今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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戦争の欠片 ~忌野清志郎さんに寄せて~

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2014年8月8日付、信濃毎日新聞さまの一面コラム「斜面」で、『おかえり!ユキ』を取り上げてくださいました。

長野県内における犬の献納に言及された上で、絵本については、次のように書いてくださっております。

「郷土出版社が出した絵本『おかえり!ユキ』は献納した雑種犬ユキと飼い主の物語だ。語り継ぐ戦争絵本シリーズの第15巻だが、捨て犬が保護・殺処分される身の回りの現実にも目を向け、時代を超えた問いを投げ掛けた。」

拙い作品をこのようなコラムで取り上げていただけるとは、思いも寄らないことでしたので、尽きることのない感謝の思いでいっぱいです。

コラムを通じて、ひとりでも多くの方に、犬の献納や現代の保護犬のことを知っていただけたらと、願ってやみません。





          





今年5月。

忌野清志郎さんの命日に合わせ、NHKでひとつの番組が放送された。

『ラストデイズ 忌野清志郎×太田光』

胸をドキドキさせながら、テレビの前で正座し、観た。



「Woo 授業をサボって陽のあたる場所にいたんだよ

寝ころんでたのさ 屋上で

たばこのけむり とても青くて」

『トランジスタラジオ』に代表されるように、ドロップアウトした人間を、彼にしかない感性で気持ちよく歌っちゃう、清志郎さん。

そんな彼が、30代半ばから、社会を歌うことに強く拘った。



チェルノブイリ原発事故から2年後。

「何 言ってんだー ふざけんじゃねー 核などいらねえ」

と歌詞をつけた、『ラヴ・ミー・テンダー』。

「日本の原発は安全です さっぱりわかんねえ 根拠がねえ

原子力発電所はまだ増える 知らねえうちに漏れていた」

と歌った、『サマー・タイム・ブルース』。

それらの洋楽カバーを収録したアルバム『COVERS』は、波紋を呼び、発売中止となった。



当時、『トランジスタラジオ』のような世界観に惚れ込んでいた人たちは、清志郎さんが変わってゆくことに対し、違和感を覚えたという。

そのひとりが、爆笑問題の太田光さんだ。

ずっと分からなかったんだよね、と彼は言った。

もともと比喩的な詩人で、言葉に自由な幅を持つ清志郎さんが、あの感性を持ちながら、なぜ、ストレートな表現をするようになったのか。

太田さんも、50歳を迎える年齢となった今、自分がどう社会と向き合うべきかを強く考えるようになり、そこに、清志郎さんへの興味が重なっているのだと言う。

番組では、太田さんを案内人とし、清志郎さんという人に迫った。



清志郎さんと太田さんの出会いは、1999年。

当時、爆笑問題は、時事問題をネタにした若手漫才師として、人気を集めていた。

ふたりを結びつけたきっかけは、雑誌のコラムで、太田さんが政治を皮肉ったことだ。

太田さんは、

「今、この日本で政治がどれほどの影響力を持っているというのだろうか。

自分が投票しても、あるいはしなくても、普段の生活に変わりがないとハッキリ言いきれるならば……

選挙に行かない我々の態度は、正解なのではないだろうか」

と書いたそうだ。

そのコラムを読んだ清志郎さんから、「会って、一言文句が言いたい」と対談を申し込まれた。

清志郎さんは、

「それまで爆笑問題を好きだったんだけど、あれを読んでガクッときてね。

政治に無関心でいいなんて言ってると、君の息子なんかが、戦争に行っちゃうわけよ」

と言ったという。



清志郎さんは、実の両親の顔を知らない。

3歳で母親と死別し、その後は、伯母夫婦に引き取られた。

伯母夫婦の実の子じゃないことは、うすうす感じていたという。

打ち明けられたときも、「あーやっぱりね」と。

「オレだけ親戚とかにも馴染めなくて。とにかくオレは、大人と口がきけなかった」

彼は、幼少期を、そう振り返っている。



清志郎さんは、昔から、繊細で、敏感で、特別な感性を持っていたそうだ。

学生時代の友人たちは、みな口をそろえて、こう語る。

学校に馴染めず、授業をサボってばかりいた彼だったが、かといって、反抗的な態度をとるわけでもなかった。

目立たなくて、物静かで。

あいつは、誰ともつるまなかった、と。



デビュー後、楽曲が次々とヒットし、清志郎さんは、休むことなく走り続けていた。

そして、1986年秋、35歳の彼は、ロックの本場イギリスで、分岐点を迎える。

日本と異なり、どれほど深刻な話題でもロックンロールにぶつける彼らの音楽に、強く揺さぶられた。

「自分の考えてる事とか、自分の気持ちは、ガンて外に言ってないとダメだなと思ったの」

後に、当時の心境を振り返り、分岐点だったと自ら語っている。



それが、アルバム『COVERS』の制作へとつながるのだが、仲間たちを含めた多くの人が、清志郎さんの歌詞に違和感を覚え、また、多方面から凄まじい圧力がかかった。

しかし彼は、『COVERS』に拘り続ける。

そこには、実母への思いが重なっていたのだという。

アルバム制作のちょうどその頃、清志郎さんは、母の遺品である、1冊の古びたアルバムを受け取っていた。



母は、結婚間もない夫を、戦争で亡くしている。

アルバムには、夫を思い、待ち続けた母の短歌が記されていた。

「帰らざる 人とは知れど わがこころ なほ待ちわびぬ 夢のまにまに」



それを目にした清志郎さんは、母へ思いを馳せ、『彼女に関すること』として、こう綴っている。

「彼女は激しい恋をして、そして、彼氏と結ばれた

ペラペラの薄っぺらな紙に、夫の死亡が書かれていた

彼女は、もう諦めていたのかもしれないけど

あっちこっちに行ったり、帰ってきた夫の仲間に消息を聞いて回ったり…

夫の無事を祈ってたんだ

彼氏のことを想って、歌を詠んだりもした」



イギリスでの分岐点、チェルノブイリ原発事故、そして、戦争の犠牲となった人々への強い思いが、彼を、彼の音楽を、ストレートなものへと変えていった。



太田さんも今、表現者として、どう社会と関わるべきかを葛藤しているという。

「一番創造性が高いのは、物語を作って、その中にメッセージを押し込めること。

クリエーターとしては、それがまっとうだと思う。

けど時々、そんなことやってらんないよってなっちゃうこともあるんだよね。

それはもう、野暮だと分かっていても、言わずにはいられない時もあって……。

オレが、『COVERS』を野暮だなんて、言えた義理じゃないんだよね」



私自身は、清志郎さんの表現方法の模索は、30代以降もずっと続いていたと思っている。

彼は死ぬまで、人一倍、いや人百倍の鋭敏な感性を、時に胸の奥で温め、時に露わに外部へさらし、傷つきながら、世界から悲しみがなくなることを願い続けた。

その音楽は、彼の願いとともに、次世代、次々世代に、広く受け継がれている。



番組の最後で、背中を丸め、ぼそぼそと語る太田さんの言葉が、胸をひりつかせた。

「もの作る人が鈍感になっちゃうと、やっぱいいもの作れないんだろうなって。

それは、清志郎さんもそうだったと思うよね。

ほんとに敏感で、繊細で、傷ついてさ、そんで、やさしいでしょ。

オレ、もうちょっと年とったら鈍感になりたいなって思ってたんだけど、それは、表現者としては落ちていくってことだよね。

表現を研ぎ澄ませていくんだったら、敏感なままで、子どものままで、傷つきやすいまんまで、いるべきだしね。

でもそりゃあ、苦しいだろうなって思うね」





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胸の中に、さまざまな思いがめぐる。

30代半ばの分岐点……。

私も現在ちょうどその年代であり、ここ数年は特に、社会の中で自分に何ができるかを考えるようになった。

自分が今、思うことは、育ててくれた社会に、何かを返したいということだ。

そして、次世代、次々世代へ向け、自分が生きている間にできることを模索し、身を尽くしてゆきたい。



今年も、8月15日がやってくる。

戦争のことを、あの過ちのことを、思う。

日頃、私なりに感じていることを、野暮だと知りつつ、少しだけ綴ってみる。



戦争や平和というと、特に若い世代の間では、何か漠然とした、観念的な把握に終わりがちだけれど、私は、もっと身近なものだと思っている。

今、生活しているこの場所で、あの町で、人と人との間に、人の心の中に、そこらじゅうに、戦争は潜んでいるのだと。

それはいつだって、思いもよらぬ瞬間に、ふと、顔を覗かせる。



保身のため、誰かを傷つけ、誰かを陥れ、誰かの心を踏みにじったとき。

自らが選びとった人生に不満を覚え、弱い者を探し出し、苛立ちをぶつけるとき。

自己練磨を重ねるでもなく、人を羨み、愚かな嫉妬に走るとき。

すべてを政治や社会のせいにするとき。



自分さえ良ければ、それでいい。

やられたら、やり返す。

正義の名のもと、集団いじめ。

名無しの卑怯な、傍観者。



自分の目で見、耳で聴き、頭で考えず。

認め合う心を忘れて。

人の痛みを痛みと感じなくなったとき。

戦争は、もう、そこにある。

あらゆる人の、胸の中に。



人間は、弱くて、脆い。

その愚かさを、私たちは目を背けず受け止める必要があるのだと思う。

そして、日々生まれてしまった戦争の欠片を、心の中からなくそうとする。

その心持ちが、大切なのではないか。

悲しい過ちを繰り返さぬために。

自分にできる、小さくて、けれど、大きな意味のある一歩なのだと、私は思っている。





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『風に吹かれて』 ボブ・ディラン

(RCサクセション・忌野清志郎バージョン アルバム『COVERS』より)



どれだけ遠くまで歩けば 大人になれるの?

どれだけ金を払えば 満足できるの?

どれだけミサイルが飛んだら 戦争が終わるの?



その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ



いつまで追っかけられたら 静かに眠れるの?

どれだけテレビが歌えば 自由になれるの?

どれだけニュースを見てたら 平和な日が来るの?



その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ



どれだけ強くなれたら 安心できるの?

どれだけ嘘をついたら 信用できるの?

いつまで傷つけあったら 仲良くできるの?



その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ



したがって

どれだけ風が吹いたら 解決できるの?

どれだけ人が死んだら 悲しくなくなるの?

どれだけ子供が飢えたら 何かが出来るの?



その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ











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