今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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人間という罪

怒っている。

猛烈に怒っている。

まったくここ数か月、体調不良も甚だしく、四六時中やってくる頭痛とめまいと身体の痛みに、日々、神経が衰弱する。

マリ関連を行う以外には、寝込んでいるか、呻いているか、吐いているか、落ち込んでいるか、泣いているか、怒っているか、そのいずれかだ。

過激すぎないか。

大丈夫だ、狂ってはいない。

何の話だ。

そうだ、怒っている。

疲れきった頭が最後の力を振り絞ってビリビリ唸るほど、私は怒っている。

全国の犬の遺棄事件に始まる、昨今の嫌なニュースのかずかずにだ。



今日は違う話をつらつらと書こうと思っていた。

が、こんなネットニュースを目にし、記事を変更せざるを得ない気持ちになった。





老いた飼い主の死や健康問題によって行き場がなくなってしまうペットが増えている。

関東地方のある自治体が運営する動物愛護センター職員は、深刻な表情でこう打ち明ける。

「近年の動物愛護の意識の高まりもあり、犬や猫の殺処分の総件数は年々減っています。しかし飼い主が先に亡くなったり、老人ホームに入って面倒を見られなくなったりしてこちらに送られてくるペットは後を絶ちません。つい先日も、進行がんを患う80歳の女性が飼い犬を連れてやってきました。彼女は“15年一緒に暮らしてきたワンちゃんだけど、離れて住む子供たちは引き取ってくれない。この子を遺して死ぬわけにはいかない。せめて楽に死なせてあげてください”と涙ながらに訴えてきました。本来であれば“もっと新しい飼い主を探す努力をしてください”と断わるべきところですが、その女性の事情を踏まえて引き受けました。犬はすべてを理解しているかのように、ずっと悲しげな表情を浮かべていましたね」

この犬はそれからまもなくして殺処分となった。

このように、「飼い主に先立たれたペット」の処遇が社会問題になっている。

内閣府の調査によれば、60~69歳の36.4%、70歳以上の24.1%が犬や猫など何らかのペットを飼っているという。

一方、65歳以上の単身高齢者の割合は増え続けている。

高齢者人口に占める1人暮らしの割合は1980年には10.7%だったが、2010年には24.2%になった。

1人暮らしの老人たちにとって、ペットがかけがえのない「家族」である実態がうかがえる。

しかし必ずしも看取る側が人間であるとは限らない。

今やペットとして飼われる犬の平均寿命は14歳2か月まで延びている。

猫も13歳8か月となっている(いずれも2013年調査)。

生活環境やペットフードの進化などにより、かつての2倍近く長生きするようになったのだ。

だからこそ、冒頭で紹介したような悲劇が次々と起こっている。

四国地方の地方紙記者は、こんな事件に出会った。

「田舎のアパートで1人暮らしをしていた85歳女性の孤独死を取材しました。郵便受けからあふれる郵便物や、漂ってくる異臭に隣人が気づいて発見されたのですが、部屋の中では腐敗しかけた女性の遺体の傍にガリガリにやせ細ったペットの犬が横たわっていた。犬はなんとか一命を取り留めましたが、もし数日発見が遅れていたら手遅れだったそうです。飼い主の死後も、ずっと寄り添っていたんでしょう」

※週刊ポスト2014年11月21日号




飼い主亡き後問題については、ブログの下記の記事で綴っている。

たとえばわたしが死んだら ~遺言とペット信託~

たとえばわたしが死んだら ~老犬ホーム~

たとえばわたしが死んだら ~高齢者と犬、再び~

私情が入りまくりの文章で読みづらく、非常に恐縮なのだが、情報等はそこに入れているつもりなので、機会があればぜひ一度目を通していただきたい。



以前、所用により、とある田舎町を訪れた際、そこで暮らす方々の話に、背中が冷たくなったことを覚えている。

地域一帯、70~80代の独居、もしくは老夫婦の世帯で形成されており、そのほとんどが、犬を飼っているという。

住民いわく、「みんな、そこらで売ってる小型犬よ」だそうだ。

私はその話を聞いた晩、押し黙った犬たちが、1匹、また1匹と、保健所へ運ばれ、殺処分されてゆく様子をまざまざと夢に見た。

それは間もなく、現実のこととなるのではなかろうか。



上のニュース記事の中に、せめて楽に死なせてあげてください、といった文言があるが、周知の事実とは思いながら念のため書いておくけれど、殺処分は安楽死ではない。

たとえ、麻酔処分であってもだ。

それから、“ペットは家族”だの、“犬も家族”だののフレーズを、この手の話に白々しく持ち出すのはやめていただきたい。

記事中の、「ペットがかけがえのない「家族」である実態がうかがえる」という部分は、「ペットが都合の良い道具として扱われている実態がうかがえる」の間違いのように、私には思える。

家族ならば、やっぱダメでした、で殺すだろうか。

70代や80代で、仮に肉体的にそれが可能であったとしても、子どもをもうけたりするだろうか。

対象が人間ならば滅多にしないことを、犬だから、してしまう。

結局のところ、家族だなんだと言ったって、多くの人間にとって、犬はペットの域を超えないではないか。

ならば、きれいな言葉で覆い、問題の本質を曖昧にぼかすのは、やめていただきたい。



また、こうした問題を語る際、お年寄りの孤独や、人間のさまざまな事情を、涙ながらに並べて語り、議論しづらい、何も言えない空気をつくり出す傾向も、私は違うと思う。

なぜ決まって、出発点が人間なのか。

誤解を恐れずに言うならば、我が家含め、犬を飼うこと自体が人間のエゴだろう。

であれば、せめて穏やかにその生をまっとうできるよう、いらぬ苦しみを与えないようにする必要がある。

そのためには、犬目線になって考えてみることではないか。

人間目線では、人間にとって都合の良い結論が先に定まっていて、そこに着地するため、あーだこーだと、正当化の理由をつけていくことになり、複雑化する。

むろん、私たちは犬そのものではないのだから、犬目線になると言っても限界はあるけれど、それでも、人間の感情や事情を起点に物事を考えるよりもはるかにシンプルで、はるかに問題が見えやすい。



先ほどの田舎町の話に戻る。

70代、80代の方々に犬を売るのは、おそらく町のペットショップだろう。

そのペットショップに犬を卸すのは、命を命と思わぬ繁殖業者たちだ。

使い物にならなくなった犬を遺棄したり、さらに他の業者へ転売するような、心の麻痺した人間たちだ。

犬を取り巻く問題は、すべてつながっている。(知るということ



昨年施行された改正動物愛護法によって、行政が引取りを拒否できるようになったことは、確かに第一歩だとは思う。
(業者のみならず、一般家庭の飼い犬についても拒否できるようになった)

がしかし、このブログでも何度も懸念を書いてきたように、処分に困り山に捨てる連中が出てくることは容易に想像された。

大量遺棄だからニュースに取り上げられるが、1匹2匹じゃ、騒がれないだろう。

引取りを拒否された一般家庭の飼い犬が山などに捨てられ、誰にも知られぬまま死に至る事例も発生しているのではないかと思われる。

引取り数や殺処分数の減少という、そうした数値の比較だけでは見えてこない、冷たい闇の部分が多すぎる。



法改正それ自体は、もちろんしたほうがいい。

国民の意識を喚起し、さまざまな議論がなされるというだけでも、十分な意義があると思う。

ただ、普遍的な価値観や感覚をものさしにして法改正を行っても、根本的な解決にはならないだろう。

なぜなら、悪い連中は、どんな手を使ってでも、金儲けをするからだ。

良心や法律への怯えなど、彼らに期待してはいけない。

おそらく、犬をつくること自体がこの世から消えぬ限り、今の枠組みの中で何をどう改正しようとも、必ず抜け穴を見つけ、またはこじ開け、いやもうむしろ法律自体を無視し、彼らは売り続けるだろう。

それはそうだ。

買ってくれる者がいるのだから。



人間の業は、どこまでいっても、変わらない。

孤独の癒しとして。

人間のための道具として。

そこに需要のある限り、さまざまな形で、犬たちは苦しみ続ける。



もう、終わりにしないか。

人間が、その手によって、犬をつくることを。

人間が、その都合によって、犬を使用することを。







CIMG6703_R4.jpg

マリ坊はとても元気です。




| つれづれ | 10:33 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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