今日も明日も、マリリン日和

センター負傷棟から救出された雑種犬、マリリン。車いすを軽快に乗りこなすマリリンと、夫と、私。家族の日々の記録です。

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彼女らのこと

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どういう縁だか知らないが、私はよく見知らぬ人から話しかけられる。

のみならず、それはしばしば身の上話へと発展する。

決まって年上の、それもほとんどが女性だ。

最初は、天気がどうの、今からどこへ行くの、さして意味のないやりとりからはじまる。

それがどうしたことか、ふいに、彼女らの胸の、こつりとした何ものかに触れる瞬間があるらしく、そのあたりから大抵、色合いが変わって来る。

ぽつりぽつりと身辺事情を話し出したかと思えば、彼女らは次第にその語りへ深く身を沈め、いつか人生のよろこびや悲しみを瞳に映しはじめるのだ。

まだ学生だった時分、電車でたまたま隣になったご婦人の話に耳を傾けるうち、ついに彼女の目から大粒の涙があふれ出し、目的の駅で降りるに降りられなくなって、はるか先の町まで寄り添った日もあった。

彼女らの背景には、ドラマチックにしろそうでないにしろ、彼女らだけの抱える、震えるような思いが隠されていた。

私はというと、まさか年の離れた女性に人生の教訓など諭すはずもなければ、むろん善人ぶった道理を説くわけでもない。

自分のような者が話を聞いて一体何になるだろうと思いながら、彼女らの生きてきた日々を、ただ静かに見つめるだけだ。



先日、夫婦そろってちょっとした用があり、とあるカフェで夫の来るのを待っていた。

その日彼は休日出勤で、午後3時頃まで仕事が入っていたのだ。

辺りに広がる珈琲の香りに、しばしば鼻孔を誘惑されつつも、胃腸の弱っていた私は、ハーブティーなど飲みながら、読みかけの本を読んでいた。

悲しい男の話だった。

神経的な病苦の末、自死するよりほかなかった男のその運命に、私は心を痛めないではいられなかった。

彼の発狂は、本を閉じた後もなお、じくじくと胸に迫って来た。

それは、自らの神経もまた、暗がりに侵されはじめていることを、冷然と告げていた。

馴染みの頭痛の芯が、すでに左目の奥に兆している。

薬を取り出そうと、目を閉じたままバッグへ手を伸ばした、そのとき。

「ここ、いいかしら」

顔を上げると、隣の席の前で、60代と思しき痩せたご婦人が、臙脂色のコートを揺らして立っていた。

「はっ、ああ! どうぞどうぞ! ぜんぜん空いてますから!」

にわかに絶望から引き戻され、頭と心の一致を見ないまま、私はともかく応じた。

すっかり冷めてしまったハーブティーを口にふくむと、ようやく現実を理解する。

通路を挟んだ向こうにもいくつか席は空いていたが、その付近で子連れの集団がけたたましい笑い声を上げていた。

私は急いで、脱いでいたジャケットなど引き寄せながら、できるだけ空間を広く作ろうとしたものの、小さなカフェの席間隔はひどく狭苦しく、ご婦人は荷物を置くのに手間取っていた。

こちらはバッグひとつの身軽な調子だったため、良ければ私の向かいの椅子を荷物置きに使ってくれるよう申し出た。

ご婦人はふっくらと頬を持ち上げると、緩やかな仕草で荷物をおろした。

「ゆっくりしてらしたところ、すみませんねぇ」

小さく頭を垂れて、遠慮がちに私の隣へ腰かける。

そして、ぽつりぽつり、それははじまった。

私はもう一度ハーブティーを口にふくむと、彼女の話へそっと耳を傾けていった。



彼女はひとりだった。

子どもはいない。

長年連れ添った夫に先立たれ、今は年金でつましく暮らしている。

彼女の生活は楽ではなかった。

「いつもね、うちでじっとしてるの。本を読んだり、おとうさんのことを思ったり。ときどきお散歩したりね。そうして過ごすの」

彼女は目尻に皺を寄せ、かわいらしい笑顔を灯した。

「それでね、たまあにこうして、お買い物するの。お茶を飲んだりね。何か月も欲しいもの考えてね、それで街に出るの。今日がその日なのよ」

歌うような声だった。

私は彼女の話にとっぷりと身を寄せた。

いつか頭痛の芯は消えていた。

「見て。カーディガンよ。いいでしょう?」

紙袋から取り出されたのは、真っ赤な中に銀のボタンの施された、薄いカーディガンだった。

それはしっとりと彼女の手に抱かれていた。

私は何か強く胸を衝かれ、どうかすると泣きそうになった。

彼女はそんな私にまるで頓着せず、話し続ける。

「それとね、これも買ったのよ」

ひとつひとつの商品がうやうやしく取り出され、狭いテーブルの上に並べられていった。

ハンドクリーム、石鹸、紅茶、クッキー、文庫本。

最後の包みはオリーブオイルで、

「あんまり安いのはだめなのよ。ちょっといいのをね、パンにつけて食べるの。それはもう、おいしいのよ」

カフェの仄暗いライトを浴びて、華奢な瓶の肩が、橙色に光っていた。



30分もそうしていただろうか。

ご婦人はおもむろに腰を上げると、わずかに目を伏せ、そして立ち去った。

彼女の臙脂色のコートの背に、何か私は自らの将来を映さずにはいられなかった。

それは悲しくもあり、また幸福でもあった。

その頃、この国は、そして人々は、どうなっているのだろう。

街の小さなカフェの片隅で、ひっそりと温められる何気ないやりとりを、時代は変わらず許してくれるだろうか――。



ふいに、ポケットの中でスマートフォンが震えた。

もうすぐ夫のやって来ることを、それは静かに知らせているのだった。





          





本日をもちまして、長いお休みに入ります。

みなさま、本当にありがとうございました。

このブログは、私にとって救いの場でした。

言葉に映し、文章へ託す。

それは癒しの作業であるとともに、自己鍛錬でもありました。

今後は、身体の回復をめざしつつ、家族のことに努めてゆく所存でおりますが、その中にもきっと、私は日々考え続けるのだろうと思います。

考えて、考えて、果たして自分の中に何が生まれて来るのか、それを少しだけ楽しみに思いながら、今はじっくり精進いたします。



そして何よりも大切なのは、マリリンの存在です。

彼女が無理なくその生をまっとうし、彼女自身の満足のうちに、旅立ちの日を迎えること。

そのためならば、私たち夫婦は、惜しみなくこの身を捧げるでしょう。



家族3人でいられる時間に感謝し、一日一日を大切に生きてまいります。

夫とマリリンと。

この素晴らしい日々を。



みなさまが、心身穏やかに過ごせますよう、心よりお祈り申し上げます。

どうかお元気で。





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