今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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たとえばわたしが死んだら ~高齢者と犬、再び~

マリリンは、ここのところ、調子が良くありません。

原因不明の下痢が再発したり、胃腸炎になったり。

体力が消耗し、ぐったりする中で、さらにゲリラ豪雨にカミナリと、彼女の苦手なものが次々と。

パニックで鳴き叫び、その後、力尽きて倒れ込んでしまうマリリンに寄り添って、看病していると、大きな力による非情な仕打ちと自らの無力さに、時に無性に腹が立って、思わず窓越しに黒雲を睨みつけます。

「ちょっとアンタたち! この子をいじめて楽しいかい! 黙って耐えてりゃ、やりたい放題! もう~~、いい加減にして!!」

などと悪態をついては、すぐにハッと正気を取り戻し、

「あの、すみません、ごめんなさい。神様、カミナリ様、気を悪くされずに。お願いですから、謝りますから、どうか鎮まってください」

とションボリひれ伏す、その繰り返し。

変なヒトへの道をきわめつつある、母ちゃんでございます。



さて、前回の続き。

『たとえばわたしが死んだら』シリーズ、最終章です。



          



前回、前々回と、もしものときの備え、増えつつある選択肢、それにより救われる犬と飼い主がいる一方で、身勝手な飼い主の存在があること、また犬を迎える責任が希薄になる懸念について、つらつらと書いてきた。



こうした新たな選択肢の活用が想定されているパターンとして、多くの割合を占めるのは、やはり飼い主が高齢者のケースだろう。

事実、高齢者層における犬の飼育率は、近年、格段に上昇している。

以前、『高齢者と犬』という記事に、それらの問題を綴った。

私たち夫婦の考えは、その当時と一貫して変わっていない。

むしろ、実態を知るほどに、よりシビアなものとなっているかもしれない。



高齢者が仔犬を迎え、飼い続けられなくなり、結果、犬が殺処分された事例は、世の中にあふれるほど存在している。

私は、飼い続けられなくなった事情が、“飼い主の老い”であるケースに限定した場合において、それはやむを得なかったよね……と思ったことは、一度もない。

なぜなら、犬を迎えるそのときにはすでに、後々生じる結果に対する予見可能性が十分にあったからだ。



例えば、30歳で犬を飼い始めた場合。

犬の寿命を15歳程度と考えると、犬が亡くなる頃には、45歳。

一方、60代以降の年代、例えば65歳で犬を飼い始めたとすると、犬が亡くなる頃には、80歳。

2012年の日本の平均寿命は男性が79.94歳、女性が86.41歳とのことなので、犬が亡くなる前に飼い主が亡くなっている可能性は、大いに考えられる。

仮に生きていたとしても、犬が介護状態になったとき、80歳近くなった飼い主に、介護が可能だろうか。

我が家のマリリンは下半身不随で、近頃は体調不良も頻発し、私の毎日はそのお世話でいっぱいだけれど、老犬介護に比べたら、心身の負担は軽い。

老犬介護の何分の1の苦労も分かっていないと思う。

それでも、だ。

そんな程度の状況でさえ、毎日黙々と、排泄のお世話や障害から来る身体的なケアをしていくことは、想像以上に体力が必要であるのだと、身に沁みて感じている。

時には、精神的に孤独にもなる。

個人差はあれど、80歳近くなった高齢者にとって、老犬介護は非常に厳しいものがあるのではなかろうか。



この問題について、「高齢者が新たに犬を飼い始める行為は控えたほうが良い」という流れが、わずかながら一時あったように記憶している。

しかし、昨今のメディアの取り上げ方や、肌で感じる空気をじっと見つめてみると、どうもここ最近は、人間の欲求に視点が大きく傾いているらしい。

新しく犬を迎えることを、世の中全体で奨励しているようにさえ感じる。



犬は、高齢者の生きがいとなる。

高齢者の孤独を癒すことができる。

高齢者のさまざまな病気の予防にもなる。

もっとも犬の必要性があるのは、高齢者だ。

飼い主が先に亡くなったり、老犬介護ができなくなっても、老犬ホームや遺言などの方法で、殺処分を回避できる。

何より、保健所から犬を迎えれば、犬の命も救えるし、良いことずくめだ――。



そんな風潮になっている。



もっとも犬の必要性があるのは高齢者だ、という文章が新聞記事から目に飛び込んで来たときには、すっと青ざめた。

“必要性”などという言葉を違和感なく使ってしまうのか……。

暗澹たる気持ちになった。

やはりこの国では、動物はあくまでもペットであり、尊厳を無視されて当然の存在なのだろうか。

最後に挙げた、保健所の犬が救えるという話については、頷ける部分もある。

とりわけ成犬であれば、仔犬から育てるのに比べ、飼い主の負担も少ないだろうし、犬の寿命も、仔犬よりは短いだろうと推定できる。

何よりも、殺処分から犬を救うことができる。

そうなのだ。

そうなのだけれど、シニアに入るくらいの落ち着いた年齢の犬ならともかく、まだ若い2~3歳の犬なら、なにも高齢者が飼い主にならなくとも……と思ってしまう。

飼い主が寝たきりになったり、亡くなったりして、老犬ホームなどに入れられるその保護犬のことを思うと、きりきりと胸が締めつけられる。

犬には、事情など分からない。

であれば、二度捨てられたのと同じなのではないか。

少なくとも、マリリンと生活し、彼女の背負った傷を見つめながら、ぴたりと心を寄せていると、まざまざと感じるものがある。

もしもこの先、施設に入れられることがあったら、この子は大きな絶望に陥るであろう。

彼女の悲しみの音が、きゅうきゅう、きゅうきゅう、空気を震わせ、聴こえて来る。

犬は賢いから捨てられたんじゃないことくらい空気で分かる!と人に言われたこともあるけれど、そう思いたい気持ちは分かるものの、それはどこか、都合の良い、私たち人間の押しつけのように感じる。



保護犬は、心身に、深い深い傷を負っている。

それを引きずりながら、ようやく自分を受け入れてくれる存在に出会えたのだ。

二度捨てられるような思いだけは、させないであげてほしい。

じゃあ、里親希望が高齢者だからという理由でその保護犬がもらわれず、ほかに引き取り手もなくて、殺処分されたとしたらどうするのか、と言われると、うなだれるほかないのだけれど……。



1匹でも多くの保護犬に里親が見つかってほしいと、心から願う。

ただ、今ある命を救うことはもちろん必要なんだけれど、私は、そもそも、こうした保護犬つまりは飼い続けられなくなる犬の存在を減らしてゆくことが重要なのだと感じる。

そのためには、保護犬を希望する人であっても、迎える覚悟、条件は、やはり、厳しいものであってほしい。

予見可能性のなかった、本当にやむを得ない事情が訪れない限り、彼らが、二度捨てられることのないように。





とは言え、一口に高齢者と言っても、実に健康で元気な方もいらっしゃる。

そうした方まで一律ダメ!とするのは、現実的でないように思う。

希望があれば、積極的に保護犬の里親になってもらい、殺処分から救っていただきたい。

そこで今日は、高齢者が新しく犬を迎える際、こうした制度を設けてはどうかという、私たちの提案を記してみたいと思う。



それは、「許可制」の導入。

高齢者が犬を飼う際は許可がないとできない、というものである。



ある日の夫婦の会話が始まりだった。

いわゆる普通養子縁組と違って、6歳未満の乳幼児を夫婦が迎える特別養子縁組は、その性質上、非常に厳しい手続きとなっているのだけれど、それについて話題にしている際、私がふと不満を漏らしたのだった。



「人間のそれと比較すると、犬の場合って腑に落ちないよね。

乳幼児を養子として夫婦が迎えるときには、徹底した厳しい条件をクリアした上に、家裁の許可までいるでしょ?

でもさ、例えば70代の夫婦が、一度犬を育ててみたかったなんて言ってペットショップから仔犬を迎えても、法的に何の制限もないんだよ。

だけどそれが人間の子なら、70代の夫婦が、いくら子どもがほしいって言ったって、乳幼児を育ててゆくには高齢すぎて、現実にはまず家裁の許可が下りないよね。

犬の場合も、高齢者が飼うときに、せめてもう少し厳しくできないかな」



すると夫が、さらりと言った。



「ん? じゃあ、高齢者が犬を飼うときも、許可制を取り入れたら、どうだろう。

愛護センターとかが家裁の役割になってさ」



「・・・・・・



たしかに。



身勝手な飼い主を排除するため、これまでにも愛護団体を中心に、犬を飼うのは許可制にしよう!という提言が叫ばれることはあった。

ただ、全国民対象となると、いかんせん判断基準が曖昧な上、手続きも非常に煩雑になることが予想されるので、実現までには時間が必要だろうと思う。

けれど、高齢者限定なら、許可制導入の明確な理由があり、また判断基準などの議論も深めやすい。

高齢者の許可制導入がうまくいけば、それをモデルとして、犬を迎える際の責任を考える新たな制度の取り組みや法改正への道も開けるかもしれない。



そんなわけで、許可制について、夫婦であれやこれやと検討してみた。



まず、この制度の対象者は、何歳以上とするか。

先ほどの平均寿命も考慮して、60歳以上、とするのはどうだろうか。

今の時代、60歳を高齢などと言ったら大変なお叱りを受けてしまうと思うけれど、犬を飼うという行為は、15年以上先までの想定になるので、ここは60歳以上とさせていただきたいと思う。

次に、許可を与える機関。

これについては、動物愛護センターや、保健所。

さらに、許可の基準については、健康診断の総合判定で、A判定、もしくは異常なしのレベル。

つまり、自ら健康診断を受け、その診断書を添付し、申請することになる。



許可が下りた高齢者は、犬を飼うための将来の想定において、この時点で、若い世代の人たちと大体同じスタートラインに立ったことになる。

つまり、突然の病気や事故など、予見できなかった事情が発生しない限りは、犬が寿命をまっとうするまで飼い続けることができるであろう、と推定されるということだ。



そして、この許可をもって晴れて犬を飼えることとなった高齢者には、成犬の保護犬を迎えてもらう。

というのは、なにもペットショップの仔犬に拘泥する理由はないでしょう、という思いのほかに、やはり年齢的な心配の意味もある。

健康診断が異常なしであろうとも、いま元気いっぱいであろうとも、高齢であることには変わりがない。

認知症の不安も横たわる。

であれば、やはり仔犬を迎えて育てるよりは、成犬の保護犬を迎えてもらうほうが、互いの事情に合致するのではないか。

とりわけ、健康診断もバッチリだしすこぶる元気だけど70歳です、なんて場合は、それこそ7~8才以上のシニア犬クラスを迎えていただきたいと思う。

年齢などの事情を考慮した、その辺りの判断は、許可を出す愛護センターや保健所にある程度の裁量を与えておき、個別に検討してもらう。



とまあ、こんな感じで考えてみたが、問題もたくさんある。

許可のための健康診断は、全国どの病院で受けても、一律まったく同じ結果になるものなのか。

また、診断項目はどのように設定するか。

健康診断がどの程度、医学的基準となり得るのか。

そもそも、人間の寿命を推定するような行為を、制度として設けることができるのか。

愛護センターや保健所にかかる大きな負担をどうするか。

裁量の範囲は、どの程度にするのか。

裁量のあり方に、問題が生じないか。

などなど、議論すべきことは多い。

そして何より最大の壁になるのは、これは動物関連の新しい取り組みすべてにおいて言えることだと思うけれど、ペットショップを始めとした業界が、凄まじい抵抗を見せるであろう、ということだ。

阻止するためには、おそらく手段を選ばない。

実際、とある大手ペットショップの経営者は、「ペットはリタイア後の心のオアシスであり、ぜひ飼うべき。ゆりかごから墓場までの付き合いで、高齢者層を固定客にしたい」などと言っており、高齢者は完全に、今後の市場のターゲットにされている。

とは言え、業界の壁を前にしょんぼりしていても始まらないので、私たちは、自分にできることを、日々考えてゆきたいと思う。





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以上で、『たとえばわたしが死んだら』シリーズは終わりです。

文章ばかりの記事を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。



私たちが思いつく提案は、こんな未熟なレベルの話だけれど、思いは増すばかりです。

少なくとも、自身の老いという予見可能性のある問題は、どうか、なんとかなるさで済まさぬようにしていただきたく思います。

子どもや孫などの家族に頼ることを想定に入れるのも、危ういでしょう。

みな生活に追われ、進学、就職、結婚、転勤、などなど、若い世代を取り巻く環境は、日々変化してゆきます。

「おじいちゃんが面倒みれなくなったら私がみるよ」といった当初の約束が、事情の変化であっという間に反故にされ、犬がたらいまわしになったあげく殺処分されたという例も、たくさんございます。



私たち夫婦は、私の身体の問題などもありますので、一般の方々よりも、リミットを短く決めております。

自分たちの犬として迎えることが難しくなったときには、近所で見かける犬や、外出先でふっと胸を和ませてくれる犬たちをかわいがり、また、保護犬始め、その時代に生じている動物の問題を考えたり、身体が動く数年のうちはボランティア施設へ訪れたり、そうして過ごしてゆきたいと思っております。

世の中の犬がいなくなるわけではございません。

“我が犬”じゃなくとも、愛したい犬たちは、たくさんいます。

新しく自分の犬を迎えようとする際、将来の想定を重ね、その犬の寿命までは厳しいと感じるのであれば、そっと自分の中に線を引くのも、ひとつの愛し方なのではないかと、私たちは思っております。



いま殺処分の運命にある犬たちの命をつなぎたい。

そして、今後、高齢飼い主の増加にともなって、悲しい結果になる犬たちがさらに増えてゆくことのないように……。

願うのは、そればかり。

これ以上、人間の都合に翻弄される命が増えてゆくのは、もうたくさんです。


| 飼い主亡き後問題 | 11:07 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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