話でもしていれば聞き逃してしまうほど、さらりと流されたその報せに、私は愕然としました。

どういうこと? 孤立地域って? 道路が寸断? 何がどうなっているの?

ついでの報せで知り得たキーワードをもとに、すぐにネットで調べてみると。

見捨てないでください、助けてください、という現地の方々の切実な声が、そこにありました。

オリンピック報道に追いやられ、地元以外ではほとんど報道がなされていないことを知りました。

その後、どういう動きがあったのか、おそらくは、物流の停滞による物資の不足が発生し、それほど雪の被害を受けていなかった広範囲にわたる人々にまで、にわかに生活の不利益が現実のものとなってきたからではないかと邪推しますが、ある時から不可解なほど一斉に、これらの関連報道がなされるようになりました。

オリンピック一色だった数日がなかったかのような報道ぶりで、まことに不思議な気持ちがしましたが、とにもかくにも、現実がすくい上げられたことに、ひとつの安堵を覚えました。

とは言え、天気予報のついでとして適当に扱われていた間のことは、やはり黒いしこりが胸に残ります。

山梨などの孤立地域の中には、普段10センチの積雪でも大慌てになるほど雪に慣れていない地域もあったようです。

経験したことのない悪夢にさらされ、どれほどの恐怖に身を震わせておられたことでしょう。

それを思うたび、胸が沈んでゆきました。

国のために、個人が切り捨てられる。

ようやく手放しで得られるようになった現地の情報を見守りながら、奥田英朗さんの小説『オリンピックの身代金』が、脳裏にちらついたのでした。



国家を揺るがす大規模な災害であれば、たとえそれがオリンピックの最中であろうとも、おそらく報道は事態の発生当初からすでに切実な色を見せていたことでしょう。

今回のように限られた一部の地域の被害ならば、物流の停滞などの大規模な不利益が現実に発生していない限り、当事者以外には、まったくの他人事だということでしょうか。

結局のところ、大きいか小さいか、センセーショナルかそうでないか、ということでしょうか。

しかし。

大きな災害と、小さな災害。

人の命ということにおいて、そこに一体いくばくの違いがありましょう。

小さき声を切り捨てる報道ならば、私には必要ありません。



今回の件だけでなく、ミスリードや偏向、媚び、作為的な扇動、差別に逆差別、弱者の置き去り、いじめの体現とも言える構造など、昨今の報道姿勢や想像力を欠いた世の中の風潮には、次世代、次々世代へとつなぐ未来に不安を抱かざるを得ないものがございます。

弱者や少数者の切り捨ては、いずれ、戦争の精神を生み出す種となるでしょう。

優先されるべきは、国家であり、多数の関心事なのでしょうか。

東京がオリンピックの開催地に決定した際、ひそかに憂えた私は、ややもすれば非国民と言われるやもしれません。

しかしながら、オリンピックの陰には必ず多くの犠牲が強いられてきた歴史を、やはり知っておく必要があるのではないかと思います。

2020年、被災地が置き去りにされ、弱者や動物たち、末端の労働者が当然の如く犠牲を払わされたあげく、それらの事実が表に出ることのないまま蓋をされるようなことにだけはならぬよう、拭いきれない不安の中で祈ります。

私に何ができるわけでもなく、おろおろとうろたえるばかりではございますが、声の届きにくい少数者や弱者に心を寄せる者でありたいと、子どもの時分より唱え続けてきたその思いを、改めて胸に刻む一週間でありました。



そんな折。

マリリンはと言うと、雪に覆われた日々は、やはり具合を悪くしておりましたが、その後ぐっと気温が上昇したある日の昼中、元気な表情を見せてくれました。

下痢は相変わらず治らないものの、久しぶりにのんびりとお散歩にも出かけることができました。



CIMG5451_R4.jpg



ところどころに盛り上がる雪の塊を避けながら歩いていると、向こうから杖をついて歩いて来たおばあさんが、私たちの前で、腰を反らせて立ち止まります。

きれいな真っ白い髪をふわりと揺らし、しわしわの目尻を下げて言いました。

「んまあぁ~! なんてやさしいお顔をした子なの。」

無視を決め込むマリリンの代わりに私が立ち止まり、ゆっくりと頭を下げました。



CIMG5458_R4.jpg



行く先々で「あたしゃ~ね!!」とエバリ散らしているマリ坊に、やさしい顔という表現が何だかとてもおかしくて、思わずふき出しそうになりましたが、いろいろな思いで胸のふさいでいるときに、こうした出会いは本当に救われます。

おばあさんの背中を見送りながら、覚えずまぶたが熱くなり、慌ててお散歩を再開させたのでありました。



| つれづれ | 09:37 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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